市に虎を放つ如し




『―― こんにちは、お昼のニュースをお伝えします。
 ××県安澄市、および織笠市において発生した「ヒューマンハンティング事件」…通称、「安織暴動」からちょうどひと月が経ちました。
 「安織暴動」は、先月13日夜、指定暴力団北条院組組長、北条院明彦容疑者が扇動した日本史上最大規模の暴動事件で、
 参加者は安澄・織笠両市周辺だけでも延べ数十万人に上り、暴力や略奪、放火などの容疑で大勢の逮捕者が続出しました。
 この暴動による死者は427名、負傷者は重軽傷合わせて10619名に上ると発表されています。
 
 また、暴動の際に、日本を含む世界各国の電子機器がジャックされ、暴動の様子がリアルタイムで全世界へと発信されていたことも判明しました。
 暴動は早期に収束しましたが、容疑者は死亡。関与者とみられる北条院明彦容疑者の妻、北条院涅理容疑者は現在逃走中。警察が行方を捜索しています。

 現在では、暴徒化した民衆によって破壊された街並みも修復作業が進み、次第に元の姿を取り戻しつつありますが、
 「暴動が起きない国」とされていた日本で起きたこの事件は国内外の人々に大きな衝撃を与え、その心の傷は癒えることはないでしょう――』



市に虎を放つ如し

第三十話 After a storm, comes a terrific storm.



初夏の日差しが肌を焼き、夏服の人の姿がちらほら見られるようになった季節。
マンハント終結から一か月が経過したある日の午後。鷹森組組長・鷹森満時は、安澄市榁神区にある霊園の一角に佇んでいた。
彼の後ろには、三人の鷹森組幹部――須田、藤浦、柿村――が控えている。

「篠崎……」

満時は眼前の墓石に刻まれた名前を告げ、墓前にしゃがみ込む。
鷹森組幹部が一人、篠崎晃は『ロード』についての調査を行っていた途中、北条院明彦と鉢合わせたことで部下と共に熾烈な戦いを繰り広げることとなった。
しかし、機械金属の王『メタリックロード』の彼の前では、『ロード』ではない普通の退魔師である篠崎らの力が通じるはずもなく、
部下は全員電撃により消し炭にされ、一人生き残った篠崎は捕えられ… その後の顛末は知ってのとおりである。

「ほら。お前の好きな酒だ。最近飲んでなかっただろう? じっくりと飲むといい」

悲しい笑みを浮かべつつ、満時は篠崎の好きだった山田錦のカップ酒の封を開け、そっと墓石の前に供えた。
物言わぬ墓石は、ただ静かにそれを受け入れる。

「なあ篠崎よ。お前が『本家』に来たばかりの頃を覚えているか?
 あの時のお前は、半人前だというのに私の話など聞かず、いつもいつも無茶ばかりして…、よく手を焼かされたものだ。
 だが、しとみや梓も、そんなお前のことを兄のように慕っていたな。…ふふ、思わず嫉妬で愛用の茶碗を握りつぶしてしまったほどにな。
 やがて、お前は鷹森組を引っ張る立派な退魔師となるまでに成長し…、そして… 強大な敵のもとに散っていった。
 私は家族としてお前を誇りに思う。お前がいてくれたから、私たちも今日まで退魔師として人々を守ることができたのだ…。
 だからお前は…… いつまでも…、いつまでも、私たちの家族だ…!」

満時は柄杓でお墓を清めたのち、後ろの幹部たち三人とともに一本ずつ線香を供える。そして、四人で合掌。
彼に対する感情の波が押し寄せてきたのか、普段は涙を見せない屈強な男たちの口からは、彼の死を悼む嗚咽の声が漏れた。

「……ではな、篠崎。次は、しとみや梓とも一緒に会いに来るからな……」

封を開けたカップ酒を回収した満時は、「行くぞ」と短く合図すると、立ち上がって篠崎の墓前を後にした。
「また顔見せに来ます、兄さん」「ゆっくり休めよ…篠崎」「お前の魂は何時でも我らとともに。」と、三人の幹部もそれぞれの言葉を残し満時の後ろに続く。

