市に虎を放つ如し





有沢咲耶はただ呆然と立ち尽くしていることしかできなかった。

自分を襲った青年は南陽子の仲間らしく、影を変化させ自在に操っており、

自分を助けてくれた男性は、なんと自社と対立する焼石カンパニーの社長で、イフリートとかいう精霊の最上位らしい。

そしてそんな彼らの激闘を目の当たりにしているのだ。

何が、どうなっているのか?もうわけがわからない。脳がまったくついてこない。

まるでアニメや漫画のような非現実な展開だ。信じられるわけがない。

そんな彼女の思いなどよそに、この戦いは終局へと向かおうとしていた…。



市に虎を放つ如し

第十一話 更なる強敵



普段は人通りの少ない狭い路地裏。しかし現在は小闇によって人払いの結界が展開されており、普通の人間は侵入することができない。
その中で、影使い東城静一(&小闇)と精霊焼石徹はにらみ合っていた。
だが、うかつに動けないのは東城と小闇のほうだった。その証拠に、焼石の表情には余裕の笑みがあった。
うかつに動けばやられる。小闇はそう確信していた。相手は精霊イフリートの最上位、インフェリーノ。
まともにぶつかって勝てる相手ではない。ましてや、まだ東城とは完全に同化できていないこの状況では。
青く光る小闇の眼は焼石を見据え、心の中で浮かんできた疑問を呟く。

「(なぜ……?この男が……、焼石徹が……こんなところにいるのよぉ……ッ!?)」

東城静一は、普段小闇の能力を心の奥底に封じ込めることで魔物の気配を消し、普段通りの生活を送りながら『影の勢力』に協力をしている。
今回の有沢咲耶尾行作戦は、魔物に敏感な退魔の一族でも気づいていなかったはず。なのになぜ、この男は結界に侵入し、咲耶を助けたのか。
当の小闇にも、小闇の代わりに意識の奥底にいる東城ですら、その答えを知りえることができなかった。
この期に及んで動揺の色を隠せない小闇の心情を知ってか知らずか、

「どうした?そっちから来ないんだったらこっちから行かせてもらうぜ」

そのまま笑みを崩さずに焼石は言った。
全身に炎を纏ったこの男はゆっくりと東城たちに近づいていく。
一歩一歩、地面を踏みしめるごとにジュゥゥ…という音を立ててアスファルトが溶けてゆく。
まるで新雪の上を歩いたかのように、焼石の足の跡がくっきりと残っている。
眼前にせまる脅威。この男の正体を知ったときからすでに焦りと緊張で思考能力が飛びそうだった小闇だが、
ここにきてついに理性が砕けた。

「ぐッ、ォォォォォぉぉぉおおおおオオオオオオオオオオオオオオッ!!!

小闇は九つの尾のような姿に変化し、絶叫にも似た雄たけびを上げながら、焼石に連続で攻撃を浴びせた。
彼女の本質は多彩な変化能力にある。それは彼女を形成する思念の一部となっている魔物や動物などの魂から能力を引き出しているだけに過ぎないのだが、
そのレパートリーは計り知れない。咲耶の持つ拳銃の弾丸を防いだのも、彼女の能力のひとつである。
スドドドドドドドドォォォン!!という爆音が響く。彼女の攻撃は周りのビルの壁やアスファルトをも崩し、破片から生まれた砂塵が狭い路地を埋め尽くす。
焼石が復活したため、炎の壁に守られている咲耶も、襲いくるちりとほこりにはどうすることもできず、咳き込んでしまう。
勝算などはすでに考えておらず、必死の思いで焼石にありったけの力をぶつけた。そして、元の女性の姿に変化する。

「ハァ……、ハァ……。い、いくら精霊の上位といってもぉ、さすがにこの攻撃をくらえb」

そこまで言ったところで、小闇は目の前の光景を疑った。
舞いあがる砂塵を片手で払い、映し出される人影。全身に炎をまとった身体。
それはまさしくあの男のものだったのだ。そして彼は、さも退屈そうに言った。

「おいおい、この程度か?三下ァ」

小闇はその言葉に愕然とした。

そんなばかな。

なぜ、これだけの攻撃を受けて無傷でいられる…?

