社長室と書かれた扉を男が勢いよく開ける。

「報告します!橋本組が大勢で安澄の港へと向かっているとの情報が入りました!」

部屋の奥には高級そうな執務机に向かい、パソコンを操作している初老の男が一人。
部下だと思われる男の一言を聞きパソコンから目を離す。


「そうか、だが何故橋本組が安澄へ向かっているんだね?」

「情報によりますと、なんでも鷹森組との抗争が始まったのではとの事ですが…」

初老の男はそれを聞き、不敵な笑いを浮かべ席を立った。

「監視員と特殊工作員を十名ほど集めろ。その一人には有沢咲耶を必ず入れろ。」
「承知しました…しかし、集めてどうするのです…?」

その部下の言葉に初老の男は大きく腕を広げて言う。

「パーティだよ君!橋本組と鷹森組のパーティとなれば私達も参加しなければならないだろ?」
「パ…パーティですか…」
「私の読みでは…焼石カンパニーがこの出来事を黙って見ているはずはない。必ず奴も現れるだろう。
だからこそ、このパーティに参加しない手は無いのだよ。むろん私も行くぞ。」

部下の男は思わず仰天した。

「会長自らが!?」
「悪いかね?」
「い…いえ…そんな事は御座いません…」
「なら、さっさと監視員達を集めなさい。一刻も早く頼むぞ。」

部下は深くお辞儀をし、部屋を後にした。
会長と言われていた初老の男は部屋の中を優雅に歩く。

「楽しみだ…!このパーティが我々にどのようなプレゼントを用意してくれているのか…!楽しみでならない…!」



市に虎を放つ如し

第十五話 市に虎を放つ如し




安澄港に停泊している貨物船の甲板に梓と満時、そして6名の部下が静かにその時を待っていた。
先ほど董子を案内した管理棟と比べれば劣るが、貨物船の甲板上からでも港全体が良く見渡せた。
梓は周りを警戒してそわそわしている。
満時は表情を一切変えずにある一点を見つめていた。
心地よい海の風に乗ってくる潮の臭いが鼻にツンとつく。
だがそんな事を気にしている場合ではない。
梓はもうすぐ始まるであろう抗争の中で全力で戦わなければならないのだ。
そして父であり組長の満時に言われたように、宿敵であり母の仇である魔獣メリッサを自分が倒さなければならない。
梓はいつもの退魔の任以上に緊張していた。


何かに気が付き父、満時がピクリと動く。
それに合わせ部下達もざわつき始める。
港に面している道路の向こうから黒い車が数台、列を成して走ってくる。
その車達は港の前に並んだまま停止した。
停止した後、車の窓から港に向けてマシンガンが向けられた。
思わず梓は息をのむ。
停まった車全ての窓から一斉にマシンガンが火を噴く。
ヤクザ映画定番の一斉射撃である。
一斉射撃は道路近くのコンテナの影に隠れている鷹森組のメンバーに対してのものだろう。
満時の携帯が鳴る。満時はすぐさまその携帯に出る。

「私だ。ああ、始まったな。相手は橋本組か…そうか、奴らか」

梓は心の中で、「やはり来てしまったのね…」と思っていた。

「ちなみに大丈夫か?…ふむ…怪我人が出ていないなら大丈夫だ。
いいか、マシンガンを使ってくると言う事は相手は人間だ。催涙弾や術式で足止めするんだ。殺すんじゃないぞ!」

そう命令し携帯を切る。

「お父さん…あのあたりに居る皆は大丈夫なの…?」

梓は不安そうな顔で満時を見る。
満時は微笑み彼女の頭に手を乗せる。

「今の電話は港の、言わば入口付近の者からの電話だ。安心して良いよ」

梓はそれを聞き軽く胸をなでおろす。
が、次の瞬間、コンテナが爆発によって暗い夜空を舞う。
思わず満時も焦りの表情を見せる。
そして再び満時の携帯が鳴る。

「どうした!あの爆発はなんだ!…何ぃ?」

満時は携帯を一旦耳から離し、目を凝らして遠くを見る。
梓は満時が何処を見ているのかわからなかったが、満時が指をさして教える。
梓が指を差された遠くの方を見ると、橋本組の車の上に、男が一人、何かを担いで立っている。
その男の担いでいる物から、勢いよく何かが発射され、コンテナに当たったかと思うと大きな爆発を生んだ。
港の入り口あたりは、それによって赤々と燃え上がっていた。
満時が舌打ちをした。

「ロケットランチャー…RPGなんて持ってるのか…橋本組め…!」

燃え上がっている火の明りによって、遠くではあるが男の顔が良く見えた。
董子が話してくれたある男性の特徴と、とても良く似ている。

「まさか…彼が…橋本渉さん…!?」

董子の話によれば、橋本渉は優しい組長だと聞いていた。
しかし今あそこに居るのは相手の組をとことん潰そうと考えているような、まさに暴力団の組長である男が居るのだった。
満時は電話で指示を飛ばす。

