気がつけば、ウチは真っ暗な空間に立っていた。
後ろから、無数の足音と影が追いかけてくる。
ウチは必死に逃げた。走って、走って、転びそうになって、それでも走って…
けれど、最後にはつかまって、その影の中へと引き摺り込まれてしまう。
…そんな夢を、ウチは見ていた。
市に虎を放つ如し
第二十二話 プレディクション
プルルルル… プルルルル…
「ん……、うう…ん…?」
早朝、ウチはこの間タカダさんに貰ったスマートフォンの着信音で目が覚めた。
何か夢を見ていたような気がしたけど、記憶がぼんやりとしていてほとんど思い出せない。
というか、こんなに早くスマートフォンの目覚ましなんか設定しとったっけ…と思いながら時計を確認すると、時間は午前5時10分…
ん?5時10分…!?
「あーーもう!!!誰やねんこんな時間に!!」
ウチはバッ!!と飛び起き、いまだ着信音の鳴り止まないスマートフォンの画面を見る。
電話かと思いきや、どうやらメールが届いとったみたいや。それにしてはやけに長い着信音やったな…?
このままメールを放っておくのもあれやし、仕方ないので一応内容だけは確認しとこうかなとウチは思った。
…昨夜は遅くまでコミケに出す漫画(BLモノ)の原稿を仕上げとったからともかく今はごっつ眠いねん。ふぁぁあ…。
返信は後で起きたときにでもしたらええかなぁ…。大きなあくびをしつつ、ウチはタッチパネルを操作してメール画面を開く。
でも、送られてきたメールには件名がなく、本文は真っ白でなーんも書かれてない。
……どう見ても迷惑メールです。本当にありがとうございました。こんなんのためにウチは安眠を妨害されたんか…!
とりあえず取り急ぎ削除しようとウチはタッチパネルを操作するけど、そのときにあることに気が付いた。
よく見ると添付ファイルが引っ付いてる。……明らかにアヤシイわな。これ。
拡張子だけを見てみると、どうやらこれは動画ファイルのようや。
うーん…、迷惑メールで動画ファイルだけが届けられるっていうのは(少なくとも筆者は)あんまり聞いたことないんやけどなぁ…。
もしかしたら、知り合いが間違って本文を入れずに送ってきた可能性もあるかもしれへん。
相変わらず眠いけど、目をこすりながら念のために動画ファイルを開いて中身の映像を確認してみることにしたんやけど…。
「ん?なんやコレ…」
映像に出てきたのは、ウチの通っている鷲峰学園の近くの交差点。
信号待ちをする種類さまざまの車や、大勢の歩行者が歩道や道路を横断しているのが確認できる。
ここは夕方になると交通量や人が多くなる、非常に危ないエリアや。
信号機の監視カメラの視点やろか?やや斜め上から見下ろすような形で映像が映されている。
なんでこんな映像が?と思いつつ、しばらく画面に注目していると…。
「あっ!?」
画面の右上にある信号のところに、一台のバイクが停車した。
黒い学生服に短髪の男の子がその巨大なバイクを運転していて、
後ろにはセーラー服でメガネの女の子が乗っている…。ま、まさかこれって……
「松沢くんと……ウチの姿…!?」
なんでウチらが…?と驚愕していると、パッと信号が青に変わり、止まっていた車がエンジンの音を上げて発進しはじめた。
その中には、聞きなれた松沢くんのバイクの重いエンジン音も混ざっている。
顔をあげて青信号を確認した松沢くんは地面から足をはなし、エンジンをふかして信号を直進し始めた。
その直後やった。
ドガシャァァアンッ!!
