市に虎を放つ如し




咲耶とのデートを終えた直後、松沢は大量の荷物を抱えて自宅に戻っていた。
ビニール袋や買い物袋がこすれる音を鳴らしつつ、どすっ、と玄関に荷物を置く。

「………そういや、咲耶の荷物まで持ってきちまったな」

なにやら急いでどこかに行ってしまった咲耶のために、彼女の分の荷物も預かって持って帰ってきたわけだが、
筋トレになると思ってついつい張り切りすぎてしまった。咲耶の自宅の前を通ったが、置いてくるのを忘れてしまったのだった。

「今から行くとまた手間だよな…。……いや、待てよ?これってよくよく考えれば筋トレの時間がのびたってことじゃねぇのか!?
 こうしちゃいられん!!よっしゃぁーー!!燃えてきたぜぇぇ!!」

松沢はガッツポーズをして叫ぶと、咲耶の荷物をガシッとつかみとり、家に鍵もかけずに駆け出していった。



市に虎を放つ如し

第十二話 ブレイクタイム



影の勢力のメンバーとの戦闘を終え、一応ウチは次の日は普通に学校に行った。
そして、ようやく戦闘後初めての休みの日がやってきた。
…そういえば、あれから忙しかったからか、焼石さんに借りた上着をまだ洗濯してへんかったのを思い出した。
せっかくやし、洗濯しようかなと思っとったら、突然電話が鳴りおった。
正直、嫌な予感しかせえへんかったけど、出ないという選択肢は存在せえへんかった。
何でかと言うたら、ウチの家の電話にかけてくる相手は二通りしかあらへん。まず一つはセールス。そしてもう一つは…。

「…はい、有沢ですけど」
「あー、咲耶ちゃん?」

やっはり電話の相手はウチの『上司』やった。

「どうしたんですか?」

ウチは口調を『仕事モード』へと切り替える。

「冷たいねー。もっと暖かく言ってはくれないのかい?」
「すみませんね。こういう性格なもので」
「まあ良いや…、ちょっと唐突だけど、今から会えない?」
「へ?」
「まあまあ、悪い話はしないからさ」
「わ、分かりました」
「じゃあ、今から言う場所にきてくれないかな?」

言われた場所は、ウチの家からそんなに遠くない普通の喫茶店やった。
喫茶店の中に入ると、久しぶりに見る顔の人がおった。

「やあ、ちゃんと来てくれたんだね」
「まあ…暇でしたし。それにタカダさんに頼まれたら、こない訳にもいかないかと思いましたので」

喫茶店で待っていたのはやはり私の『上司』。『タカダナオキ』という男の人や。たぶん、この名前は偽名やろうけど。
私はタカダさんと同じ席に座り、向かい合う。いったい、何の話なんやろか…。

「それで、何の話ですか?」
「いや、今日は咲耶ちゃんに渡すものがあってね」
「私に渡すもの…?」
「あぁ」

そう言うと、タカダさんはウチに赤いスマートフォンを差し出した。

「…これは?」
「え?知らない?『四ツ和通信』で販売しているスマートフォン『Chronus(クロノス)』だよ。結構普及してると思うんだけどなー…」
「……」

とりあえず無言で『Chronus』を手に取り、適当に弄ってみる。…なるほど、スマホは初めてやけどこれは割と使いやすそうやな。
製品表記を見てみると、このスマートフォンの型番はYE-05D…『ChronusW』という名前みたいや。

モニターの前の読者さんにちょっと解説すると、『Chronus』シリーズは、四ツ和財団の系列会社『四ツ和通信工業(株)』が販売しとるスマートフォンや。
大画面なうえに動作も早くて大容量、さらにバッテリーの持ちが非常にいいということで話題になったんや。タカダさんの言うように普及率も多い。
ちなみに現行機種は『ChronusV』なんやけど、財団はもう新作を出す気なんやろか…。ぽんぽん新作出したかて意味ないと思うんやけどな。
ま、そんなことはどうでもええか。…というわけで話を元に戻すことにしたウチ。

「……ところで、私を呼びつけたのは、ただ単にこれを渡したかったからですか?」
「そうだけど?いやぁ、咲耶ちゃんのケータイって、結構古いモデルだったと思ったから、そろそろ機種変する時期かなって思ってさ」
「は、はあ…」

…本当にこんな事だけでウチを呼び出したんやろうか。要はこの人アホなんちゃうか。
そういえば、最近『アホですね!』とか、『要はアホですね!』とかそう言うんが流行ってた気がする……、一部で。

「そんなつれない表情しないでさ。もうちょっと喜びなよ」
「…」
「……いやさ、ちょっと大きな声では言えないんだけど…。咲耶ちゃん、最近大変な目にあっただろ?」
「は、はい…」

そう言われると、嫌でもこの前の『影の勢力』との戦闘を思い出す。

「それで、これからももしかしたら同じ事が無いとも言えないだろ?」
「そ、そうですね」
「それで、何かあったらコイツが役に立つかもしれないぞ?最新の防犯機能もついてるし」
「……」

そら、チカンとかやったらええんやろうけど、相手が何やらわけのわからん能力を使うヤツやったし、そんな機能が役に立つんやろうか。
……この人、ほんまにちゃんと上の人からウチの報告を聞いとったんやろうか?
要はアホちゃうかこの人。

「後、できるだけ、ウチの社員の前ではそれを出すなよ」
「へ?」
「それ、実は開発中の試作型なんだよね。うちの技術部から預かるとき、適当にごまかしただけだから、バレると俺と咲耶ちゃんの首が飛ぶ」
「ちょっ…」

どういう意味で首が飛ぶかはあえて考えへん事にした。そういやこの会社は技術の外部持ち出しにはめっちゃ厳しいんやった!!
てかなんでそんな危ないことを!?要はアホなんちゃうかこの人!?

「でも、なおさらなぜ私なんかのために…?」
「…いやさ、咲耶ちゃんは俺にとってはじめての部下なんだよ」
「は、はぁ」
「そんで、俺は咲耶ちゃんには消えて欲しくないと思ってる」
「………そ、それだけですか?」
「それ以上の理由なんて必要ねーよ」
「……」
「それに、伝えたい気持ちを伝えられないまま人生終わるなんて、死んでも死に切れないだろ?」
「……っ」
「さて、そろそろ俺は会社に戻るぜ?他の仕事も残ってるしな」
「は、はい」

会計を済ませてウチらは喫茶店を後にする。

「それじゃあな、咲耶ちゃん。久しぶりに直接出会えてうれしかったよ」
「あっ、ウチ…。……いえ、私のほうこそ…」
「…咲耶ちゃん」
「はい?」
「負けるなよ。今度仕事とかいろいろ関係なしに飲みに行こうぜ」
「は、はいっ!」

今は未成年やからお酒は飲めへんけど、ゴタゴタが全部綺麗さっぱり無くなったら、飲みに行くのも悪くないって思ったわ。
私はタカダさんの背中が見えなくなるまで、今日の事の感謝の気持ちを籠め、頭を下げて見送った。


続く

原文:大正

改訂:黒星 左翼