「一旦引くのだ!傷つけるのは仕方ない!強力な術式を放て!お前達は何としても生きなければならん!」

そう言い携帯を切る。

「くそぉ…甘く見ていた…奴ら…俺等の考え方を理解したうえであのような行動に出ておる…」

梓には良くわからなかった。本場のヤクザの抗争がどんなものか、梓は経験したことが無いからだ。

「本来なら抗争といえばドンパチ拳銃の撃ち合いになる。だからかならず遮蔽物に隠れながら戦うわけだ。」

梓は西部劇のカウボーイたちの戦い方をイメージした。
確かに彼らも遮蔽物からバンバン鉄砲を撃っているイメージがある。

「しかし私等のモットーは人を傷つけない。ゆえに銃で相手の頭を撃ちぬく真似はしない。
そこを橋本に読まれてしまった…普通あんな位置でRPGを撃っていてはまず真っ先に狙われる。
だが、私等はその彼を狙って拳銃を撃つ事は出来ん。それは退魔の掟に反する…そこを読まれてしまった…!
橋本渉はなかなかできる男だ…ぬかったわ…外道な男だ…!」

梓はその『外道』という言葉に少し腹が立ってしまった。
董子の話によると、橋本渉はむしろ良い人であり、自分達と同じ仁義を大事にしているらしい。
それなら、彼らが『外道』になるのにも理由があっての事。
そう思い梓は父親である満時に口答えした。

「でも父さん、橋本さんは私達が董子ちゃんをさらったからあんな武器を持ちだしたんだと思うよ。
逆に『関係無い董子をさらって!この外道!』って思われてるかもしれないし…」

梓の言葉に満つ時は眉をしかめる。
だが梓はその満時の態度を気にしないで話を続けた。

「私達の事をわかってるんなら、橋本さんのあのRPGも言わば脅し!誰も殺さず逃げてもらえるようにしてるんじゃないの!?」

満時はその言葉を聞き、先ほどかかってきた部下からの電話を思い出した。
確かに部下達は橋本にRPGを撃たれたが、直接撃たれたわけでは無かった。
爆発音によって耳の鼓膜が破れた者や、爆発によって壊れたコンテナの小さな破片などが足に刺さった程度だったようだ。
それくらいの被害を考えると、確かに橋本はこちらにあわせて戦っているのかもしれないと思えるのだった。
満時は少し安堵の息を漏らした。
そして落ちついて少し安心した表情で梓に言った。

「確かにお前の言うとおりかもしれないな。だが、橋本がそうであっても宿敵メリッサがどうかはわからんぞ。気合を入れるんだ梓。」
「わかったよお父さん!」

梓は強く、そして明るく答えた。
しかし、満時の顔は先ほどの表情とは打って変わり、緊迫した表情へとなっていた。
その表情に梓も気がついた。

「どうしたの…?お父さん…」

満時は梓の後ろの方を見ながら静かに口を開く。

「なるほど、見かけを大きくし、あたかも被害が出ているように見せる…
そうすることにより私達の注意をそちらに向ける…言わば陽動作戦だったとはな…」

梓もハッとして後ろをゆっくり振り返る。
満時は額に汗を浮かべながら話を続ける。

「気がつかないわけだ…部下が6人共声を出す暇なくやられてたとなれば…」

振り向いた梓は後ろの光景に思わず卒倒しそうになった。
満時はそんな梓を強く掴み支えた。
そして苦笑いをしながら言った。



なぁ、魔獣メリッサよ



その言葉の先には、梓達の部下6人を六匹の狼のような犬に頭から食べさせている裸の女性が居た。
六匹の犬というのが、何とその女性の下半身から生えている。
いや、むしろ彼女の下半身が六匹の犬で構成されていると言えるだろう。
まさにその風貌は『魔獣』にふさわしいものであった。
下半身の犬達は美味しそうに部下達を噛みちぎり食いあさっている。
その様子を、上半身の女性が長いタバコを吹かしながら楽しそうに見ていたのだ。
その女性、メリッサは満時の方を見て軽くウィンクをした。

ウフフ、お久しぶりねぇ鷹森満時」

優しげに声をかけてきたその女性の言葉の裏には何か嫌な雰囲気が漂っている。
その雰囲気を感じ取った梓の体には鳥肌が立ち始め、梓は思わず体を縮こませる。
満時は梓の肩をしっかり抱きながら、メリッサを睨む。

「何故俺等を殺さなかった?貴様の存在にこちらは気が付けなかったのだから、決着がついたはずだが」

満時のその言葉にメリッサは笑いを漏らす。

「まぁ、それも良かったかもしれないけど、久々に貴方に会うのだからお話したくてね。
今なら貴方の部下も渉さんを相手にしていて手が離せないはず。だから邪魔が入らずお話できるわ。」

確かにメリッサの言うとおり、鷹森組は今橋本組と交戦中である。
しかしその実、鷹森組が渉の足止めをしているつもりで橋本組を迎撃しているが、
橋本組からすれば鷹森組の組員を満時と梓を助けに行けないように足止めしているのであった。

「それにしても、だいぶ実戦から離れてた見たいねぇ満時。もしかして私とのあの戦いが最後だったりするのかしら?」

メリッサは親しい友人に話すかのような口調で満時に話しかける。

「あぁ、確かにその通りだ魔獣メリッサよ」

その言葉を聞きメリッサは口の両端を大きく持ち上げ笑みを浮かべ、タバコの煙を吐く。

「メリッサで良いわよ、メリッサで。それかもしよかったら『橋本メリッサ』って呼んで頂戴よ。
『魔獣メリッサ』なんて古くてかなわないわ。『スキュラ・メリッサ』並みに古いわぁ」
橋本!?