小闇は改めて大きすぎる実力の差を感じた。
テレビゲームのRPGでたとえると、序盤のレベルでラスボスの実力を凌駕する隠しダンジョンのボスに挑むようなものだ。
焼石から見れば、今の小闇たちの実力はまったくもって話にならないのだろう。
それをわかっているつもりでも、やはり小闇は認めたくなかったのだ。

「さて、こっちもお返しをさせてもらうか」

ズズッ…、と焼石の片足が半歩前にゆっくりと動く。
その手には新たな炎の塊が形成されつつある。おそらく攻撃態勢に入ろうとしているのだろう。

「くっ、させるかぁッ!!

小闇は巨大な爬虫類の頭のような姿に変化し、ゴバァッ!とその大顎で焼石を噛み付く。
攻撃の準備が終わるまでに相手をつぶす。我ながら卑怯な戦略ではあるが、なんとしても勝機を見出したかったのだ。
しかし、その顎が焼石を捕らえることはなかった。理由は単純、焼石の姿がそこになかったからである。

「なっ、き、消えたぁ…!?」

攻撃に寸分の狂いはなかった。この大顎であの巨躯を噛み砕いたはずなのに。
突然の出来事に面食らった小闇は、急いで元の姿に戻り、周りを見回す。
本体の東城にも思念を送り、ややぎこちない動きであるが彼も背後を確認する。
しかし、焼石の姿はどこにも見当たらなかった。

「おいおい、準備くらいは最後までさせてくれよ」

ふいに頭上から声が聞こえた。
バッ!!反射的に東城と小闇の顔が上を向く。
その視線の先、正確にはビルの五階ほどの高さに、焼石の姿があったのだ。
彼の両手にはバスケットボール大の炎の玉が浮かんでいる。
そして右手を振りかざし、投球をするようなモーションに入る。

「それじゃぁいくぜ。野球の練習だ」

焼石はそういうと、ふっ!と息を吐き、まずは右手、次に左手という順に連続で炎の玉を放つ。
彼にしてみればほんの小手調べに過ぎないのであろうが、小闇たちにとっては一撃一撃が重く強大なものとなるだろう。

「あ、あれを食らったらひとたまりもないわねぇ…! 影よ、アタシたちを守りなさい!!」

小闇はバッ!と拳を振って叫ぶと、東城の影がドーム状に変化し、二人の上を覆う。
その防御体勢を取った瞬間、ドォン!ドォン!ドォォン!!と立て続けに炎の玉が炸裂した。
それは戦闘機の集中爆撃を受けたかのような衝撃と音を周りに響かせる。
影のバリアで炎の玉をなんとか防ぐ小闇と東城であるが、その表情にはまだ不安の色が見て取れた。

「(……ま、まずいわぁ、静一さんの体力ももう限界に近い…ッ!)」

先ほどから能力を無茶に使用していたためか、二人の力は限界に近づきつつあった。
小闇の能力は本調子ならば強力なものであるが、その力を行使すればするほど東城の体に大きな負担がかかる。
その負担が限界を超えると、強制的に体の主導権は小闇から東城へと戻り、しばらくは彼女も能力を使えなくなるのだ。
この防御の能力も、東城の体力をじわじわと削っていき、小闇自身も疲弊しきっていた。
かといって、今防御を崩して攻撃態勢に入ってもこの爆撃の雨をよけることができない。
どうする。このまま体力が切れるまで耐え続けるか。それとも決死の覚悟で炎の玉に突っ込むか。
どちらにしてもリスクを伴う選択を迫られていた。

「(ど、どうしろっていうのよぉ…っ!)」

影のバリアも限界に近づき、小闇もあきらめ始めたころ。

突然、音と衝撃が消えた。

すでに二、三発は着弾しているくらいの時間はたっているのに。

「まさか…」

そのとき、小闇は爆撃の雨が止んだのを確信した。

「しめたわぁ!チャンスよぉっ!!」

これは好機だ。
やはり最強の精霊といっても連続で攻撃を出し続けると力を消費するのだろう。
わずかだが、数度か影を変化させて攻撃できるくらい体力の余裕はある。天は我らに味方をしたのだ。
防御体勢を解き、すぐさま攻撃態勢に移ろうとする。