「(次は、梓の見舞いだな。しとみがあの男と共に毎日看病に行ってはいるが、早く私が来ないと今頃寂しくて泣いているやも知れん!
 マンハントの後は私も忙しくてお見舞いに行ってやれなかったからな。ああ、私も寂しかったぞあずさぁぁ!!
 たーんと頬ずりしてやるからな!!待っててくれわが愛する娘よ!! ふふ、ふはっ!ふはははははっっ!!!)」

先ほどのシリアスムードはどこへやら、父に頬ずりされて微笑むしとみと「くすぐったいよ〜」と笑う梓の姿を妄想して、顔が綻びかける満時。
少し離れて後ろに控えている三人には、満時が悲しみに震えているように映っていた。良くも悪くもスイッチの切り替えが早い男である…。

「おう。鷹森じゃねえか。奇遇だなぁ」
「む… お前は」

満時たちは歩みを止め、声のしたほうへと顔を向ける。
そこにあったのは、たばこを咥えながら皺の入った口角をもたげ、不敵な笑みを浮かべて手を振っている壮年の男性の姿だった。
肩に掛けられている年季の入ったキャメル色のコート、白髪の多く混じった短髪と口髭は、齢を感じさせる。

「……霊園の喫煙所以外で堂々とタバコとは。貴殿の警察官としての資質を疑いますな。小寺"警部"どの

満時は、わざとらしく男の名前の後ろに「警部」とつけた。
小寺と呼ばれた男はくっくっと笑うと、ふぅーっ、と大きくたばこの煙を吐き出し、携帯灰皿の中に吸殻を仕舞い込んだ。

「おうおう、細けぇこたぁいいじゃねえかよ。俺も今日はオフなんだ。ただの一般市民として、カミさんの見舞いに来てたんだよ」

男の名は小寺宏嗣(おでらひろつぐ)。織笠署の組織犯罪対策課に籍を置き、課長を務める警部である。
とはいえ、魔物や退魔師の存在を知る有数の人物である彼らは、魔物や退魔師が起こした事件についての捜査を専門に行っているため、
実際には「魔物犯罪対策課」といった呼称のほうが正しい。

「ま、ちょうどよかった。ちょっくらお前に話があるんだ、付き合えや。あんま時間は取らねーからよ」
「…親父、どうします?」
「警部どのとは知らない仲ではないからな…。まあいいだろう、私は娘たちを待たせているからな。用件は手早く済ませてくれ」
「ああ、心配すんな。軽い"世間話"だよ」

幹部たちと別れた満時は小寺警部に連れられ、数ブロック先の四阿(あずまや:庭園等に設けられた屋根つきの簡素な休憩所)に腰を下ろした。
そして互いに自販機で缶ビールを購入し、一息つく。

「あ゙ー、それにしてもマンハントの時はお互い大変だったよなぁ〜。ウチでもカネに目が眩んであの騒ぎにノッたバカが多くてよぉ、
 お蔭で若いやつも定年間際のやつも片ッ端から処分されちまった。しょせん世の中はカネで動いてるってのを痛感させられたぜ」
「にっくき北条院も卑劣な手を使ってくれたものだ…。だが警察があんな金などに踊らされなければ、市民たちの暴動は少しでも早く抑えられていたはずだが?」
「んなこと俺に言わねェでくれよぉ〜、俺個人じゃあどうしようもねェっつ〜のっ」

小寺警部のひょうきんな態度に、満時はあからさまに苛立ちつつも、ビールを一口飲んで気を紛らわし、話を続けた。

「で、本題はなんだ? まさか本当にただの世間話というわけではないだろう」
「やっぱ気づいちゃう?そうっちゃあそうだな。後でお前さんのとこに直接行こうと思っていたんだが…手間が省けて助かったぜ」

小寺警部はゴソゴソと内ポケットをまさぐり、ある一枚の写真を取り出して満時の前に差し出す。
その写真を見た満時のただでさえ厳つい顔が、眉間にしわが寄せられたことでさらに厳つくなった。

「この女は… あの北条院の妻か?」
「あぁ。今日本中の警察がその女の行方を全力で探し回ってる」

差し出された写真に写っていたのは、亡き夫の北条院明彦の隣で微笑みを浮かべる北条院涅理の姿だった。
彼女は、マンハント事件の終盤、焼石徹とともに北条院明彦の最期を見届けた後に、ぷっつりと消息を絶ってしまったのだ。