音割れするほどすさまじいクラッシュ音がスマートフォンのスピーカーから響き渡る。
信号無視をして猛スピードで交差点に突っ込んできた白いワンボックスカーが、ウチらのバイクを跳ね飛ばしたんや。
ウチと松沢くんはまるで人形のように四肢を空中に投げ出され、数十メートルほどは飛ばされたんやろうか。
ドシャァッ!!と頭から落ちた松沢くんは慣性のままに転がると反対車線で仰向けになったところで動きを止め、
背中から電柱に叩きつけられたウチは、頭から血を流して車道外側線のあたりでうつぶせに倒れている。
二人は、ピクリとも動かない。
周りの歩行者たちはざわざわとどよめき、写真を撮る者や電話を掛ける者も存在した。
衝撃でボンネットが酷くゆがんだワンボックスカーはというと、そのまま速度を上げて逃げ去っていってしもうた。
そこで映像は終了している。
「この映像… どういうことや…? ウチと松沢くんが事故……!?」
かれこれ一年近く松沢くんのバイクに乗せてもらって通学しとるけど、どれだけ記憶を追っても今まで事故をした記憶はあらへん。
震える手でもう一度暗転したままの画面を見ると、その暗転した画面の左下に何か数字が書かれているのを確認した。
17:47
この時間を見て、ウチは即座に理解した。
「……この時間、いつもあの交差点を通るときの時間や………」
最近、ウチは焼石さんとかウチを襲ってきた影の勢力みたいに特殊な能力(?)を持つ人とかを見たことで、
漫画やゲームのような非現実的なことはある程度信じられるようになっていた。
この映像は……… ……おそらく、ウチと松沢くんの未来の映像や。
ということはなんや。松沢くんも…、ウチもこの事故で死んでしまうんか…?
「ウチにどうしろっちゅうねん…」
ウチはベッドに座り込み、一人ぽつりとつぶやく。そもそもこのメールはいったい誰が送ってきたんや…?
まさか自称狂気のマッドサイエンティストの厨二病大学生が未来からメールを送ってきたんやろか。
ホンマに突然すぎてわからへんことだらけやわ…。
「今こんなこと考えとってもしゃあない…。このままやと寝不足になってまうし、バイトに備えて今は寝よう…」
そもそもこれがホンマに起こるかどうか、この時間になってみないとわからへん。
まだまだウチの中では不安は残るけど、今はどうすることもできへんしな…。
とりあえずスマートフォンの電源を切って机の上に置いたウチは、
ベッドの上で横になり、布団を頭までかぶってそのまま目を閉じた。
…。
プルルルル… プルルルル…
「……」
スマートフォンの目覚ましが鳴る。
時刻は午前8時。結局、あれからウチは一睡もできんかった。
考えへんようにしようと思っても、あの事故の映像が脳裏に浮かんで眠れなくなる。それの繰り返しやった。
「お、おい… 咲耶…? お前、なんかいつにもまして顔色悪いぞ…? なにかあったのか?」
朝ご飯を食べ、支度を済ませて家を出ると、すでに外で待っていてくれた松沢くんが声をかけてくれた。
松沢くんの姿を見た途端、再びあの映像が脳裏にフラッシュバックしてしまう。
……やっぱり、さっきのメールのこと、相談してみるべきやろか。ウチは、つばを飲み込んで、きゅっとこぶしを握る。
「ま、松沢くん… あのな…」
一応決心はついた。視線を斜め下にそらして、ためらいがちに口を開いたウチ。
カバンの中からスマートフォンを取り出してメール画面を開いてみたけど…。
「あ、あれ?」
さっきのメールはこつぜんと消えていた。
「えっ?えっ?」
今までの履歴をたどってみるウチやけど、やっぱりそのメールを見つけることはできへんかった。
「おいおい、話の途中でメールってお前」
「あっ、かっ、かんにんな! 松沢くん」
ウチは急いでスマートフォンをしまい込む。
そんなウチの様子を見ていた松沢くんは、頭をかきながら、ハァ、と息をはく。
「んで?なんで調子悪そうにしていたんだよ?」
「う… えーっとな、その、あー、ううう…」
さっきのメールのことを相談できなくなったからほかに理由が思いつかへん!
