市に虎を放つ如し





ねぇ、あずさ。やっぱり、また胸騒ぎがするの。

…え?どうしてって?うーん、そうね…。

前も言ったけど、お姉ちゃんも昔はたくさんの魔物と戦っていたから、こういうときのカンは鋭いの。

これから、とてつもない『何か』が動き出そうとしているって。


市に虎を放つ如し

第八話 兆候



時刻はすでに夜中の二時を過ぎていた。『草木も眠る丑三つ時』が示すとおり、草木を揺らす風の音もなく、あたりはしんと静まり返っている。
ここは安澄(あずみ)市。織笠市から電車で三、四十分程度の圏内にある町である。

その市内でも、とくに北部の地域に、壮麗で荘厳な純和風の大邸宅が存在していた。
日本の伝統的な様式を多く残すその外観は、過去の時代からタイムスリップしてきたのかと思ってしまうほどで、
そのためか周りに建つビル郡や家からは大きく浮いてしまっている。

その邸宅に住まうのは鷹森家の人々。つまりはこの安澄市を影で統治しているヤクザ・鷹森組の本拠地であり、鷹森梓の自宅でもあるのだ。
…といってもヤクザという一面は建前であり、実は平安時代から代々続く退魔の一族、という側面を持っている。

この町には『安澄守』と呼ばれる退魔の一族が五家あるのだが、ここでは割愛させていただく。その中のひとつがこの鷹森家であるが、
昔の様式をそのまま残したこの家は国の重要文化財として登録されており、月に一度、週末には庭園と屋敷の一部は開放され(入場料:一人120円)、
美しい庭や、昔の人々の生活を垣間見、さらにこわもてのお兄さんたちのぎこちないスマイルが拝めるなど、なんだかんだである程度は町の人とは慣れ親しんでいる。

しかし、明かりも消えた深夜のこの邸宅の中でも、独立した建物である『会所』ではまだ明かりがともっている。
ここでは、鷹森組の上層部の会議が行われているのだ。

「ほ…、本当にあの橋本組なのですかい!?」

幹部の一人で、金髪の痩身で、耳にピアスをつけている男性、篠崎が声を上げて驚く。残りも幹部たちも顔を合わせていた。
その中、隣で正座していた黒髪の短髪に色黒の肌で、サングラスをかけた大男、須田は言う。

「お嬢が言った話なのであろう?間違いあるはずがなかろうが」
「しかし。お嬢の言が必ずしも正しいというわけでもない。」

須田が言うや否や、黒髪の角刈りで、無精ひげを生やした男、藤浦が意見した。
その意見に乗るように、茶髪で長髪の男、柿村も発言する。

「そうすね。お嬢には悪いすけど、やっぱりにわかには信じがたいすよねぇ」

あーだこーだと勝手に議論を始めてしまう幹部たち。

「………お前ら」

前方であぐらをかき、腕を組んで座っている男の声に、口々に発言していた幹部たちはビクゥ!と前を振り向く。
彼らが黒いスーツを着ているのに対して、その男は和服を着ており、傍らには松葉杖を置いている。
黒髪のオールバックで屈強な体つき、金剛力士のような険しい顔には左あごから頬にかけて傷がついている。
その男は金剛力士のような顔をさらに険しくしてこう言い放った。

「私の可愛い娘の言葉を信じられないというのか?」

この男こそが鷹森梓の父親、鷹森家第62代当主であり、鷹森組組長の鷹森満時(みつとき)である。

「「も、もももっ、申ッッし訳ありまッせんでしたァァーーーッ!!」」

幹部四人は涙目になりながら同時に頭を下げる。
幾多もの修羅場を潜り抜けてきた男の眼力とは、まったく恐ろしいものだと悟った四人である。
満時はそんな部下たちの様子を見て、ふぅ、と大きくため息をついた。