「一応、もぬけの殻になった北条院組のアジトもずっと張ってるんだが…、全く姿を見せねえ」
「ふむ… 確かに気になるな」
「エスパー…ってやつか? 世界中のテレビやパソコンをジャックしたのはこの女で間違いねえだろ?
 そんな絶大な力を持った奴が姿をくらましたんだ。このままほっといたら次はもっとヤバいことになるかもしれねぇ。
 上層部は恐れてるんだ。世界各国の軍事基地のコンピュータがこの女にジャックされでもしたら…と」
「仮にそれが事実になるとすれば…。なんともぞっとしない話だ…」

二人の脳裏には、エスパー能力により世界中の軍事コンピュータを掌握した北条院涅理の姿が映し出されていた。
そればかりでなく、IT産業が隆盛を極める現代では、あらゆる場面で電子機器が使用されている。
非常に強力なエスパー能力を持つ彼女にとってそれらを操るのは造作もないことであり、下手すれば世界の行政機能をも握られる可能性があるのだ。
それだけは何としても防がねばなるまい。

「情けねぇが、俺ら警察は、退魔師のように特別な力があるわけでもねえ。どうしても捜査には限界が出ちまう…。
 社会的な面では俺らは敵同士だが、魔族から市民を守りたいという点ではある意味同志だ。だから…協力してもらえねえか?」

小寺警部の申し出に、満時は力強く頷いた。

「魔物の脅威から人々の平穏を守るのは我々の役目だ。もちろん、北条院涅理の捜索に協力しよう」
「あぁ…、恩に着るよ。お前さんならそう言ってくれると思ってたぜ。ほらよ、これが捜査資料だ」

了承するや否や、いきなり捜査資料の入ったファイルを満時に手渡す小寺警部。
面食らいながらも、「広域重要指定127号事件」と書かれた分厚いファイルをぱらぱらとめくってみると、
マンハントの顛末を含めた細かい捜査状況や、北条院組で押収された物品など彼らのあらゆる情報が記されていた。

「お、おう…。しかし、こんなにも堂々と警察が我々に資料を渡してもいいものなのか?さすがにこれはまず…」
だーかーらー、細けぇこたぁいいんだよ。まーその辺は…ホラあれだ。
 ときに凶悪な犯罪者を捕まえるためにゃあ互いに情報交換すんのは大切だろ?
 万が一何かあったら権限で何とかすっから問題ねぇよ」

「うわ、どう見ても職権濫用だ…」と満時はあきれ顔になるが、小寺警部はにやつくばかりで意にも解さない。

「あともう一つ…、これは北条院涅理とは関係ねぇことだがな…」
「む?」
「あのマンハント事件のお蔭で、魔族と退魔師の存在が世間に広く知れ渡っちまった…。
 警視庁がマスコミどもに圧力をかけたんだが、あいつら、それを無視して面白おかしく取り上げやがったんだ。
 今まで俺らが魔族関連の事件が表社会に出ないように、せっかく頑張ってきたのによう…それが一気に崩された気分だぜ。
 ヘタこきゃあ、魔族と人間が保ってきた"均衡"が崩れるかもしれねぇ。…お互い、今後の身の振り方も考えていかねーとまずいかもしれねえな」

悔しげな表情を浮かべて言う小寺警部。対して満時は、凛とした強い口調で自らの意志を述べた。

「例え何があろうとも、私の意志は変わらん。我々は偉大なる先人たちの遺志を継ぎ、諸悪の根源たる魔物どもを根絶やしにする…ただそれだけだ」

満時の決意の言葉を聞いた小寺警部は、またもくっくっと笑い声をあげ、

くくく …、やっぱお前さんはぶれねぇな。さすが極道の長だ。真っ直ぐだねぇ…。お前さんのそういうトコ、嫌いじゃあねえぜ」

ぽいっ、と空になったビール缶をゴミ箱に抛り捨てると、彼はおもむろに立ち上がった。

「…さぁて、用件も済んだことだし…、俺ぁもう帰るわ。けっこう時間とっちまってすまねぇな。あばよ、鷹森組長

後ろ手にひらひらと右手を振りながら、小寺警部は鼻歌交じりに去って行った。

「魔物と人間の保ってきた均衡が崩れる…か」

やがて満時も立ち上がると、杖を力強く突きながら四阿の外に出る。
ふと空を見上げれば、先ほどまで青く澄んでいた空の向こう側には、ゴロゴロと音を立てながら黒い雲が迫っていた。