梓が声を上げる。

「橋本メリッサって…もしかして…董子ちゃんの面倒を見てる橋本渉さんの…」
「そう、よ」

それを聞いて満時は怒りをあらわにする。

「キチガイが…!魔物を娶るとは人間の隅にもおけん男だ…!橋本渉めっ!」
「あらあら、昔から良くあることじゃないのよぉ。種族を超えた愛って言う奴よ、ウフフ。
思い出すわぁ…渉は私のこの姿を全然怖がらなかったもの…嬉しかったわぁ

そう言いメリッサは思い出し笑いをし、一人で恥ずかしそうに赤面していた。
梓にはメリッサから闘いに来ている雰囲気がまるで感じなかった。
まるで古き友と昔話をしに来た旧友のような感じなのだ。
メリッサが気を抜いている今なら不意打ちで倒せるかもしれないが、梓は体が縮こまったまま動けずにいた。

「しかしながら…」

メリッサは梓を優しい目で見た。

貴方にこんな可愛い娘さんがいたとは知らなかったわぁ

思わず梓の心臓が飛びあがる。
梓は反射的に刀を構える。
その様子を見てメリッサは微笑んだ。

フフ…顔つき…刀の構え方…全てがお母さんにそっくり」

梓は唾を飲み込む。
梓の母は目の前にいるこの魔物に食われて死んだのだ。

「娘さんがこれくらいの歳だとすると…この子が産まれたばかりだったはずよね?母親の仇が誰だか話した?」

梓は頷く。

「仇は…貴方だと聞いたわ…!橋本メリッサ!」

その言葉にメリッサは笑みを浮かべる。

「ありがとうね、橋本の名前で呼んでくれて。…それとそう、仇は私。だけどどういう経緯でそうなったか話したかしら、満時?」

満時は首を振る。
その様子にメリッサはため息を漏らす。

「教えてから来るものじゃないのかしらねぇ…私から直接話して良いのかしら?」

満時が頷く前に梓が強く頷く。
父が語らなかった自分の母の最期を仇の本人から聞く事が出来る。
悲惨な話ほど自分の刀に母を思う気持ちが宿り、この魔獣を倒せると思ったのだ。
メリッサは思い返すように話し始める。

「もう十数年前の事かしらねぇ…私がひっそりと海辺で生活していた頃だったわ…
大勢の退魔の一族が私を殺しに来たのは…その時だったわよね?」

梓は満時の顔を見る。

「ひっそりと、とは言えないな魔獣メリッサ。貴様はあの海域に来た者を食い荒らす化物として知られていただろう。」
「知られてはいなかったはずだけどね。それに私はただ生活していただけよ。
なんだかんだであんた達から私ら魔族に喧嘩を売ってるんじゃないかしら?」

満時は眉間にしわを寄せメリッサを怒りの表情で睨みつけた。
メリッサは気にせず話を進める。

「凄い大勢で来るもんだから驚いたわ。まぁ私は斬りかかる男共を片っ端から食べてやったわ…
そう言えば満時、貴方以外全員死んだのじゃなかった?貴方が唯一の生き残りだったと思ったけど。
まぁ闘いの結果は聞いての通りって所かしら、貴方は大量の部下と妻を失ったが私は生きている。」
「だが魔獣メリッサは両腕を失い体に幾多の深手を負ったわけだ。」

その言葉を聞いてメリッサは笑い始める。

アハハハハ!両腕がどうしたって言うのよ!私にとって腕とはこの子達よぉ!

それに合わせメリッサの下半身である犬達が軽く雄叫びをあげる。

「私の両腕を切り落としたって事を偉業の様に言ってるけど、全く意味ないのよ満時!」

満時は思わず苦虫を噛みしめる顔をする。

「そ…それでお母さんはどんな風に…部下達と一緒に貴方に殺されたんですか!?」

梓の問いにメリッサはぴたりと笑うのを止めた。
そして寂しそうな顔を梓に向けた。

「実はあの戦いの現場にいた女性は貴方のお母さんだけだったはずよ…
私は斬りかかってくる男は食べたけど、女性である貴方のお母さんは食べないつもりだったわ」

その言葉に梓は驚きを隠せない。

「何故?自分に向かってくる人間は全て敵なんでしょ!?」
「そんな馬鹿な事無いわよ。一応私も女性。情けぐらいはかけるわ。
…いや…情けがあったからこそ、満時…貴方が生き延びることになったのよねぇ!」

梓は満時の顔を見る。
満時の顔はとても怒りに満ち溢れており険しい表情になっていた。

「あれが情けがあったと言えるのか!この魔獣めが!」

その言葉を聞いてメリッサは不敵な笑みを浮かべる。

「それじゃぁすこーし、再現してみましょうか?」

その瞬間、メリッサの下半身である犬の一頭の首が伸び満時の左足にくらいついた。
満時はすぐに持っていた松葉杖から仕込刀を抜くが、首に引っ張られ後ろに倒れてしまう。
すぐさま梓も犬の首を斬ろうとするが、その場から満時と首が一瞬にして消える。
梓は満時を見失ってしまう。

梓!こっちだ!