ギャグマンガのキャラよろしくわたわたと手を上下に振りながらウチは考える。
「……マ、マンガ…。そう、遅くまでマンガを描いとったんよ。それでウチ、今日はちょっと寝不足でな。ははは…」
「ああ。なるほどなー。まー、お前らしいっちゃあお前らしい理由だな」
松沢くんは納得してくれたみたいや。
まぁ、マンガ描いとったのは事実やし…。
「その、なんだ。趣味に打ち込むことはいいことだとは思うけどよ、お前はもっと自分の体を大事にしろよな?」
「自分の体調なんか二の次や!ウチには…、ウチにはそれに代えてでも完成させなあかんモノ(原稿)があるねん…!」
「はいはい。その根性だけは認めてやるからそんなピンチに陥った主人公のようなマネはやめてさっさとバイトに行こうなー」
そんなこんなで松沢くんのバイクに乗せてもらったウチは、
いつものようにバイト先のDY(デイリーヤマザキ)に向かうことにしたんや。
……結局、さっきのメールはただの夢やったんやろうか。
それにしてはえらいリアルすぎる夢やったけど…。
「(ま、そうやったらもう心配はなさそうやしな。なんか安心したわ)」
心にずっしりとのしかかっていたおもりが取れ、ウチはハレバレとした気分になっていた。
…。
そんなわけで、ウチらはせっせとバイトをこなしていた。
近くで何かイベントがあったんか知らんけど、今日はともかくお客の数が多かった。ウチも松沢くんも大忙しや。
そのせいもあってか、今朝のメールの出来事はウチの頭の中からは完全に消えていた。
そして、時刻は午後5時。
「ふぅー、やっと終わったぜェ」
普段のコンビニにあるまじき超重労働を終えた松沢くんが、汗をぬぐいながら大きく息を吐く。
制服に着替えたウチも、松沢くんの後に続いて店を出る。
「こんなに忙しいのも珍しいね。いつもこんなにお客もやって来へんのに」
「そのおかげで品出しの段ボールもいっぱい担いだから、いい筋トレになったぜ」
むんっ!と、松沢くんは制服越しからも確認できるような大きな力こぶを作る。
なんか、画がジョジョとか北斗の拳のキャラみたいな感じになっとるで松沢くん。
「もぉ、台車使えばええのに…」
「ハッ!真の男はなァ、台車なんてもんには頼らねぇんだよ。頼れるのは己の腕力のみだ!」
……はあ。なんか、頭が痛くなってくるわ。
「…よし、準備できたぞ咲耶ァ!さっさと学校へ行こうぜ」
ウチが呆れている間に松沢くんがバイクの準備をしていたようや。
ウチはまたいつも通り松沢くんの後ろに乗り込む。そしておなかに手を回すとやっぱり松沢くんはビクッと反応した。
ふふっ、いつまでたってもウブやねぇ。
「それじゃあ行くぜ!しっかりつかまってろよな!」
ブォンブォン!!とエンジンの音を響かせて、松沢くんのバイクは発進した。
この季節になると、体に受ける風もそんなに冷たくないし、5時になってもまだまだ明るいみたいやな。
と、ビル群に見え隠れするやや傾いた太陽を見つつウチは思った。青空はほんの少しだけオレンジ色を帯びている。
はぁー…、この空、ジブリ映画にも時たま見られそうなくらい、きれいな空やなぁ。
それから他愛のない会話を続けつつ、交通量が増えたせいで渋滞に巻き込まつつも、
ウチらはとうとう"あの場所"へとたどり着いてしまったんや。
「んー… おっせぇなぁ…」
松沢くんはかなりイライラした表情で、握っているバイクのグリップを、右手の人差し指でとんとんと小刻みにたたいている。
そして、ちらちらと信号の色を確認する松沢くん。せやけど、依然として信号の色は赤色やった。
…ここは、織笠の間でもかなり有名な、交通量がめっちゃ多い信号や。
さらに赤信号の時間も長い。この時間になると、ほぼ確実に渋滞になってしまう。
それで、DY(デイリーヤマザキ)でお客が多かった理由は、どうやらこの近くで有名な歌手のライブがあったからみたいや。
そのせいでただでさえ多い車の量がさらに増えとるっちゅうワケやな…。
さっきまで通っていた道路はたまたま空いとったからスイスイこれたけど、この交差点の近くに差し掛かった途端この有様や。
今になってようやく最前列にこれたんやけど…。なんか今日はみょんにタイミングが悪い気がするわ。
「困ったなぁ。いつもより早く学校につきそうやったから、晩ご飯は食堂で済ませようと思うとったのに…」
「これはちょっと遅れるかもしれねぇな…。咲耶、悪ィけどちょっと時間確認してくれねぇか?」
「ん。わかった。ちょっと待ちや」
ウチはスマートフォンを取り出して時間を確認する。
えーと、今の時間は… 17時46分36秒…。
ん…?