「……荒れそうだな」

遠く黒い雲を見据えて放たれた満時のこの一言は、今後の物語の流れを予見したかのように、確かな重みを含んでいた。


…。


同日。時刻は午後4時ごろ。天気は大荒れの土砂降り。場所は織笠市のオフィス街。

毎度おなじみ、元四ツ和財団監視員にして現在は定時制高校に通うごくごくフツーの女子高生、有沢咲耶や。
今日はバイトはお休み。せやから、学校へ行くついで同人ショップで好きな作家さんの本を買うべく、早めに家を出てわざと遠回りして登校しとるのよ。
……まあ、突然こんな風と大雨に降られて靴とか制服がベッチョベチョやけどな!! うぅ、傘があっても即死やった…。

それはそれとしてや。目的のお店までは時間もあることやし、『マンハント』の時に鷹森さんと別れた後のことをウチの口から話してみようと思う。
鷹森さんや東城と別れたウチと健ちゃんは、ぼこぼこになりながらも高速道路へ入ってこようとする参加者を必死に食い止めとった。
さすがに体力が持つはずもなく、あかん!もう限界やー!ってなってた頃、警察の機動隊と自衛隊が到着して、盾や放水攻撃で暴動を鎮圧させたんや。
そのあとウチらは救急車で病院に搬送されて、病院で治療を受けながら北条院と鷹森さんの戦いを見届けとったっちゅうワケな。
いやー、あの戦いはいろんな意味でほんまに凄かったわ…。ようやったな、鷹森さん。ウチは鷹森さんが勝つって信じとったで!

…あ。えーと…、こほん。話戻すわ。
皆が気になってると思う"喧嘩"のことやけど…正直に言うとまだ解決はしてへん。
まあ、あの時は『一時休戦』って感じやったしな…。こうやってウチが一人で登校してるのもその辺に理由があるわけで…、うん。
病院では、鷹森さんや健ちゃんにはすべてのことを話した。二人ともウチの事情は理解してくれたけど、さすがに仲直りとまでは行かへんかった。
でもでも、少なくとも前進はできたはずやし! 長い目で見ていけばまた元の関係に戻れるはずや!

…と、回想の途中で、ウチはある一つの会社の前で足を止める。
プレートに書かれた会社の名前は、『焼石カンパニー』。そう、ウチらをたびたび助けてくれていた焼石徹さんの会社や。
いつもやったらきっと、ビルの中では仕事をしとる人らがおるんやろう。でも、こんな時間やというのにビルの窓は真っ暗で、人の気配は全くせえへん。
それどころか、ビルの壁にはスプレーで落書きがされてたり、窓ガラスが割られたりしとるみたいや。その証拠に、敷地内に石や瓶が転がっとる。
そしてビルの入口ゲートは鎖で固く閉ざされ、「焼石カンパニー 事業停止のお知らせ」と書かれた張り紙がぽつりと張り出してある。

………。ウチの顔は途端に苦いものになる。まあ、焼石さんの会社がこんなことになったのも無理はないんかもしれへん…。
『マンハント』関連の報道では、たとえば日本企業の信用度が下がったり、旅行者の数が減ったり、首相が世界各国に謝罪したり…とかいろいろあったけど、
中でも世界を衝撃の渦に陥れたのは、焼石カンパニーは、北条院組や橋本組という二大暴力団と癒着していたという一大ニュースや。