梓は声のする方を見ると満時がメリッサの真上に逆さまになっている。
満時の足に噛みついた犬が満時の体をぶら下げているのだった。
満時は必死に刀を振るが別の犬がその刀に噛みつき押さえつける。
メリッサは満時の顔が自分の目の前に来る高さに犬の首を調節した。

「まぁこんな状況だったのよね満時。私と貴方がこんな状態で見つめあえる状態にしてねぇ」

満時はまさに手も足も出ないと言う状況であった。

「梓!俺に構わずメリッサを斬れ!」
「ちょっと満時、そんな焦らないでよ。これは再現だから安心して。…って貴方も今再現したわね、奥さんにそう言ってたものね。
樒!俺に構わずこいつを斬れ!』ってね。でもあの時と状況が違うわよぉ。思い出して御覧なさい。」

そう言われ満時は鮮明に思い出す。
メリッサの犬の一匹に左足を今の力と比べ物にならない凄い力で噛みつかれ、
その状態でこうやってぶら下げられてしまったのだ。そこまでは同じ。
今と違うのは、全ての犬が自分に噛みつく準備をしていたと言う事だ。

「あの時は私が犬を全て貴方に集中させてたから、そう叫んだのよね。でも今はどうかしら?」

満時はその言葉を聞き、梓の方を見る。
すると犬の4頭が梓の方に首をのばし、威嚇している。
梓は梓で、満時を助けに行くには犬4匹を相手しなければならない状況だ。

「安心して良いわよ梓ちゃん。今は過去の状況説明だからお父さんにも本気では噛みついてないわ。
まぁ貴方がこの隙に私に斬りかかるんだったら話は別。お父さんが大変な事になっちゃうわよ?」

梓は刀を構え直し言う。

「それから、どうなったの!何故この状況でお父さんが生き延びてお母さんが死んだのよ!」

それを聞いて満時はショックを受ける。

梓ぁ酷いお!父ちゃんの事本当は嫌いなのか!?
いや、そう言う事じゃなくてねオトン

そのやりとりにメリッサも笑いを漏らす。

「まぁ流れ的におかしいわよね、お母さんが死ぬのは。でもお母さんのある一言でお父さんである満時が生き延び、樒お母さんが死ぬ事になった。」
「ある一言…?」
「そう、お母さんはこの状況で私にこう言ったのよ。」

梓は唾を飲み込み真剣な表情をする。
メリッサはその梓の様子を見てから口を開いた。


「『私の体を食べさせてやるからどうかその人だけは助けてください!』」


梓の体に衝撃が走る。
理解したのだ、母が自分の愛する者の代わりにメリッサに体を差し出した事を。

「私も女性。愛する夫を庇い身代りになる事を哀願する妻の気持ちはよくわかった…良い女性だったわ…」

満時はその時の様子を思い出しているのか、唇が震えている。
そんな満時をメリッサは梓の方へと投げ返す。
満時の体が宙を舞い、彼を梓が受け止めた。

「お父さん大丈夫!?」
「あぁ…大丈夫だ。」

メリッサは軽く梓に微笑む。

「あの時はお父さんを投げ捨て…まぁ、投げておいて、お母さんに飛びかかったものよ。」

そう言いメリッサは笑い始める。

「夫である満時は何もできずに愛しい妻が目の前で食べられていく様をただただ見ていたわけ!
私に闘いをしかけなければそんな事にはならなかったって言うのにね!」

満時の体は震えていた。
それもそのはず、メリッサの言った事は真実である。
つまり部下と妻を助けることのできなかった自分とこの魔獣との力の差を実感させられた時でもあった。

アハハハハ!それなのに貴方はまた同じことを繰り返そうとしているのよ!?それを理解しているの!?
今私は貴方に数十年前と同じ動きをしたけど、反応出来てなかったわよねぇ!そんな状態で私を倒せるのかしら!?」

メリッサは甲高い声で笑い始めた。
満時はそのメリッサに対して不敵な笑みを浮かべる。

俺じゃないさ…お前を倒すのは…俺のこの可愛い娘、二女の梓さ…

その言葉を聞いてメリッサは笑いをぴたりと止める。

「…なんですって?」
「お前の両腕を落とせた俺ではあるが…左足をお前にやられた時点でもうお前との力の差は埋まらん…
だから俺はお前を倒す夢を娘に託した…もう俺の時代じゃないさ…梓や若い者の時代なのだ…!」

満時の言葉にメリッサは嘲笑する。

「人間ってその言葉が好きよねぇ…若き者がうんたらかんたらってさぁ…
その前に自分たちのやっている事が間違ってるって事を理解しなさいよぉ!」

メリッサのその言葉に梓が口を開く。

どちらが正しいか、今日わかるわよ橋本メリッサ!