17時… 46分…!?
そのとき、ウチの脳裏にコマ送りのようにあの映像が駆け巡った。
今朝、スマートフォンに突然届けられた映像。…けど、そんなものは存在せず、ただの夢やと思い込んでいた。
そして最後の黒い画面、そこに浮かび上がった最後の文字を思い出す。
17時47分。
あと30秒ちょっとで…あの時間になってしまうやん!?
あの時のことは夢やと思って片づけておいたけど、心のどこかではあの映像が引っかかって離れへんかったみたいや…。
「咲耶。時間は見てくれたのか? …お、横断歩道の信号が点滅し始めたぞ。もうちょっとだな」
横断歩道の信号が点滅し始めた…!
残り時間はあと20秒。
バクバクバク!!と、ウチの心臓の拍動が激しくなり、冷や汗とともに吐き気を催してきた。
まさか冗談やろ…? ホ、ホンマにあの状況と…
「これでこの長い信号ともおさらばだな」
そうしている間に、松沢くんはバイクのハンドルを握る手に力を込めようとしている。
隣の車が見切り発車をするためか、ずいずいと前に出てきていた。
これやったら右の交差点の状況を確認したくてもできへんやないか…!
残り時間はあと10秒。
ウチは目を閉じて考える。
残り時間は刻々と迫ってくる。脳裏にまたあの映像が浮かび上がる。
あの映像が夢やったのか、現実やったのか、今はそんなんどうでもいい!
ウチは…絶対に松沢くんを死なせたくないんや!!!
こうなったら一か八か… ウチが未来を変える!!
心を決めたウチは、カッ!!と目を見開き、大きく息を吸い込んで、力の限り叫んだ。
「松沢くん!!行ったらあかん!!!」
「えっ?」
突然の大声に驚いた松沢くんは、ウチのほうを振り向いた!
その瞬間、右の交差点から一台の白いワンボックスカーが猛スピードで交差点を横切っていった。
見切り発車をしていた隣の車があわてて急ブレーキをかけ、ビーッ!!ビーッ!!とクラクションを鳴らす。
その車の通った少し後に、その車を追いかけるようにして風と共に塵が巻き上げられた。
「――!!!」
ウチは言葉を失った。
ホンマに白いワンボックスカーが信号無視をして交差点に突っ込んできた…!?
しかも、シチュエーションがあの夢で見た映像とまったく一緒やし…。
もしあの映像のことを思い出さへんかったら、ウチらはマジで死んどったかもしれへん…。
「あぶねー… 信号無視かよ…」
再び前を向いてあの車を見ていた松沢くんは、左手でぽりぽりと頭をかきながら呆然とした表情でつぶやいた。
そしてもう一度ウチのほうを振り向いて、ウチに微笑んだ。
「天下のこの俺としたことが…。あのままだと気づかずに発進してたかもしれねぇ。
もしかしたら二人ともお陀仏だったかもな…。止めてくれてありがとな、咲耶」
「……うん」
松沢くんは左右を確認すると、ゆっくりとバイクを発進させた。
学校はもう目と鼻の先。渋滞ポイントを抜けたウチらは再びスイスイと学校へ向かう。
……けど、ウチにはまだ腑に落ちない点がある。
「(やっぱりあの映像は… 夢とちゃうかったんやろか…?)」
そしてこの後、ウチの疑心を確実なものとする出来事が起こることになるんや。
それは学校の昇降口での出来事。
結局晩ごはんを食べ損ねたウチらは、いそいそと上履きを履き替えていた。そんな時やった。
プルルルル… プルルルル…
「(……! この着信音は…)」
ウチはまだ靴を履き替えている松沢くんに背を向けて、メールを確認した。
そのメールには件名がなく、本文には何も書かれてあらへん。
そして、動画ファイルが添付されていた。
「(未来予知のメールか…!?)」
ウチは、唾をごくり、と飲み込んだ。今度こそ夢じゃああらへん…。
まぎれもなく現実にこのメールが届いたことが証明されたんや。
後ろをちらりと見ると、松沢くんはまだ上履きを履き替えるのに手間取っている。
……一応、松沢くんには悟られないように、ウチは恐る恐る動画ファイルを再生する。
…映像には学校の教室が映し出されていた。
おいてある備品からして、これはウチらのクラスや。でもなぜか、クラスメイトのみんなはどんよりとした雰囲気に包まれている。