この焼石カンパニーの"汚職"の暴露騒動には、もちろん四ツ和財団が一枚かんどる。
『マンハント』中にうっかり口を滑らせた北条院の言葉をネタに、財団が前々から集めていた橋本組との癒着の証拠と一緒に一気に暴露しよった。
世界を代表する日本一の企業が、暴力団…しかも『マンハント』を開催したあの北条院組と繋がっとるなんて知れた日には、もう非難轟々や。
結果的に、焼石カンパニーの株価は大暴落。焼石製の商品の不買運動や本社前でデモが起き…、この一連の出来事が『焼石事件』と称される事件になったんや。
……それで、やむなく焼石カンパニーは業務停止状態まで追い込まれ、代わりに万年ナンバー2やった四ツ和財団はめでたくトップの座へと躍り出た。
全ては、あの四和誠一郎の思い通りに事が進んでしもうたっちゅうワケや…。

「焼石さん…… 今、どうしてはるんやろ…」

誰もおらへん会社のほうに向けて言ってみるけど、当然答えが返ってくるはずもなく…。
しょんぼりとした表情でウチは再び歩き出……、

「うんっ?」

ウチの動きはピタリと止まった。
前を向きなおして歩こうと思ったら、ビルとビルの間の路地裏に何か銀色のポンポンみたいな何かがはみ出とる。
なんやこれ。って、目を凝らしてよう見てみると…… 人間の髪…?

ウチは唾をゴクリと飲み込み、恐る恐る路地裏に近づいて行った…、するとそこには…

「め、目の前に… 目の前にパツキン美女が倒れとるぅぅッ!!!?

そこには、プラチナブロンドの長い髪の毛で白いレインコートを着た女性が仰向けに倒れとった!!
ってそんなマンガみたいなリアクションとっとる場合やないやろウチ!!
うわわわわわこんな時どうすればええんや!? 救急車!? いや、AED!?

ぅ……

ウチがあたふたしとったら、そのパツキン美女は僅かに唇を動かした! よかった!この人生きとる!!

「ど、どないしたんや!? 大丈夫ですか!?どっか痛いところは…」

ウチはしゃがみ込んで、そのパツキン美女を抱きかかえながら必死に呼びかけた!

「……お、………おなか……」
「お、おなか!? お腹が痛いんか!?」
「おなか、すいた」

その時、ぐぐぐぐぐぅ〜〜〜っ、というものすごい腹の虫が、轟々と降る雨の音を切り裂いた…。


…。


バリバリバリムシャムシャムシャゴクゴクゴクゥゥ!!!

いともたやすく行われるえげつない暴飲暴食ッ!
なんということでしょう。さっきまで路地裏で死んだかのように倒れていた彼女は今、
ウチの目の前で山積みにされた各種ハンバーガーやらナゲットやらポテトやジュースetcを同時に凄まじい勢いで食べているではありませんか。

…よし。ちょっとだけこうなった経緯を話すわ。あれからウチは、どうも激しくおなかを空かしているらしい彼女の肩を支えつつ、
近くのヤクドナルドの中へと入った。「ウチがおごるからとにかく好きなモン食べて!」と言ったらご覧のありさまや…。
この人はお金を持っていないらしく、ウチのポケットマネーでは当然のごとく足らへんので、今はツケておいて残りは後でタカダさんらに払ってもらうことにした。
ウチらは財団から離反しとるからただでさえ収入が少ないのに…。お蔭でしばらくは家計が火の車や…。トホホ…。

「さっきは、ありがとう。あなたは、わたしの、恩人」

もきゅもきゅとダブルチーズバーガーを口に運びながら、パツキン大食い美女は上目づかいに言った。
外見上は20代くらいのオトナの女性に見えるけど、その言動と立ち振る舞いからは、どこか子供のような幼さを感じる。
つまり、見た目は大人、頭脳は子供? ……ってなんか捉えようによっては失礼やな、それ。ま、なんつーか不思議な雰囲気を持っとる人やな。
流れるようなプラチナブロンドの長髪は、揺れるたびに店内のライトを反射させてきらきらと輝き、
右目にエメラルドグリーン、左目に淡い空色という所謂オッドアイの瞳を持つ彼女の姿は、周りのジャパニーズの視線を集めるのには十分やった。