梓は退魔の刀『鷹守宗孝』をメリッサに向けて構えた。
すると梓を中心に周りの空気が震えだす。
メリッサはその空気の震えを肌で感じ、梓の力に感心する。

「…なるほど、これはなかなかできの良い娘みたいね…でもね…」

メリッサは深呼吸するように吹かしていたタバコを一気に吸い込む。
タバコは吸われた勢いで全てが灰となり潮風に乗り飛んでいってしまう。
メリッサは口からタバコの煙を吐きながら微笑む。
そのタバコの煙と共にメリッサから邪悪な気が溢れかえり周りを包む。

「たかがその程度の力で私に勝とうなんて…人間って言うのはどうも自分の強さを過信しすぎる所が多いわ。」

その気を感じ取った梓の額に汗が浮かぶ。

「…やってみなきゃ…わからないじゃないの…!」

梓はメリッサを睨みつける。

アハハ!男も知らない毛の生えそろわない雌ガキがいい気になってるんじゃないわよ!
貴方はどうせ父親に甘やかされてその気になってるだけの雑魚と変わりないのよ!」

メリッサの態度に梓は歯を食いしばり頭が沸騰しないように耐える。

「落ち付け梓、メリッサはお前を挑発しているんだ!」
「わかってる…わかってるよお父さん」

梓は落ち着きを取り戻そうと深呼吸をする。
そしてメリッサを睨みつける。


さぁメリッサ!オトシマエ、つけさせてもらうよ!


メリッサはその言葉を聞きニヤリと笑う。

「そういえばまだ言ってなかったんだけど、貴方のお母さんを食べた感想を教えてあげましょうか?」

梓は目を見開いて驚いていた。
メリッサは梓の返事を待たずに話を続ける。

美味しかったわよぉ!何せ貴方が赤ん坊の時のお母さんの体だからね!どんな味がしたかわかるかしら?」

梓は軽く首を振る。
メリッサは舌舐めずりをし、淫靡な表情を梓に向けた。

甘くて濃厚な母乳の味がしたのよぉ!あんたが飲んで育つ物を私が御馳走されたってわけよ!

その言葉を聞いた瞬間、梓の理性の糸が音を立てて切れた。
梓は大きな声を上げながらメリッサに斬りかかった。



メリッサと梓の激突が始まったのと同時刻、管理室で董子は皆の無事を願っていた。
しかしその願いも叶うはずないと、董子は心の中で感じていた。
董子が心配している二人、橋本と梓は敵同士。
どちらかが死んでしまう予感が董子の中にあった。
何故なら勝負事と言うのは何でも、必然的に勝者と敗者のどちらかに分かれる。
それがヤクザの抗争となれば、敗者の組は消滅、死ぬ事になるだろうと思ったのだ。
董子はどうすれば二人の争いを止めれるかを、監禁された状態で考えていた。
橋本はたぶん自分を助けに来てくれているはず…それなら私が無事とわかれば梓には手を出さずに居てくれるかも…。
でもどうやって自分の無事を橋本に伝えよう、拘束された状態では逃げる事もままならない。
梓の仲間の人を説得できるとは思えない。どっちみち自分はここで大人しくしてるしかない。
董子は今の自分の無力さを感じ、顔を伏せて静かに涙を流していた。
突然、董子を見張っている男の一人の携帯電話が鳴り始めた。
その男は携帯を取り出し話し始める。

「…は?窓の外を見ろ…?橋本が何かやらかすだって…?」

その一言に周りの見張りがざわつく。
董子も何の事かと顔を上げた。
男は首を傾げながら携帯を切る。
その男に他の見張りが言った。

「親父さんからか…?」

男は首を振る。

「いや…親父さんじゃなかった…何処からかけてるか良くわからんが…いたずら電話かもしれん」
「窓の外と言っても、この管理棟に居る事を橋本組は知らないはずだよな。」

他の見張りが董子に視線を落とす。

「たしかに、ここにこの子が居る事が知られてたら、真っ先に此処に来ると思うしな。」

それを聞いて見張り達は笑う。

「やっぱり今の電話はいたずらか何かかぁ」

男がそう言った瞬間、窓に小さな穴があき、それと同時に男の頭が勢いよくはじけ飛んだ。
見張り達はすぐに武器を抜き戦闘態勢に入るが、同じようにその見張り達の頭も次々にはじけ飛ぶのであった。
はじけ飛んだ肉片や血が董子にかかる。
董子は目の前の出来事に意識が飛び、体に鮮血がかかっても動けずにいた。
身の危険を感じた残りの見張りはすぐさま床に伏せ始める。

「なんだ!?いったい何なんだ!?」
「狙撃だ!橋本組のスナイパーがどこかに居るんだ!」

伏せながら見張りは仲間の数を確認する。
何と既に自分ともう一人だけ、二人だけになってしまったのだった。

「仲間がやられてしまったな…これは不味い…!」
「伏せてれば撃たれないはずだ…!とにかくこの事を親父さんに連絡しなければ…!」

生き残ったもう一人が頷く。男はすぐに懐から携帯を取り出す。
次の瞬間、また窓から管理棟の中に弾丸が飛びこんでくる。

「くそ!これでは起き上がれんし突入されたらまずい!」

携帯電話でコールをしながら男は愚痴を漏らす。
だが突如として先ほど撃ち込まれた弾丸が携帯電話と共に男の頭を貫通する。
思わずの出来事に残りの一人が悲鳴を上げる。

「いったいなんだ!?どうして撃たれちまったんだ!?伏せているから弾丸が当たらないはずなのに!!」

先ほどまで意識が飛んでいた董子が冷静に口を開いた。

…跳弾よ…!