「(……!?)」

先ほどの爆撃の影響で出た黒い煙が、自らの周りを包んでいたことに気がついた。
自分は平気だが、煙を吸い込んだ東城は大きく咳き込んでいる。
いや、問題はそれだけではなかった。

周りがまったく見えない。

小闇は冷や汗をたらす。まずい。これではいつ攻撃をされてもおかしくはない。
攻撃がやんだからといって不用意に防御をといてしまったのはうかつだった。
浮かぶ考えはひとつ。

「(しまった、急いでもう一度防――)」

心の中でそう思った瞬間だった。
再び防御を仕掛ける前に、猛スピードで放たれた炎の拳が東城の腹部を直撃したのだ。

ズゴォォォォォォォォォン!!

人体にぶつけたとものとは思えない轟音が炸裂した。
その瞬間、東城は口から嘔吐物とともに血の塊を吐き出した。
そしてそのまま小闇もろとも、弾丸のような速度でつき飛ばされる。
小闇にもダメージは伝わり、体が真ん中で千切れたかのような痛みが彼女を襲う。

ぐあぁぁあアアァァアァアアアアァァーーーーーーーッ!!!

猛烈な痛みとともに、自分の意識が途切れていくのがわかる。

こ、の…、…アタシ…が……

痛みで言葉うまく出せず、小闇は搾り出すようにつぶやく。
そう、これは完全な敗北だった。
怒りと焦りに任せて攻撃をしてしまったのがそもそもの間違いだった。
男の正体を知ったとき、咲耶をあきらめて逃げてしまえばこんなことにはならなかったはずだ。
今回は負けず嫌いという彼女の性分があだとなってしまった。
一応は自業自得なのにもかかわらず、力の限り小闇は怒り叫んだ。

焼石徹!!このアタシと静一さんを傷つけたことは絶対に絶対に許さないわよぉぉ!!
アンタが精霊の最上級だろうがなんだろうが次はこうはいかないわぁ!!
だから覚えておきなさいよぉクソ野郎がアァァァアァァァァァアァアアァァアァッ!!!


典型的な小物がはくようなセリフを最後に、小闇の意識は完全に消滅した。
黒煙を吹き飛ばしながら突き進んでいた東城の体は、アスファルトに数度バウンドし、
数十メートル飛ばされたところで、停めてあった自動車に激突して、ようやく静止した。

いつの間にか、姿が人間のものとなっていた焼石は、それを見届けた後、また胸ポケットからタバコを取り出し、火をつける。
そして、半壊して無残な姿になったビルや、まだ火の手が残り、下の黒土がむき出しになったアスファルトなどをちらっと見やり、
ふぅ、と大きく煙を吐き出して一服する。そして最後に、はるか前方でぼろ雑巾も同然にのびている東城に向けて、こうつぶやいた。

「"ゲームオーバー"だ」

あの男から聞き出さなければならないことは山ほどあるが、まずはこの少女の保護が優先だ。
タバコの火と咲耶を覆っていた炎の壁を消し、彼女のほうへと歩み寄る。
一部始終を目撃していた咲耶であったが、まったく状況が理解できず、まだも混乱していた。
大きな胸を揺らしてわたわたとあわてながら焼石に問う。

い、いったいアンタは何者なんや!?そ、それに、あの東城って人は橋本組の
「とりあえず落ち着け。…まぁ、さっきのこともあるし、落ち着けなんて無理な話か」

さすがにちょっとやりすぎたな…と焼石は片目を閉じて頭をぽりぽりとかく。

「さっき聞いていたとは思うが、俺は焼石徹だ」

それを聞いた咲耶の目がこわばる。
この男はまがうことなく焼石徹。敵対する会社、焼石カンパニーの社長だ。
やはり、油断させてあの不可思議な能力を使ってウチを始末するつもりなのだろうか…。
テンパっていた状態からすぐに冷静さを取り戻す咲耶。
咲耶はさりげなく右手を背に回し、どさくさにまぎれて弾を込めなおしたグロック17を力を込めて握る。