「まぁわかればよい。だって私の娘が嘘をつくはずなどないからな!」
「「(……。この男は…ッ!!)」」

一人悦に入る満時に微妙に納得がいかない幹部四人だったが、ここは必死でこらえる。
さっき思ったことを訂正しようかな、と思ったところであったが、話は本題へと戻る。

「…やつらがこちらの行動に気づいたとなれば、もうすでにやつらなりに行動を起こし始めているはずだ」
「それは、お嬢と南陽子という女との対決が知られてしまっている…ということですかい?」

篠崎の問いに、満時はうなずく。

「そういうことだ。うかつだったな、やむをえない事態だったとはいえ、情報がもれていたとは…。
 おそらく、あのときに襲われていたという梓の友達…、董子ちゃんと言ったか?彼女から伝わった可能性がある」
「あの少女は、聞くところによれば、橋本組が世話をしていたようでありますからな…」

須田の言葉を聞いてから、少し考え込むようなそぶりを取って満時は言った。

「…ふむ。いずれ、やつらとは決着をつけるつもりだったさ。その時期が少しばかり早まっただけのこと」
「となると。やはり組長はやつらと全面闘争することをお考えか。」

満時に鋭い視線を向ける藤浦。

「ああ。ただし、相手の出方を見てからだ。こちらにも準備が必要だからな」

それを聞いた柿村はさっと携帯電話を取り出して、どこかへと連絡をかけようとしている。

「では、早速足りない武器の確認と手配にかかります。それでいいすよね?」

ふむ、と満時は柿村の顔を一度見て、

「お前はいつも行動が早くて助かるな。とりあえず、今日はこれにて解散とする。
 各々、部下たちにはしっかりと伝えておいてくれ。ただし、娘たちの耳には入らないように。
 とくに梓にはまだあの町で退魔の任を続けてもらわなければならないからな。」

幹部たちは『わかりました!』と同時に返事をして立ち上がり、それぞれ散ろうとするが、
『待った』、と満時は彼らにストップをかけた。それに振り向く幹部たち。

「すまない、最後にひとつ言っておく」

満時は四人の顔をしっかりと見据えると、今まで以上に厳かな声で言った。

「いつものことだが、殺傷は許さん。あくまでも、私たちが本当に刃を向ける相手は魔物だ。…いいな、それだけは忘れるな」

彼らは、ヤクザである前に退魔の一族である。本来は人を殺傷する立場ではないのだ。
幹部たち四人も、それは大いに理解していた。現に、ほかのヤクザとの闘争のときでも、死傷者はまったく出していないという。
そんな四人の中の代表のような形で篠崎は言った。

「えぇ。それくらいは俺たちもわかっていますよ。でも、怪我はさせてしまうかもしれませんけどね。…ところで、組長は今日も考え事ですかい?」
「まぁ、そんなところだ。お前たちは先に行っていてくれ」
「もう夜も遅いことですし、組長も早くお休みくだされ。では、我々はこれにて」

須田が最後にそういうと、幹部たち四人は全員礼をして退室し、それぞれの部屋へ戻っていった。
会所に一人残り、物思いにふける満時。

「…もう、十数年も前になるのか」

そういいながら、満時は自身の左足の太ももの辺りをさする。
そして、彼はかつて起こった闘争…その中での『ある魔物』との戦いを思い出していた。
かつて鷹森組率いる安澄守五家が挑むも痛手を負い、満時自身も左足の神経に影響を与えるほどの大怪我をし、
自らのふがいなさと惨めさを思い知らされたあの戦い。それは今でも鮮明に記憶に刻み込まれている。
この怪我のせいで、当時中学生だった梓の姉、しとみに退魔の任を譲らざるを得なくなってしまっていたのだ。