その言葉に男は驚く。

跳弾!?そんな馬鹿な話があるか!そんなので狙えるのなんて漫画かおとぎ話の中でしか…

男はいきなり青ざめ、董子の後ろへ回り込み、彼女を盾にするように身構えた。

「ちょっと!なにするの!私を盾にしてもどうにもならないわよ!」
「そ…そんなことはない…!これは…お前を助けるための狙撃だ!それなら俺はお前を盾にするしかないんだ…!」
「それに跳弾だったら私を盾にしても仕方ないじゃない!」

男は首を横に振る。

これは跳弾なんかじゃない…!

その瞬間、再び弾丸が管理室に飛び込んでくる。
その弾丸は董子を狙って発射されたのか、董子に向かって飛んでくる。
董子はその弾丸の動きがスローモーションのように見えていた。
事故に遭った瞬間の人が、自分の人生を走馬灯のように垣間見るのと同じ原理だなと董子は思っていた。
しかし、弾丸は董子に当たらず、董子を縛っていた縄を切り裂くようにかすめていたのだ。
弾丸によって切られた縄がぱらりと落ちる。

何!?これはやっぱり…!」

最後の一人であるその男が声を上げた瞬間、自由になった董子の腕から強烈な裏拳が男の顔面に炸裂した。
男は殴られた衝撃で後ろの壁へと飛んでいき、壁に頭を強く打って気絶してしまった。
男が気絶したのを確認した董子はすぐさま床に伏せた。
またスナイパーが狙撃してくるかもしれないと懸念したのだ。
だがいくら待っても狙撃はされず、董子が少し頭を上げても撃たれる事はなかった。
董子は安堵の息を付き、自分にかかった男達の血と肉を着ていた作業着の袖で拭き取った。
拭き取りつつ董子は無意識のうちにその血と肉に見入ってしまっていた。
その事に気が付いた董子は頭を振る。

「何を考えているのよ私は!化物じゃないんだし!」

董子は自分の頬を両手で叩く。
とりあえず自分の無事を橋本に伝えればこの抗争は終わる、早く橋本の元へ行かなければと董子は思った。
しかし今橋本がどこに居るかわからない。それに自分が逃げた事が梓の仲間に知られたらまた捕まってしまうだろう。
そう思っていると先ほどの見張りの携帯電話が鳴り始めた。
董子は焦った。今この携帯にでなければ見張りに何かあったと言う事がバれてしまう。
そこで董子は自分からその携帯にでた。

はい、管理棟の見張り組です

董子はできるだけ男に聞こえるように電話にでた。
上手くいけばごまかせるかもしれない。
だが、予想と反して電話の相手の言葉は董子にとって驚くべきものだった。

「いかがだったかね獅子土董子。我々が手助けした甲斐があったろ?」

その声は董子が聞いた事無い男の声であった。

「あんたは一体誰だ?その言葉から察するに、狙撃したのはあんたの差し金か?」
「まぁ私の事は関係ない。狙撃については私の命令だ。君に逃げてほしかったからね。君が無事でよかったよ。」

何者かはわからないが今の自分にとって味方と言える人物であろうと董子は解釈した。
男は話を続ける。

「橋本組長なら停泊している貨物船の上に居る。すぐに行くと良い。君が無事ならこの抗争も終わるだろう。」
「だ、誰かはわからないけどありがとう!」

董子は礼を言い携帯電話を切った。
そしてすぐさま駆けだし貨物船へと向かった。
貨物船へ向かう途中、運よく誰にも会わず済んだのですぐに到着した。
董子は貨物船のタラップを登り甲板へと到着した。
しかし船の甲板は思った以上に広かったため、すぐに橋本に会えるわけではなかった。
董子が周りを見回すと、港からの光によって甲板上に居る数人の人影が映し出されていた。
董子は目を凝らして見ると、橋本とその部下、鷹森組の組員、そして梓のお父さんである満時も居た。
闘っている様子はなく、橋本も満時も、何かを見守るように取り囲んでいる。
そんな中、梓の雄叫びに近い声が響く。