「いやぁええってええってウチはただヒトとして当然のことをしただけです…ハハハ」

改めて見るとホンマごっつ美人やなこの人!!なんか直視するのも恐れ多くて、思わず視線をそらし棒読み加減に言葉を返すウチ…。

「わたし、『マイラ』。あなた、名前は?」
「ウチの名前は有沢咲耶。えーと…、『アリサワ』はファミリーネームで、『サクヤ』が名前なんよ」
「『アリサワ、サクヤ』…? サクヤ……、サクヤ…。……、……」

ウチの名前を聞いて一瞬目を丸くしたマイラさんは、少し顔を伏せてウチの名前を反芻した。
え、ちょ、何や? まさかウチの名前って外国の言葉やったら変な意味なん!? なんか怖いからそんな考え込むんやめてや!!
ウチの心のうちの願いが通じたのか、パッと顔を上げてウチに言った。

「ねえサクヤ。これ…、えと、ハン、バー、ガー?」
「あー、えーっと、マイラ…さんは、ハンバーガー食べるの初めてなんや? 外人さんやったら割と食べとるイメージあったけど…」
「マイラで、いいよ。サクヤ」
「んじゃ遠慮なく…。マイラはハンバーガーを食べるのは初めてなん?」
「うん、初めて。いつも、チューブから、ごはん、食べてたから」
「そう……やったんか。……なんか、辛いこと聞いてしもうたね。かんにんな」
「辛い…? マイラには、よく、わからない。でも、お外に出られて、うれしい」
「せやな…。こうやっておなか一杯にご飯を食べられるのも幸せな証拠やな」

目の前で残りのハンバーガーをバクバク詰め込んでいるマイラを見ながら、ウチは目を細める。
つまりこういうことやな。マイラはでかい病気かなんかで、小さいころからこの辺の病院にずっと入院しとった。
……きっと、マイラにとっての世界は、あの白い病室の中だけがすべてやったんやろう。
見た目は大人やのに、子供っぽいところがあるのは…… たぶん、子供から大人になれる時期をちゃんと過ごせてなかったからかもしれへんな。
…うん、我ながらPCゲームのヒロインみたいな設定やと思ってしもうたけど、現実にこういう人きっとおると思うねん。

「サクヤ、サクヤ、これ…、おいしかった。もっとたべたい」

びっくりするほど無表情なマイラやけど、瞳だけははキラキラと輝いていた。
ってアカンまずい!!アンタどんだけ腹ペコなんや!!これ以上注文されたら有沢家破産は確定や…!!!

「い、いやー。マイラ? ウチはその、もうこの辺にしとったほうがええかなーって思ってたりするねん」
「どうして?」
「ほらだって、好きなものでも食べ過ぎたらすぐ飽きてまうやん?
 だから、今日はこんだけにしといて、次の楽しみにとっといたほうがええで?」
「うーん……。わかった、そうする」
「せやせや。それがええよ! ……あとな、今回はウチがおごるけど次は自分でお金払うてや…

ふぅー… これで有沢家破産の危機は免れたな。いやでも十分痛い出費やけど…。
財団裏切る言うても、正式に辞めて退職金もらってからにしたほうがよかったかな?
大量の紙くずを片づけて、ウチらは店を出た。…外ではまだ、強い雨がずっと降っとった。なんやちょっとでも弱くなっとってもええやん…。

「マイラ、もう調子は大丈夫なん?」
「うん、大丈夫。マイラ、バリバリ働ける」

「むんっ」と小さく息を吐いて力こぶを作るマイラ。…まあ本人がこう言うてんねんやったら大丈夫やな。うん。

「今日は、ありがとう。たのしかった、です」

ペコリと頭を下げるマイラに合わせて、思わずウチも「いえいえこちらこそ…」と頭を下げてしまう。
しっかしおいしいキャラしとるで…。次描く本のキャラのモデルにちょっと使わせてもらおうかな、と軽く本気で考えてしもうた。

「わたし、これから、お仕事だから、もう行かないと」
「そうやったんか。……って、あっ。そうやウチもこの後学校やったわ…、はぁ、ちょっと憂鬱かも」
「…じゃあね、サクヤ。次会うときも、なかよくおはなし、できたらいいね」
「ほなな、おおきに〜」