「橋本組が動くなら必然的に『アイツ』とも戦うことになるかもしれないということだな…、
 上等だ。今度こそ、あのときの落とし前をつけさせてもらおう…!」

この男は拳を握り締め、胸に誓った。
町や人々の平穏のため、そして愛する娘たちのため、この戦いには必ず勝つ、と。

…。

そんなこんなで翌日。

思えば、今日も一日が早く過ぎていったような気がした。
すっかり暗くなった外の景色をみつめ、ウチ…、有沢咲耶はそう思うのだった。
とんとん、と教科書をそろえてかばんにしまいながら、今日のことを思い返す。

最近、獅子土さんと鷹森さんは少しぎくしゃくしていたみたいやったけど、最近は前みたいに一緒におることが多くなったし、
そんな彼女たちを見た松沢くんは獅子土さんに余計なことを言っては殴られ…、………。
うぅん…。よくよく考えてみれば今やその行事(?)が定例化してしまっているような気がする…。

…過ごしてきた日常に少々疑問を抱きはじめてしまったわ。そもそも、普通の日常ってどんなものなんやろ?
かばんの中に教科書を入れ終え、獅子土さんたちのほうにちらっと目をやると、鷹森さんと談笑しているようやった。
でも、獅子土さんはちょっと無理をしているように見えなくもない。ウチの気のせいかもしれへんけど。

「橋本組か…」

獅子土さんを見て思わず、うわごとのようにぽつりとつぶやいてしまった。
彼女を送り迎えをしている『橋本さん』という人は、十中八九、橋本組の組長の橋本渉という人で間違いはあらへんやろう。
そのため、彼女と組とのつながりが濃厚だということは、以前ウチが上司に連絡したとおりや。

しかし、今朝早くから『上司』からの通達があった。何でも、橋本組の監視を任されていた監視員の人からの連絡が途絶えたとか。
まだその人の所在はわかってないみたいやけど、彼が無事ですんでいないのは簡単に想像できる。
次の指示は様子を見てから出すとのことで、上の人たちはたぶん今頃対策を考えているところやろうか。
…もし、ウチも獅子土さんを監視していることがばれたら、あの監視員の人みたいになってしまうんかな…?
さまざまな悪い想像をしてしまい、ウチはブンブンブンブン!!と首を振った。獅子土さんによると橋本さんはいい人らしいし、だいじょうぶ?やんな?

また、鷹森さんのことについては、相変わらずまだ模造刀の評判は悪いみたいやけど、
今のところは(疑惑はあるけど)まだ学校内外での問題は起こしていないようやし、
そのようなそぶりも見せてへんから、現時点では心配するようなことはあらへんやろうなと思う。
もちろんウチは好きでこんなことをしているわけではないけど、ウチの両親が『四ツ和財団』の暗部に関わっているため、
『上司』の言うことには絶対逆らえへん。ほんまは、彼女たちとは普通の友達のままでいたいのに…。
現実っちゅうのはほんまに非情なんやなぁ…と、ため息をついたそのときやった。

ぶゴォォァァあああぁぁぁああああ!!?
「のわぁっ!?」

考え事をしていた時に、松沢くんがこっちに飛んできてびっくりしてしまった。またちょっかいを出して殴られたんやろうか。
ガタゴトガタ!と、いくつかの机やイスをなぎ倒しながら飛ぶ松沢くんは、ちょうどあたしの目の前の床でストップし、仰向けに倒れている。
ウチは考え事を一時中断して、気絶した松沢くんを起こすことにした。(これも日課になっとるような…)

「ま、まったくもう… 健太郎のヤツときたら…ッ!」
「おーい、健太郎ー、生きてるー?」

手をぱんぱんとはたきながら、顔を赤くして(おそらく怒りで)ぷいっとそっぽを向く獅子土さん、
その隣では両手をメガホンみたいな形にして冗談交じりに叫ぶ鷹森さんをちらっと見てから、
目を回してのびている松沢くんの頬をぺとぺちとたたいて起こそうとする。
松沢くんはすぐに目をバチッ!と見開くと、ガバァッ!と上半身だけを起き上がらせた。