「あずさが…何かと戦ってるのか!」

董子はすぐに彼らの方へと走り出した。




梓とメリッサの戦いは橋本組と鷹森組の組員に見守られた中で行われていた。
橋本組と鷹森組の抗争としての形勢は五分に近いものであった。
渉のRPGによる威嚇によって降参した鷹森組の組員も居れば、退魔の術者に勝てずに捕まった橋本組の組員も居たのだ。
つまりこの抗争の決着は、梓とメリッサの闘いの結果によって決まると渉も満時も互いに理解していた。
二人の闘いに手出し無用。正々堂々最後まで戦ってもらおうと言う事が、言葉でなく心で理解し合っていた。
決着の要因となる梓とメリッサの闘いであるが、形勢はメリッサが有利な状況である。
そもそもメリッサ的には、梓を相手しながらでも、捕まっている橋本組員を助けるだけの力があった。
しかし彼女の夫である渉がそれをさせないように合図を送っていた。
何故なら組としての抗争では力が五分、そこに橋本組だけ強力なメリッサを抱えている。
逆に鷹森組の切り札の梓はメリッサと戦いながら橋本組から人質を取り返すと言うほどの力までは持っていない。
こんな状況でメリッサが人質を助け出したらどうなるか、それは人質を取っている側と取られている側という関係になる。
そうなってしまうと、もはやメリッサと梓の戦う意味が完璧に無くなってしまう。
何故なら橋本組が鷹森組に人質を使って脅すと言う事が出来てしまうからだ。
だが橋本組組長の橋本渉はそのような外道な手を使って抗争に勝とうとは思っていない。
更にメリッサが梓の仇である事も十分理解している。
仇の者と戦わせ、負けても自分の力では仇打ちは無理だったと諦めが付くだろうと言う事も考えていた。
それに人質に気を使わずに戦えるメリッサは持てる力を全て梓に使う事が出来る。
なのでメリッサは自分より力の劣る梓より優位に戦闘を進めていたのだった。
逆に梓は満身創痍。
梓の着ている巫女服も、メリッサの猛攻によりボロボロで血まみれになっていた。
梓が今までに戦ってきた魔物とは比べ物にならないほどメリッサは強かったのだ。
この前戦った暗男と南陽子はお互いにダメージを共有していた。
なので実際は二人いる敵に対して一人と戦っていると同じ力で戦う事が出来た。
しかしこのメリッサはその逆、一人しかいないのに六人を相手にしなければならないのだ。
メリッサの下半身である凶暴な犬達が、本体であるメリッサに近寄らしてくれないのであった。
犬達の射程距離は長く、それに加え毛が堅く怪我を負いにくくなっていた。
それに犬を倒しても、本体のメリッサを倒さなければ決着がつかないだろう。
何故なら過去に父である満時がメリッサの両腕を切り落とす事に成功したと言っていた。
つまり犬をいくら倒してもメリッサを倒す事が出来ないと言う事を証明しているのだった。
なので梓は本体であるメリッサを狙っているが、梓が狙っている事をメリッサも良く理解していた。
犬の首を伸ばし巧みに操作しメリッサは梓を本体に近づけないようにしていたのだった。
梓はもう目の焦点が定まらないほど疲労し衰弱していた。
ボロボロになった服がずり下がり肌が露わになりかかっている。
その様子を見てメリッサは嘲笑していた。

クックックックックッ…!こうしてみると暴行を受けた後の様ねぇ梓ぁ!もうあんたの負けで良いんじゃないかしら?

梓は唾を苦しそうに飲みこみ刀を構え直した。

まだ…まだ終わってない…

そう言ってはいるがもう足もガクガク震えている。
メリッサはため息をついた。

「仕方ないわねぇ。それじゃ、決着つけさせてもらうわ。安心してね、残さず食べてあげるから!」

そう言いメリッサは下半身である犬全員を梓にいっせいに飛びかからせる。

梓ぁ!

満時が思わず声を上げるが、梓には聞こえていなかった。
その時梓は、先ほどの董子のようにスローでメリッサの動きを見ながら、様々な事を思い返していた。


あぁ…私もこのメリッサのお腹の中に収まって死んじゃうのかぁ…ゴメンねお父さん…仇打てなかったよ…
でも良いよね…?この抗争が私達の負けで終われば…董子ちゃんも無事に橋本さんの所に戻るんだもんね…
私は董子ちゃんの親友だもん…董子ちゃんが無事なら…私はもう…死んでも構わないもん…って董子ちゃんさらったのコッチだけどさ…
橋本さん…うちのお父さんと仲間がご迷惑をおかけしました…董子ちゃんをこれからもよろしく…お願いしますね…
…でも…董子ちゃん…私がいなくなったら…寂しく思うかな…?
いや…そんな事無い…董子ちゃんは…私に殺意を向けてた事があったもん…私が死んでせいせいするかもね…
…ん〜…やっぱり董子ちゃんも…魔物だったのかなぁ…?良くわからないなぁ…
人間でも魔物でも…董子ちゃん…今の私になって言うかな…?
董子ちゃんなら…死ぬなよあずさって…言ってくれるかなぁ…?
これからも友達でいてくれるかなぁ…?



あずさぁぁああああああああ!

甲板の向こうから走ってきた董子が大声で梓を呼んだ。
その一声で梓は無意識に行動を起こす。
そして迫りくるメリッサの犬達を瞬時に刀の側面で弾き防いだ。

なんですって!?

思わずメリッサは戸惑ってしまう。
次の瞬間、メリッサの体に衝撃が走り胸部から鮮血が飛び散る。

メリッサッ!

その出来事に思わず渉が声を上げる。
渉は梓がメリッサを倒してしまったのかと思ったが、そうでは無かった。
梓は先ほどの位置から一歩も動いていない。
メリッサの胸部の傷は、まさかの弾痕であった。
何者かにメリッサが撃たれたのだった。
メリッサの口から血があふれかえる。

これは…ッ………銀製の…弾丸…かっ!

その出来事によりメリッサの犬が梓への攻撃を止めてしまった瞬間を梓は見逃さなかった。
と言うよりは、梓の体が無意識に反応してしまったのだ。


電光一閃!


梓の刀が、メリッサを頭の先から腹部あたりまでを一直線に切り裂いた。
切り裂かれたメリッサの体から血と共に内臓が零れ落ちる。
それと同時にメリッサの犬がもがき苦しみ息絶える。
メリッサの体は左右に開き地面に崩れ落ちた。
橋本組員も、鷹森組員も、他の者達は息を飲んでただ見ているだけであった。
その様子から我に返った梓は声を上げ喜んでしまう。

やった…!勝った…!
待てコラぁ!