マイラはウチに手を振ると、レインコートのフードをかぶり、降りしきる大雨の中をゆっくりと去って行った。

「なんか、不思議な人やったなぁ」

ウチも大概不思議な人たち(ex:退魔刀を振り回すヤクザの娘の女子高生、獣に変身する能力を持った建設現場でバイトする女子高生)と会ってる気はするけど、
なんというか、マイラは一味違ったミステリアスさを醸し出し取るというか…。それこそマンガやアニメで見るような謎の女性ポジションみたいや。

「おっと、もうこんな時間や! ちょっと急がな授業に遅れてまうな…」

傘を広げたウチは、走っ……たらめっちゃ濡れるから、雨に濡れないように早歩きをする。
また、マイラに会えたらええなあ…。時間があったらもうちょっとお話ししたかった…と、今日出会った不思議な女性の姿に思いを馳せるウチなのでした。

……せやけど、このずうっと後に、マイラとの再会が最悪の形で叶うことは、ウチの『未来予知』でもまだ予想はできていなかった。


…。


時刻は同日の夜中。夕刻から降り出した大雨は未だ止むことを知らず、水はけの悪い路上では広い範囲で雨水が溜まり、まるで水路のようだ。
他の建物の光は消え、街灯の淡い光だけが雨に揺れる中、市内某所の路地裏にひっそりと存在している小さな雑居ビルだけが明かりを灯していた。
明かりのついた二階を覗いてみると、事務所スペースの中にスーツ姿の怪しい外国人が十数名ほど確認できる。
厳かな空気の中、扉を開けて、前髪が禿げ上がったやや肥満気味の中年日本人男性が入ってくる。
このビルの中では、ある"取引"が行われようとしていた。

「―― ミスター・シュドウ。例のものは持ってきたか?」
「ああ、このアタッシュケースの中だ」

『シュドウ』と呼ばれた肥満体型の日本人男性は、アタッシュケースを開いて中身を外国人たちに見せる。
中に入っていたものは、1TBの『四ツ電』製のUSBメモリだった。スーツ姿の外国人たちはニヤリと笑う。

「このUSBの中に、四ツ和の銃器製造技術のすべてが入ってる。世界のあらゆる銃器メーカーが欲しがってる技術だ。
 あんたらこそ、それ相応の金は持ってきたんだろうな?『兵器密売組織』のみなさん?」
「もちろんだ。だが、まずはそのUSBの中に本当にデータが入っているか、このパソコンで確認させてもらう。金の話はそれからだ」

この日本人男性・シュドウは『四ツ電』で中間管理職を務めていた人物である。
彼は今、極秘とされている四ツ和の銃器製造技術を、外国の兵器密売組織に売ろうとしていた。
パソコンに表示されたデータを見た密売組織の一員は、感嘆の声を上げる。

「なるほどな…。これは各国の銃器メーカーが『ヨツワ』の技術を欲しがるわけだ…。
 こいつぁ高値で売れそうだ…。ミスター・シュドウ、約束通り、金は貴方にお渡ししよう」
「へへ、サンキュー。安澄工場が潰れた後のゴタゴタのお蔭で、こっそりデータを盗めたのが幸運だったぜ。
 大金ももらえたことだし、俺はさっさとトンズラさせてもらうか……」

ガチャッ

シュドウが扉を開けるよりも早く、出口の扉が何者かによって開かれた。
その来訪者は、白いレインコートを着たプラチナブロンドの女性だった。
外を出ようとしたシュドウは訝しげな表情をし、後ろで引き上げの準備をしていた組織の男たちに尋ねる。

「………? なんだ、この女。あんたらの仲間か?」

しかし、密売組織の男たちの反応は、シュドウが予想していたものと違っていた。

「誰だその女…」「知らないぞ」「おい、見張りはどうした…?」「そういやさっきから連絡が…」
「お、おい…どういうことだよ…じゃあこの女は……いったい…!?」

組織の男たちは顔を見合わせてざわつき始め、シュドウも顔を蒼ざめさせる。

「待てよ…。この女……、ま、まさか――!?」

シュドウが何かに感づいたと同時に、女のエメラルドグリーンと空色のオッドアイがギョロギョロと蠢き、部屋の中にいた男たちを補足した。
……その瞬間、小さな雑居ビルの窓から漏れる光は真っ赤に染まった。