「まぁまぁ、そんな怖い目をしなさんな。俺は別にあんたを取って食おうとしているわけじゃねぇからな」
「でも、あの東城という人は橋本組の人間で、ウチを始末しにきたんやろ?そんな人がなぜウチを助けたんや!」

まだ咲耶の目には警戒の色が宿っていた。
咲耶の言葉を聞いた焼石は、一瞬目を丸くして、そして大笑いする。

「……何がおかしいんや」
「はっはっは。いやいや、あんたはとんだ見当違いをしているようでなぁ」
「え…?」

咲耶の頭の上にははてなマークが飛び回る。

「確かに、俺はあんたたち四ツ和財団が俺たちの周りを嗅ぎ回っているのは、よぉーく知っている。もちろんあんたのこともな」
「………!!」

その筋の人もびっくりな速度で咲耶はグロック17を両手で構え、焼石に突きつける。
焼石はその行動に少し驚いたようだが、かまわずそのままの調子で話を続けた。

「…だが、あの男は橋本組の人間じゃねぇ。アイツは『影の勢力』の人間だ」
「影の…勢力…?」

焼石を鋭い目でにらみつけながら問う。

「はっきりとした組織の名はわからねぇから、俺たちが仮にそう呼んでいるだけなんだがな…。
…ってか、そんな物騒なもんは早くしまいな。女の子に拳銃は似合わねぇぜ」
「……あ、は、はい」

彼は一応命の恩人だし、そんな恩人にずっと拳銃を構えているのも失礼だ。
そんなわけで、オートマチック拳銃をとりあえず懐にしまおう…と思ったが、上着が焼石のものだということを思い出し、少し赤面する。
仕方がないのでスカートを少したくし上げ、そそくさと太ももに巻いてあるホルスターに拳銃をしまう。

それにしても、咲耶にはまったく意味がわからなかった。はてなマークの数がさらに増える。
あの人がその影の勢力…という組織の人やったら、なぜウチを狙ってきたんだろう?
焼石カンパニーから狙われる理由はあっても、その新たな組織から狙われる理由はまったく見当がつかなかった。
思考をめぐらしていた咲耶だが、焼石の言葉がさえぎる。

「とりあえず安心しな。さっきも言ったけどあんたに危害を加えるつもりはねぇ。むしろあんたは守るべき対象の一人なんだからよ」
「ということは、その『影の勢力』の人たちがウチを狙っている…ってことですか…?」

それに、『守るべき対象の一人』ということは、まだ誰か狙われている人がいるということなのだろうか。
ただ焼石カンパニーと橋本組のつながりを調べるだけの任務だったはずが、別の局面で大事になっているようだ。
咲耶の背には、冷たい氷を突きつけられたようなゾワリとした悪寒が走る。

「ま、そういうこったろうな。ちょっと話が長くなっちまったが、俺よりも組織の一員のあの男がその辺は詳しいだろう。さて、とっとと聞き出しちまうか」

え!?あれで生きとるんかぁー!?と驚いている咲耶の言葉を適当に聞き流し、
焼石はまだ気を失っている東城のほうへと向きなおし、彼の元へと歩を進めようとする。


が、焼石の動きがぴたりと止まった。


ちょうど焼石と東城の間くらいの距離。

そこに一人の男が立っているのだ。


「何者だ……?テメェは」

焼石はさっきまでの調子とはうってかわって真剣な目つきで男を見据え、薄闇にさらされている男の容姿を確認する。
髪の色は銀髪で瞳の色は赤色。前髪が胸の辺りまで伸び、後ろ髪も地面につくかつかないかと思うほど長く伸びている。
さらにトレンチコートにソフト帽を着用しており、その顔はコートとソフト帽に隠れてよく確認ができないが、どうやら外国人のようだ。
しかし肌は健康的な人間の色ではなく、美術館の教科書によく載っている彫像のような灰色に、少し肌色を混ぜたような色をしている。
コートから覗く足は黒いブーツかと思いきや、それはブーツという代物ではなく、実体化した影のようにみえなくもない。