そんな中、ガラッと扉を開いて松沢くんはウチを置いていつものように颯爽とクラスに入室した。
……けど、松沢くんは『あるもの』を見つけて、驚愕の表情を浮かべると床に膝から崩れ落ちてしまう。
なんとなくやけど、ウチにはその理由が理解できた気がする。
次の場面。ある人物の机の上に、きれいな花が活けられた花瓶が置いてあるのが映し出された。
そこで動画は暗転する。
「ん? 咲耶、またメールか? それじゃあ俺は先に行くぜ!」
ちょうど上履きを履き替えた松沢くんが声をかけてきた。
「松沢くん。……教室に入ったら、ショックな出来事が待っとるかもしれへん。先に忠告…しとくわ」
「???」
ウチは松沢くんに背を向けたまま、やや冷たい口調で言い放った。
松沢くんは頭にはてなマークを浮かべると、そのまま走り去っていった。
数分遅れて、ウチが教室の近くに差し掛かったころ。
「ううわあああああぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁああっ!!!」
叫び声とも泣き声ともつかな悲痛な声が、ウチらの教室から響いてくる。
ウチはゆっくりと教室の扉の前で立ち止まった。
教室の入り口では、膝から崩れ落ち、地面に両手をついて嗚咽とともに涙を流す松沢くんの姿。
松沢くんのすぐそばには、必死に涙を堪えている鷹森さん。
その姿につられ、顔を抑えて静かに涙を流しているクラスメイトも何人かおるようや…。
……ウチはさっきの映像にもあった、ある人物の机の上に置かれている花瓶に焦点をあわせた。
その机の主とは… そう、ウチらの大切な親友…… 獅子土董子さんや。
この週末の休みの間に、董子さんが急逝した。
その悲しい事実を、机の上の花瓶がウチらに端的に知らしめている。
ウチはふと時間を確認する。
現在の時刻は―― 18時13分。
暗転した画面に表示されていた時刻と、ちょうど同じ時刻やった。
未来予知が、再び当たってしもうた。
そのあと、臨時の集会が開かれ、校長から生徒に董子さんの悲報が知らされることになった。
ウチは財団から事前説明を受けとったけど、それでもショックは隠しきれへん。思わずウチも泣いてしもうた。
彼女の死因は伏せられているけど、これももちろん、財団の意向によるものや。
…いや、正確には財団も彼女の死因は知らへんみたいや。ただ彼女の死亡が伝えられたのみで、まだ彼女の死体が見つかってへんとか。
"魔物"である董子さんの死には、"退魔の一族"である鷹森さんおよび鷹森組が関与しとるという目星がたてられとるようやけど、
彼女らをずっと監視していたはずの監視員のメンバーが、なぜか彼女らの足取りを特定できへんかったというのと、
鷹森組が動きを見せていなかった…というのもあったようで、決定的な証拠が見つからへんかったみたいや。
まぁ、死因がはっきりしていたとしても、学校の面目もあるやろうし、多分伏せられとったやろうなとウチは思う。
やがて集会が終わると、諸連絡の後、時間を少し繰り下げて授業が行われた。
董子さんがおらへんようになってから、最初の授業が終わったんや。
放課後になると、しんみりムードだった教室もやや明るさを取り戻し、クラスメイトたちが会話する声も聞こえてくる。
やけど、その一部では……
「はぁ……」
松沢くんは机に顔を伏せたまま大きく息を吐いた。
彼は董子さんのことが好きだっただけに、人一倍ショックが大きいみたいや。
ウチかて、心に大きな穴がぽっかりと開いたような気分や…。
「……ま、松沢くん」
「おう、咲耶か…」
ウチが声をかけると、松沢くんはゆっくりと顔を上げて返事をした。
その表情や声質からは、いつものような元気さを感じられない。
「……董子のヤツ、死んじまったんだよな」
「…」
ウチは思わず無言になってしまう。
松沢くんは一言だけ言うと、おなかを抱えてくっくっと低い笑い声をあげた。
「ハッ、ハッハッハッ…!やっぱ実感わかねぇよな? 急にアイツが死んだって言われてもなぁ!