…。


それから数分後、白いレインコートを赤黒く染めたプラチナブロンドの女…もといマイラが、
機密情報の詰まったUSBが入ったアタッシュケースを片手に、雑居ビルの階段を下りていた。
そして彼女は白いスマートフォンを取り出すと、どこかへと連絡を行う。
数回ほど呼び出し音が鳴ったあと、聞き覚えのある声の男が電話口に出てくる。

『…ああ、君か。"仕事"は終わったのかね?』
「……はい。これで、全部、おわりました。"うらぎりもの"が、もちだした、機密情報も、とり戻しました」
『そうか、そうか。初めての仕事にしては…まあ及第点だな。うむ、よくやってくれたよ』

たどたどしい日本語で報告を行うマイラ。応対する声の主はあの四和会長。どうやら彼女は財団の関係者だったようだ。
「ありがとう、ございます」と、マイラは階段を下りながら受話器の向こう側の四和会長に軽くお辞儀をする。

『それにしても、君には裏切り者の始末を二件だけ任せていたつもりだったが…、一つ目と二つ目の仕事の間になぜこんなにも時間が空いてしまったのかね?』
「ええと…、それは……、おなかが、すいていたから、です」
『何?どういうことかね?』
「最初に、を、使ったとき、急におなかがすいて、動けなく、なっちゃったん…です」
『……なるほど…。うーむ、そういう欠点が…どうやら、「計画」を実行に移すにはまだまだ調整が必要だな』

マイラの言葉を聞いて何かを理解したらしい四和会長は、『ふぅ…』と、息を整えなおして話を続けた。

『それで…ほかに、変わったことはなかったかね?』
「変わった、こと…」

階段を下りたマイラは一度足を止めて、少し考え込む。
彼女は、昼間に有沢咲耶と出会った時のことを思い出していた。
有沢咲耶が、財団が捕獲対象にしている『ロード』という存在であることは、マイラもブリーフィングを受けて理解していた。
よって、四ツ和財団に反旗を翻した彼女との接触があったことは、絶対に報告しなければならない。
だが、彼女の口から出た言葉は…。

「…あの……、いえ…。特に、変わったことは、ありません、でした」
『………そうか。わかった』

ここで何故か、彼女は嘘の報告をした。
有沢咲耶にご飯を食べさせてもらった恩なのか? 少ない時間だったものの、共に楽しい時間を過ごしたからなのか?
自分でも理由はよくわからなかったが、本当のことを言いたくないと思ってしまったのだ。
そんなマイラの思いには気づかず、四和会長は彼女に次の指示を行う。

『さて……、君も初めての仕事で疲れているだろう。今日は"あそこ"に戻ってゆっくり休みなさい。
 そこに財団の車両を向かわせている。たぶん、もう到着している頃だとは思うが』

マイラが雑居ビルから出たところの路上に、黒塗りのライトバンが停車していた。
彼女がビルを出たのに合わせて後部座席のドアが開かれ、中で待機していた財団関係者が「こっちです」と、手で合図する。

「(せっかく、お外に出られたのに……)」

合図に従って車に乗り込む彼女はやはり無表情だったが、この時だけは、どことなく悲しげな瞳をしていたような気がした。

『では、これから君は私の秘書兼ボディガードとして頑張ってくれたまえ…。結城舞良(ゆうき まいら)君』
「わかり、ました……お父様

『マイラ』改め、結城舞良は通話を切ると、ゆっくりと視線を窓の外へと向ける。外では変わらず激しい雨が降り続いていた。
果たして彼女は心の内に何を想っているのだろうか。マイラは車に揺られつつ、未だ荒れ続ける夜中の空模様を虚ろな瞳で見つめているのだった。


『ヒューマンハンティング』が終わりを告げ、世の中にひと時の安寧が訪れる。

しかし、この事件を機に社会の在り方は大きく変わってしまった。

そんなさなかに、この物語の舞台に新たに加わった女性、『マイラ』。

彼女の存在は、物語の行く先をかき乱すかのように立ち込める暗雲となるのか。

ただ一つ分かっていることは、嵐が過ぎた後にやって来ようとしているのは凪などではなく、さらに強い嵐なのである…。


次回へ続く…。


作:黒星 左翼