しかしどうもおかしい。さっき話していたときも男の気配をまったく感じなかった。
まるで夕闇の暗がりから突然現れたようなこの男は、目の前で亡霊を見ているように感じられた。
本当にこいつは人間なのだろうか。焼石の額から流れた一筋の汗がほほを伝う。
咲耶も謎の男に気づいたようで、オートマチック拳銃をまたも取り出そうとしていたが、焼石がそれを制する。
終始無表情無口を貫いていた男だが、ようやくその口を開く。

「………静一と小闇を下すとは、貴様はたいした男のようだ。さすがはインフェリーノ、といったところか」

聞こえてきた言葉は流暢な日本語だった。
普通の日本人と比べても遜色ないくらいの発音である。日本にいてそうとう長いようだ。

「だからテメェは何者だっつってんだろうが。聞こえねぇのか。ボケナスが」

徐々に怒りの募る焼石の言葉をまた無視して、男はちらっと東城のほうを向くと、

「聞こえるか、静一。ひどいやられようだな。ヤツの減らず口を当分聞くことはないと思うとせいせいするが」
……ぁ……あぁ…、…キミか……フィンスター…さん……、げほっげほっ

車のボンネットの上に大の字で伸びていた東城が首だけを上げ、フィンスターと言う男に受け答えする。
フィンスターは再び焼石たちのほうへ向き、やはり表情をまったく変えずに言う。

「これは申し訳なかった。彼らは一応大切な仲間だ。生死を確認しておきたかったのでな」

そして一息おき、

「私はフィンスター・アーベント。貴様たちが『影の勢力』と呼ぶ組織の一員だ」

焼石はとっさに身構えた。咲耶も男の言動にびくっと震える。
やはりこの男も『影の勢力』の一員だった!
さきほどの戦闘でそれなりに力を使ってしまったため、同じような実力は出せない。
連続で戦闘するという可能性を考えてはいなかったのだが、咲耶を守るためにはやるしかない。
焼石はふっ、と息を吐くと両手に炎の塊が現れる。

「待て。こちらは戦いに来たわけではない。ただこの男と小闇を回収しに来ただけだ」
「何……?」

焼石はまだ体勢を崩さずに言う。

「今回は素直に我々の負けを認めよう。静一も小闇も、しばらくは行動不可能だ」
……はは、ぼくも…、えっと……焼…石、さん…だっけ?
あんたと…戦う…ことに……なるなんて、思っても…いなかったし、ね… げほっげほっ


せきをするたびに東城の口からは血があふれ出る。

あー……、参った、よ。これじゃあ……、当分…、大学にも…いけない…なぁ……
「無駄口をたたくな。貴様はもう黙っていろ」
「はいはい」

フィンスターがぴしゃりというと、東城は素直に口を閉じた。
大事な仲間という割には少しぞんざいな扱いだなと焼石は思うが、
焼石は両手の炎の勢いをさらに強くして言った。

「テメェが咲耶ちゃんを襲わねぇって保障はあんのかよ。どうなんだ?あぁ?
「……ふん」

男はあきれたように鼻を鳴らすと、ゆっくりと東城の元へ向かい、左腕で東城の体を抱える。
抱えられた東城は、うわっちょっ痛いっ痛いっ!ぼくは大怪我してるってわかってるでしょ!?わざとか!?絶対わざとだろ!?とか騒いでいるが、
フィンスターはとくに気にするそぶりを見せない。そしてまた焼石たちのほうに向きかえり、

「これで文句はないだろう?この状態では貴様と戦うことはできないと思うが」
「…チッ」

焼石は忌々しそうに舌打ちすると、両手に宿した炎を消す。

「それでは私は去らせてもらおう」
「ま、待ちや!」

そういって背を向けたフィンスターであったが、意を決して口を開いた咲耶が彼を引き止める。

「何だ」

振り返らずにフィンスターは言う。
咲耶はためらいつつもフィンスターに問いかけた。

「なんでや…。なんで、アンタらはウチを狙ったんや!?アンタらも四ツ和財団が邪魔なんか!?」

咲耶の言葉を聞いて少しだけ考えたフィンスターであったが、すぐに返答をする。

「……その分だと、貴様は自分の立場にまだ気づいていないようだな。まあ、ほかの者たちにも同じことが言えるが」
「それって、どういう…」
「いずれわかる。そう遠くはない未来にな」