ハッ!!おっ、俺はっ!俺はいったいどうなったんだ!?」
「おわぁ!?」

その動作があまりにもいきなりすぎたから、そのとたんにウチは声を上げてしりもちをついてしまう。
ウチがしりもちをついたことを気にもせず、きょろきょろとあたりを見回す松沢くん。
前方にいる獅子土さんや鷹森さんを見て、ようやくすべてを思い出したようだ。

「そうかー、確か俺はまた董子に殴られたんだっけな」
「人だけじゃなくて、キオクまですっとばすなんて、やっぱり董子ちゃんのパンチはすごいんだね!」
「…はっはっはー。あずさー、それはほめているのか?それとも私にケンカを売っているのか?」
「ま、まぁまぁ…、落ち着きや。ほら、いつものこととは言うてもクラスの人もざわついとることやし、…な?」

引きつった笑みを浮かべ、今度は鷹森さんに対して拳を握り締めた獅子土さんを、ウチはまだしりもちをついたままの状態で制止する。
周りからは「今日もスゲー飛んだなー」とか、「飛距離新記録かも?」とか、「俺も殴ってくれ…」とかいう声とかも聞こえてきた。
……おーい、誰か変態がおるよ。こん中に。
獅子土さんもそんな周りを見て、これ以上何か起こすとヤバイと思ったのか、「…う、今日は見逃してやるけど次は怒るよ!」と鷹森さんに釘を刺す。
それに対して鷹森さんは「えへへ、ごめんね」と片目を閉じて頭をかきながら舌を出している。

「ふぅ、これで何とかなったなぁ…」
「くそぉ。鷹森が殴られそうになったら俺が割って入って代わりにケンカに持ち込んでいたのに」
「何、その変な執念」
「だって董子が殴っていいのは俺だけだからな!!」
「……すまない咲耶、もう一度こいつを殴っていいか?」

何やら不穏な会話を聞きつけた獅子土さんが、みたび拳を構えて歩み寄ろうとする。
まだ松沢くんはさっきの状態のままなので、このままではマウントポジションを取られてフルボッコにされてまう…!
しかし松沢くんはそれをわかっていてあえて逃げようとせず、なんかすべてを受け入れようとしているようや。
もうこれは冗談ではすまないような気がしてきたんでウチは両手を振って必死に叫ぶ。

「まっ、松沢くん!今度は本当に危ないって!今なら間に合うから早く謝りやー!」
「……ふっ、咲耶よォ。お前にはわからないと思うが、この逆境をひっくり返すことが真の男なんだよ…」
「なんかもう間違っとるやんな!?絶対おかしいやんな!?ほら、獅子土さんも落ち着ちついて!!」
「大丈夫だ咲耶。…………死なない程度には手加減するつもりだから
「董子ちゃん!?なんかもう目が据わっちゃってるよ!!マジで危ないからストーップ!!!」

さすがにこれは非常事態だと感じたのか、鷹森さんは怒りに燃える獅子土さんを羽交い絞めにした。
再び安堵の息をもらすウチ。はぁ、なんや今日はものすごく疲れたわ…。
それを見た松沢くんは絶望的な表情を浮かべ、バッ!とあたしのほうを振り向いて言った。

「咲耶ァーっ!なぜこう何度も何度も俺のジャマをっ――」

突然松沢くんの言葉がとまった。どうしたんや?と首をかしげてきょとんとするウチ。その目線をたどってみると、
どうやら松沢くんはウチの下半身を見つめているようだ。…あれ?そういえば、ずっとさっきから切羽詰っている状態やったから、
まだウチはしりもちをついたままで、スカートをはいているのに股を大きく広げ………、え?
一度首を下に向けて自分の状況を、次にもう一度松沢くんの視線を確認した。ちょっと待ちや。これはその、つまり…
………………………―――――――!?!?!?!?!?