実はどこかで生きていて、ひょっこり出てくるんじゃね? …って思っちまうよ」
ウチに向けられた笑顔がぎこちない。
松沢くんとは何年も一緒におるから、無理して明るく振る舞おうとしているのはすぐにわかるんよ…。
その証拠に、まぶたは赤くはれて、目の端っこにはうっすら涙が浮かんでいる。
「…松沢くん、無理はせんときや。悲しかったら、もっと泣いてええねんで」
「べっ 別にっ、悲しくなんか…ねぇよ… 男ってのはな、女の前では涙を見せねぇものなんだよ」
どんっ!と大きく胸を張る松沢くんやった。
…未来予知でも出たあの姿には目をつぶっておこう。
松沢くんは席を立って、ウチに背を向けてゴシゴシと目のあたりを袖で拭うと、
「そろそろ帰ろうぜ。家につくのも遅くなっちまうしな」
「そうやね…」
松沢くんの後ろについて教室を出ようとしたウチやったけど、
ふと、窓際の席に座っている鷹森さんのほうに視線を向ける。
その鷹森さんはというと、頬杖をついて、心ここにあらずといった感じで窓の外をじっと眺めていた。
鷹森さんも、松沢くんに劣らず相当なショックを受けているのがわかる。
この様子を見ると、やっぱり鷹森さんは犯人とちゃうんやろか…?
「鷹森さん、ホームルームはもうとっくに終わっとるよ。早く帰らんと」
ウチがそう微笑みかけると、鷹森さんもウチのほうを見て笑顔を返してくれた。
「うん、ありがと。有沢さん」
けど、鷹森さんは短く首を振った。
「……でもね、あたしはもうちょっと一人になりたいキブンかな…。そんなに心配しなくても大丈夫だよ。すぐに帰るから、ね?」
鷹森さんはそういうと、再び窓のほうを見つめ始めた。
本人は隠しているつもりやろうけど、窓に映っている鷹森さんの表情は、とても物憂げや。
でも…と、ウチが言いかけると、松沢くんがそれを制する。
「一人にさせてやれ。親友を失って… 梓も、今は辛いんだよ」
松沢くんに言われてウチははっとする。
それもそうやな…。今はそっとしておいてあげたほうがええに決まっとる。
ウチは『ほなな(※神戸近辺の関西弁で『さようなら』の意味)、また明日』と挨拶をして、教室を出た。
でもちょっと気になって、去り際に廊下の窓から横目でちらりと鷹森さんの姿を見る。
…彼女は、董子さんがいつもつけていたヘアバンドを握りしめ、大粒の涙を流していた。
…。
真夜中の市街地。車もほとんど通らないこの時間帯に、一台のバイクが唸りをあげて走り去っていく。
もちろん、これは松沢健太郎と有沢咲耶の二人が乗った大型のバイクだ。
「(…董子)」
健太郎は心の中でつぶやく。
「(お前が死んだ理由は俺にはわからねぇ…。けど、俺の永遠のライバルであるお前が、
普通の事故かなんかでくたばったりはするわけがねぇはずなんだ…!
校長は何も言っていなかったけど、もしかしたら、大きな事件に巻き込まれちまった可能性だってある…)」
健太郎は眉間にしわを寄せ、険しい表情になると、バイクのグリップを握る手に力を込めた。
「(もしそうだったとしたら… 俺は董子を殺したヤツを…、絶対に許さねェ…!!)」
今の健太郎の心情を表すように、バイクは獣の咆哮のような唸りを上げ、さらにスピードを増してゆく。
鋭い目線で前方を見据えた彼の瞳には今、激しい怒りの炎が灯っている。
しかし、今の彼はまだ、董子を死に追いやった人物がすぐそばにいることは知るはずもない。
桜の木の前で結ばれたはずの友情の契りは、この日を境に少しずつほころび始めていた…。
…それからというものの、あのスマートフォンには未来予知のメールはとんと届かへんようになった。
あのメールはいったいなんやったんやろ…? やっぱりウチにはわからへんわ。
けれど、やがてウチは"あの時"のフィンスター・アーベントの言葉の意味を思い知ることとなる。
そしてその時が来るまで、ウチらはつかの間の平穏を過ごすのであった。
次回へ続く…。
作:黒星 左翼
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