そう言い残して、東城を抱えたフィンスターはまっすぐ歩いていく。
まもなく、路地の奥の暗闇の中へ消えていった。
これは比喩的な表現ではなく、本当に闇の中に溶け込み、"消えた"のだ。

「どうやら、本当に行っちまったようだな」

焼石はまたタバコを取り出し、火をつける。

「せ、せやな…。あっ」

緊張が解けて気が抜けたのか、咲耶はそのままぺたんとひざをついてへたり込む。
それを見た焼石が心配そうな表情をして、咲耶に手を差し伸べる。

「おいおい、大丈夫か?」
「いえ、あ、お、おおきに…。…松沢くんもこんなに紳士的やったら…
「??」
「へ?あ、なんでもあらへんです!き、気にせんといてください!
「あ、あぁ…」

なぜか頬を赤らめてあたふたしている咲耶をよそに、焼石は、もうほとんど藍色に染まっている夕空に向けて煙を吐く。
自分たちの周りをかぎまわっている四ツ和財団のことといい、最近はいろいろと問題尽くしだ。
今、騒動がちょっと一段落したところのこの休息が、焼石にとっては心地のよいものだった。

「……ところで、咲耶ちゃん。上のお偉方さんに報告するのかい?俺のこととか、『影の勢力』のこととか」
「え!?えぇっと…」

咲耶はまたあたふたしていた。焼石は命の恩人だし、報告をすると恩をあだで返すようなことになる。
かといって報告を怠ると、財団から何をされるかわかったものじゃないし…。
頭を抱えて、うー、とうなっている咲耶を見て、タバコの煙を吐きながら苦笑する。

「まぁ、組織のおきてには逆らえねぇもんだしなぁ。さっぱりきっぱり言っちまいな」
えぇ!?でで、でも……」
「だからってあんたを恨んだりするつもりはさらさらねぇよ。何があっても俺は大丈夫だからさ」
「は。はい。おおきにな、焼石さん」

咲耶はそういっておじぎをする。安心したのか、少々ぎこちないが咲耶は笑顔を取り戻したようだ。焼石もそんな彼女の様子を見てふふっ、と笑った。
すると、隣の繁華街のほうがやけに騒がしくなってきているのに気がついた。
なんだかすごい人だかりができている。こちらに向けて指をさしている者もいたり、携帯電話で写真を撮る者もいた。
焼石と咲耶ははっとした。

あ!! し、しまった…!あの影の女がはった人払いの結界が解けていたのか!」
ど、どうするんですかっ!?

そうこうしているうちにパトカーのサイレンや消防車の音も聞こえてきた。
これは本格的にまずい気がする。

「と、とりあえずここは俺に任せろ。何とか事情を説明しておくから!」
「なんやねんこの無駄に熱い展開は!?焼石さん微妙に死亡フラグ立っとりますよそれ!?」
「いや、これ死ぬようなことじゃねぇから!さ、早く行け!咲耶ちゃん!

微妙に焼石がノリノリな気がしないでもないが、とりあえずうなづいて、言われるがままにフィンスターが去って行ったときと同じ方向へと走り出す。
この格好じゃあ学校にも行けないし、人前にも出られないので、遠回りになるけど路地裏を伝って家へ帰ることにした。
咲耶は最後に一度振り向き、焼石に向かって叫ぶ。

この上着、洗濯しときますから、必ず取りに来てくださいね!
それまで絶対に死なんといてくださいよー!