「そ、その。し、白と、青の、しましまg」
い、いやぁぁぁァァーーーーッ!!
へどらッ!?

もう頭の中は真っ白やった。たちまち顔を真っ赤にしたウチは、何か言おうとしていた松沢くんをバキィッ!と感情のままに思い切り殴って、
泣きながら教室を飛び出し、どことなく全速力で廊下を走っていく。あわてて後ろから鷹森さんも追いかけてきた。
一方、松沢くんはというと、教室に居合わせた全員から冷たい目線を浴びせられていた。
周りをきょろきょろきょろと確認した松沢くんは、顔を真っ青にしてこう叫んだらしいわ。

え、何だ!?俺のせい!?俺のせいなのこれ!?俺、なんか今日殴られてばっかじゃねぇか!?

(※5分後くらいに咲耶は梓によって保護されました)

「…なっ、なぁ…、元気だしなよ、咲耶…?」

場所は校舎の前へと移る。
どーん、と暗いオーラを周りに出しながら落ち込むウチに、苦笑を浮かべながらも獅子土さんは優しい言葉をかけてくれはった。
鷹森さんもとなりであたしの頭をなでなでしてくれている。ええお嫁さんになるで…二人とも…。ウチは言葉も途切れ途切れになりながらも言った。

「……ぐすっ、み、見られ…ちゃったよぉ………、松沢くんに…ぐすっ、ウチの……大事な………、ぐすっ
「な、なんだかその言い方はいろいろとゴカイを招くような気がするけど…、とりあえず落ち着いて、ね? ほら、これハンカチ」
「……っ」

鷹森さんも頭をなでながらハンカチを差し出してくれた。ウチは小さく礼をしてハンカチを受け取る。
それに鷹森さんは「いつでも返してくれていいからねー」とつけたした。
涙を拭いて上を見上げると、頭をぽりぽりとかきながら申し訳なさそうな表情をした松沢くんの姿があった。

「さ、咲耶…。あー…、その、本当に、すまん」
「…うん、ええで…。ウチも…ぐすっ、急に殴ったりして…ごめんな…。」

冷静になって考えると、松沢くんに悪気があったわけじゃないし、多少なりともウチにも非があると思う。
もしすぐにウチが立ち上がっていたらこんなことにはならへんかったやろうし…。その他いろいろと後悔中。

「あっ、もうこんな時間か…。ごめんね、もうちょっとついていてあげたいけど、そろそろ行かないといろいろと時間がヤバくて」

腕時計をちらちらと見ながら鷹森さんが言った。それに続いて獅子土さんもはっとして、

「そうだ、私も橋本さんを待たせているからなぁ。健太郎、咲耶を頼んだよ。…というかもともとあんたのせいなんだからな」
「お前が言うんなら仕方ねぇなぁ〜。任せろ!

某WAWAWAの人よろしくガッツポーズをする健太郎くん。
さっきのしおらしいムードはどこ行ったんやろう。

「それじゃあねみんな。あたしは急ぐからっ! また明日っ!(…これからあの地区に行って終電までには魔物を倒さないとね)」
「…あずさはいつも走っているなぁ。じゃ、私も行くわね」
「うん、帰りには気ぃつけてな、ふたりとも」
「じゃあな董子ォ!覚えてろよ?明日は絶対に俺が勝つからな!」
だからくどいってのあんたは!