その梓に渉一人が飛びかかる。
それもそのはず、梓は無我夢中でどういう状況であったか全く分かっていなくメリッサに止めを刺した。
しかし実際はメリッサが何者かに撃たれた事により手にした勝利。言わば自分の力で勝機を手にしたわけではないのだ。
正々堂々戦う場面であれば、梓は完璧に反則、いや、卑怯な手を使った事になるのだ。
むしろ、渉にとって、メリッサを撃った者はどう考えても鷹森組の者しか思いつかなかったのだ。

貴様ぁ!よくも俺の妻をぉおおおおお!

渉は懐からドスを抜き取り梓に振りかぶる。
状況がつかめていない梓は踵を返し渉に峰打ちをする。

ぐッ…メ…メリッサ………」

峰打ちされた渉は妻であるメリッサの死体の上へと倒れてしまった。

「い…いきなり飛びかかってくるなんて…ビックリした…!」

梓は息を漏らすと同時に、観戦している組員達とは別の方向からの視線に気が付いた。
そちらを向くと董子があっけにとられた表情で見ていた。

「あ!董子ちゃん!?なんでここに?っとと、それでもさっき声をかけてもらったから助かったよ!
あ、そうか、渉さんか。渉さんは大丈夫だよ!渉さんには峰打ちだから!」

しかしその言葉は董子には届いていなかった。

董子は今の出来事により一種の放心状態になり混乱していた。



何…?…あずさ…あの女の怪物…撃たれて…戦える状態じゃ…なかったのに…斬った…?勝負が付いていたのに…殺した…
それに…渉さんまで…渉さんの…言葉…奥さん……?あの怪物が…奥さん…それを…あずさが…斬り殺した…?
渉さんの妻を…あずさが…殺した…?その後…渉さんまで…殺した…何で…?
渉さんは…斬られた奥さんのために…飛びかかって…斬られた…?
何故?何故渉さんまで…殺される?どうして?どうして?あずさが退魔の一族だから?
渉さんも…敵だから…?酷い…!酷い…!酷いよ…!

…憎い…退魔の一族が憎い…あずさが憎い…私の…私の…渉さんを…殺す…あずさが…憎い…!
…殺す……殺してやる…私を…さらってまで…こんな事する…あずさ達なんて…死ねばいい…!
殺してやる…殺してやる…!

殺す!殺してやる!殺す………殺す……殺す…

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…




放心状態のようになっている董子の周りの空気が突如禍禍しい殺意を帯び始める。
その殺意はメリッサの邪気よりも重々しく、その場にいた鷹森組の者達にのしかかる。

「な…なんだこの重々しい殺意…邪気は…!」

満時が歯を食いしばりながら言葉を漏らす。

と…董子ちゃん!

梓は殺意を周りに放つ董子に声をかけ顔を見る。
だがそこに居た董子はいつもの董子ではなく、怒りに満ち溢れ目が血走り獣のように口を開いている董子であった。

あずさぁああああああああああああ!

獣のように開いていた口から見えていた歯が人間の歯から鋭い獣のものへと変わっていた。
梓は思わず唾を飲み込みその様子を見ていた。
むしろ董子の殺意によって動けなかったのだ。
突如、董子の耳が毛むくじゃらの獣のような耳へと変わる。
董子の耳が変化し獣の様な耳になったかと思うと、今度は董子の肩や腕、全身から大量の毛が生える。
その毛は綺麗な黄色とオレンジ色をしており、たまに黒い毛も混じりそれらが黄色と黒の縞模様を絵描いていた。
全身から毛が生えると同時に董子の体が数倍に膨れ上がる。

あずさあああああああああああああああ!

服も破け董子は3m以上の大きさになっていた。
董子は両手を地面へとつけ、肉食獣のような態勢になっていた。
手の形も変化し、猫の様な、ライオンの様な爪が生えてくる。
同じく足にも毛が生えて形が変わり、肉食獣のたくましい後ろ脚へと変化していた。
お尻からは尻尾が生え、もはや董子の体は人間のそれでは無くなっていた。
変化していないのは、董子の顔の容姿だけ。他はすべて変わってしまった。
今董子は人間ではなく、人間の顔をした、巨大な虎へと姿を変えていた。
その姿を見て梓はあっけにとられていた。
董子の姿をみて、梓の父である満時が震えながら言葉を漏らす。

(とうこつ)…!天下の平和を乱すため暴れまわり…死ぬまで戦い続ける…古代の化物…!
そいつを生かして此処から逃がしたら…大変なことが起こってしまう…!」

化物のへと姿を変えた董子が口を開く。

貴様等を…皆殺しにする…殺す…喰い尽くしてやる…!血祭りに上げてやる…!

梓はそんな董子を見ながら一つの諺を思い出していた。


こんな化け物になった董子ちゃんを倒さずに世の中へ出したら…
それこそ街中に猛獣の虎を野放しにするような物…!
あまりにも危険すぎる…!危険すぎるよ…!
…たしか…そう言う諺があったっけ…えっと…そう…たしか…





市に虎を放つ如し…!

続く


作:ドュラハン