だから死ぬようなことじゃねぇってば!と焼石は叫ぶが、咲耶はすでに走り去った後だった。


…。

時間は数時間ほど後になる。
場所は変わって、ここはたくさんのビルが立ち並ぶオフィス街。
もうゴールデンのバラエティ番組が終了している時間帯であるが、まだまだ道路には大勢の人や車が行きかっている。
そのほとんどはおそらく、夕ラッシュ中で帰宅の途についている人々なのであろう。
さて、数多く立ち並ぶビルの中でも、さらにひときわ大きなビルがあった。
そこは某財団の本社ビル。だが、今は普段とは違い、ぴりぴりとした空気が社内を張り詰めさせていた。
そのわけは言うまでもなく、有沢咲耶の報告によるものである。

そして場面は社内へと移る。そこには廊下を早歩きで歩いている黒いスーツの男性の姿があった。
男は廊下をカツン、カツン、と思い切り靴の音を鳴らして歩いてゆく。そして、ある部屋の前にたどり着いた。
扉のプレートには、『会長室』とある。男はノックをして入室の許可を請う。しばしのブランクが開き、

「入りなさい」

扉の中から声が聞こえ、男は扉を開けて入室し、『失礼します』と一礼する。
内装は、いたってシンプルなつくりだった。広い部屋の奥には高価そうな執務用の机と、ゆったりとした革のいすがあり、
そのいすに座っている初老の男は、パソコンの画面に映し出されている資料を眺めていた。外国での工場の売上高をチェックしているのだろうか。
また、観葉植物などが置かれた後ろの窓では、町の美しい夜景が展望でき、それはドラマのワンシーンのようなイメージを醸し出していた。
初老の男はパソコンから目を離さずに言う。

「随分と慌ただしいようだな。……何事かね」
「ご報告します」

男は淡々と言うと、事の次第を語り始めた。
その内容は、焼石徹のこと、『影の勢力』が存在し、彼らに襲撃を受けたことなど、咲耶が今日一日に経験したことであった。
初老の男は会話の中で数度うなづき、男に言う。

「なるほどなるほど…。彼女には正直期待していなかったが、予想以上の働きをしてくれたな。感心したよ」
「しかし会長、焼石カンパニーとは別にあがっていた話ですが、『影の勢力』とはいったい何のことでしょうか…?」

初老の男改め、会長と呼ばれた男はパソコンを動かす手を止める。
そして社員の男を見つめ、低い声で言い放つ。

知 り た い か ね ?

会長の言葉に、社員の男は顔が青ざめ、背筋がぞっとした。
なぜかはわからないが、その言葉には得体も知れない恐怖を感じた。
知ってはいけない。そんな危険信号が脳内でブザー音を鳴らしていた。

「い、いえ… 結構です…

消え入りそうな声で社員は言った。
会長はふぅ、と息を吐き、男に指示を出す。

「……まぁいい。しかしこれだけでは焼石カンパニーを出し抜くことはできない。奴らにとってより不利となる情報を見つけ出すまで、まだ監視は続けさせておけ」
「了解しました。では私は、これにて…」
「いや、待て」

会長は社員の男を引きとめた。

有沢咲耶のことについても極秘裏に調べ上げろ」
「は?これはまたどうしてでしょうか…」

社員の問いに、会長は少しだけ考えるそぶりをする。

「…少々、彼女については気になることがあるのでな」
「……? りょ、了解、しました。では、私はこれにて失礼します」
「あぁ。君たちには期待しているよ」

社員の男が部屋を後にした後、会長はいすを180度回転させて後ろの夜景を眺める。
地上を見ると、道路の上を満たす点々のような赤いブレーキランプは、体をめぐる血液のように絶えず流動していた。
それを眺めて、会長はくっくっと笑い始める。

「なるほどな…。藪をつついてみると何が出てくるかはわからないものだな。まさか、『影の勢力』が出てくるとは」

そして、闇夜を細い目でにらみつけ、彼は言う。

「待っていろ、焼石…。必ずお前の鼻を明かしてやるからな」

彼の名は四和 誠一郎(よつわ せいいちろう)。四ツ和財団会長で、財団の取締役である。
そんな彼の心の中には、とてつもなく強大な野望が渦巻いていたのであった…。



焼石と咲耶の前に現れた『影の勢力』のメンバー、東城とフィンスター。

怪しい動きを見せ始める、四ツ和財団会長。

彼らの思惑とはいったいなんなのだろうか。

この騒乱の行方は、誰も知る由もなかった。


次回へ続く…。


作:黒星 左翼