さよならを言うや否や風のように走っていき、あっという間に姿が見えなくなった鷹森さんと、
松沢くんに文句をたれながらかばんを肩に提げてそそくさと歩いていく獅子土さんをウチらは見送る。
鷹森さんが最後に何か言っていたような気がしたけど、よくは聞き取れへんかった。

「よし、二人とも行っちまったことだし…。俺たちもそろそろ行くか」
「…う、うんっ」

松沢くんの声を合図に、ウチらは松沢くんのバイクがとめてある駐輪場へと向かって歩き出した。
誰も見てへんかったと思うけど、二人で並んで歩くのはなんだか恥ずかしいなぁ…。これなんて恋愛ゲームのシチュ?
…駐輪場につくまでのことは特にここに書くほど進展はなかったので書かないことにした。
いつものように、ウチはヘルメットをかぶって、松沢くんの後ろに乗り、おなかに手を回す。
これでものすごく胸が密着することになるんやけど、その時たまにビクッとなる松沢くんの反応が面白いわ。ウブやなぁ。

「…うん、ウチは準備オーケーやで」
「よおし、それじゃあ行くぞ。しっかりつかまってろよっ」

松沢くんはちらりと後ろのウチを確認して、バイクのエンジンをかけた。
低い唸りをあげてバイクが走り出す。スピードが出てくると、寒空にさらされた耳を切る風が痛い。
でも寒さとは意外とすぐに慣れてしまうもので、その風すらも心地よいものに感じてしまう。
そんなことを思っていると、松沢くんが操るバイクは交差点を右に曲がって繁華街へと入っていった。
たくさんの飲食店が立ち並び、色とりどりのネオンやイルミネーションが彩るこの繁華街は、今は大勢の人でにぎわっている。
左右の歩道を見渡してみると、会社帰りであろうサラリーマンや、店から出てきた酔っ払い、カップルやその辺でたむろしている少年グループなどの姿を確認できる。
彼らの多くは前方にある大きな駅に向かって吸い込まれていく。確か、鷹森さんもこの駅で学校に通っているんだっけ。
きっと今電車に乗ろうとすると、人の波に押しつぶされてしまいそうな気がするわ。いつも一緒に送ってもらってよかった…と思っていると松沢くんが話しかけてきた。

「なぁ、咲耶。さっきのことなんだけどさ」
「もうその話はせんといてって言うたやろ」

むぅっ、とむくれてウチは頬を膨らませる。
冷たい調子で言ったため、松沢くんはあせったような調子で、

「…あ、あれー?俺はなぜか急にヤックでお前におごってあげたくなっちゃったなーなんて…」
「へーぇ」

ウチは松沢くんに抱きつく腕の力をぐっと強くする。
もともと密着ていた胸をさらに強く押し付ける。松沢くんは「ひょっ!?」と短く悲鳴を上げ、アクセルを握る手に余計な力が加わる。
いきなり急加速をしたバイクを見て、歩行者のサラリーマンや若者たちは「なんだなんだ?」などと言い合っている。

わ、わ、わっ!ば、バカ!!ちょっおまっなにすっ」

かなり裏返った声で松沢くんはしどろもどろになりながら言う。ウチは少し間をおいて言った。

「うーん…おしおき?」
「も、もう許してくれたんじゃなかったのかよ…」
「だって松沢くんがまたその話題を掘り返すからやで(ギュッ)」
だあああああ!!わ、悪かった、悪かったってえぇぇぇ!!
わかった!!俺なんでもするから!!たっ頼むから許してくれえええ!!!!


松沢くんは絶叫する。歩行者のひとたちの視線が痛く突き刺さるけど今はそんなことはどうでもええわ。
意外とウブな松沢くんはこういう攻撃には弱い。それがわかったのはちょっと前に同じようなことがあったからや。
松沢くんのバイクは駅前の信号で今度は左に曲がる。こっちは劇場や遊技場などが立ち並ぶ区域。やはりここでも大勢の人が歩いている。

「それじゃぁ…。明日はバイトも休みやし、今度こそ、その、一緒にデー…ちゃうちゃう、一緒にどっか遊びに行きたいんやけど」
「あー………悪いな、その日俺道場に行くから無理だな」
「……(ギュッ)」
みぎゃあああ!!だ、だだだだだだって、早く行かないt」
「前も行っとったやんか!」
「いや、そ、それはそうだが(あのとき道場開いてなかったなんて絶対にいえねぇ…)」

急に言葉に詰まる松沢くん。ここぞ一気に攻め時だとちょっとどすの聞いた声をきかせてウチは言う。

「…さっき松沢くんが言うとったこと、覚えてないん?」
「さ、さあ ナンのことかな」
「『なんでもするから』って言うたよな?男には二言はないんやんな?」
「うっ」

ここで一瞬の沈黙が生まれる。

「…………………………言ってな
言 う た や ん な ?
「…………ハイ。イイマシタ。

がっくりとうなだれる松沢くん。もう言い訳する様子はないようやな。勝ったッ!第八話完!

「しゃあねぇなぁ…。ま、たまには一緒に遊ぶのも悪くねぇか。えっと、咲耶は明日どこへ行きたいんだ?映画館とかにするか?」
「えっと、松沢くんが行きたいところなら、どこでもええよ?」
「じゃあじゃあ道場がだめならスポーツジm」
「あかん。やっぱり明日ウチが決めるわ。えぇと、どこにしよっかなぁー」

どこでもいいって言ったじゃねぇか…と、またもがっくりとうなだれる松沢くんであった。
ウチは周りのお店を見ながら、明日はどこに行こうかなと品定めをする。

「あ、そうや。嘘ついた罰で明日は全部松沢くんのおごりやからな」
「うぇ!?何で俺がそんな――じゃみらっ!?じょ、ジョジョに腕に力を入れるな!わかった、わかった!おごらせていただきますー!!」
「ふふん。じゃあ、決まりやな?」
「…そうだなぁ。ハハハ」

なんや知らんけど目の端っこのほうに涙を浮かべる松沢くん。久々に遊べてうれしいんやろか。もちろん、ウチもやで。
と、松沢くんのバイクはさっき彼が言っていたスポーツジムの前を通りかかる。
それをちらりと見つめた松沢くんは何かつぶやいた。

「…さらば、明日生まれていたであろう新必殺技」

それはエンジンの音でよく聞こえへんかった。
…かくして、ウチらは明日学校に行くまで一緒に遊ぶことになったんや。ほんまに久しぶりやなぁ。
たまにはウチも『仕事』を忘れてこういうことをしたってええやんな…?
明日のことを想像して、ふふっ。と笑みをこぼすウチ。好きな人と一緒にいられる時間って、ずっと大切にしたいもんやんな。
松沢くんのバイクはどんどん進んでいく。ウチらの家を目指して…。


…。


物語はこれで終わりではなかった。
一定の距離をつけ、二人乗りのバイクを追う一台の車があったのだ。
その車の運転手は男。車内は暗くて確認はしづらいが、オレンジ色のニット帽、ファスナーを全開にしたパーカーに、
ニット帽からはみ出た髪の毛は茶髪だが先端のほうは金髪で、見た目は二十代前半の若者である。
彼は携帯電話を片手に、運転をこなしている(※よい子は真似しないでね!)。

「…あのバイクの後ろに乗っている少女は、『アリサワ サクヤ』という少女で間違いないようだね。
 …うん。前に見せてくれた映像とも特徴は一致するよ。南さん」
『………暗男と…私の……観察力は………あなたたちにも………ひけをとらない……はず……よ……』

電話の相手は、なんとあの南陽子だった。以前鷹森梓と死闘を繰り広げるも敗北し、その後行方不明となっていた女。
彼女は『暗男』という影を操る影使いである。男はバイクの後ろに座っている巨乳メガネの高校生ではなく、
その前でバイクを運転している少年に視線を移して言った。

「しかしバイクを運転している…見るからに脳筋っぽい少年はなんなんだ?あの少年はデータになかった気がするけど」
『……あぁ…その人は……、松沢…健太郎……という…少年よ……彼は一般人…。関係……ないわ…………』
「そっかぁ。ま、別に彼の存在は気にするほどでもないかな」

その瞬間、バイクを運転している少年が少年がなぜかがっくりとうなだれた。
この会話が聞こえているのか?と男は一瞬考えたが、ただの偶然かとすぐに結論をつけた。

「話は変わるけど、暗男くんの調子はどうだい?」
『…まだ…ダメ……みたい……鷹森さん……との…戦いの……ダメージが…大きすぎるみたい………、
 それに…私も…あのときの……痛みが…残っていて………今は……動けそうに………ないわ………』
「ふぅん、じゃあ南さんは、もう少しおとなしくしていたほうがいいんだね」

ねぎらうような男の言葉に、ごめんなさいね、と南陽子は言う。
男は再び視線を有沢咲耶のほうへと戻す。

「ふーん、しかしこれからどうすっかなぁ。とりあえず、ぼくは咲耶ちゃんが完全に一人になるまで待つことにしようかな?
 前に南さんが董子ちゃんを襲撃したときみたいに、退魔の剣士に感づかれてしまうのも避けたいしね。
 …といっても、今の状態じゃあまだ気づかれないとは思うけど。それとあの子の行動パターンとかも把握したいし…、
 そうだね……。まだ何日か期間が要るかなぁ。できるだけ手荒なまねもしたくないしね」
『………あら…、……「彼女」………が…聞いたら……なんて…言うのでしょうね……』

南陽子の問いに男はふっと笑って答える。

「さてね。でもあまり『彼女』の力を借りることはしたくな……って、おぉわっとぉ!!

男の言葉が急に途切れたのは目の前の信号が黄色から赤に変わったからだ。あわてて急ブレーキをする。
男の体が重力で前に引っ張られ、携帯電話を落としそうになるが何とか持ちこたえる。
バイクとは距離を開けていたため、信号に引っかからなかったバイクは先に行ってしまった。大勢の人が横断歩道を渡ってきているため、
信号を無視してバイクを追いかけることは難しいだろう。仮に突破したとしても、バイクはどの道へ行ったかわからなくなってしまう。

「あーあ、行っちゃったね」
『……どう…したの………?』
「ああ、いやいや。赤信号に引っかかっちゃっただけさ。一応、社会のルールは守っておかないとね」
『…そう……とりあえず………「あの方」…には………私が……かわり…に………伝えて…おくわね………。
 じゃあ…そろそろ……電話を…切るわね………頼んだわよ……、……東城静一(とうじょうせいいち)さん……。
 …そして……、あなたの……「彼女」…の……小闇(さやみ)さん……。』

ガチャ、という音がして電話が切れる。東城と呼ばれた男は携帯電話をぱたん、と閉じてパーカーのポケットの中にしまいこむ。
そして助手席においてあるスーパーの袋の中から缶コーヒーを取り出し、それをゴクッと一口飲んで、独り言を漏らした。

「ふぅ。できれば、『小闇さん』の力は借りたくないんだけどね。…って、これ聞いてたら怒るだろうなぁ。彼女。
 …まあいいや、バイクがどこへ行ったのかもわからないし、今日の追跡はこの辺にしておいて、また別の日にしますかねぇ。」

信号は青に変わり、とまっていた車は動き出した。そして車は直進したり曲がったりを繰り返し、各々の行き先へと向かう。
東城は口の端に笑みを浮かべ、彼の車もまた、そのような車たちの中の一台となり、夜の街へと消えてゆくのである。


身を切るような寒さの中、明らかとなった南陽子の生存。そして仲間の一人と思しき青年、東城静一の出現。

獅子土董子、鷹森梓に続き、有沢咲耶にもいよいよ怪しい影が忍び寄りつつある。

橋本組、鷹森組、四ツ和財団とも違う四つ目の組織、『影の勢力』。

彼らはこれからどのような形でこの騒乱に加わってゆくのであろうか…。


次回へ続く…。


作:黒星 左翼