市に虎を放つ如し

第十九話 不器用な虎



 満時が梓のお見舞いに行った次の日のことであった。
別の病院に入院している獅子土董子の見舞いにと足を運ぶ男が一人。
病院のロビーを通りその男は慣れた調子で受付の女性に挨拶をする。

「ウッス、こんちわー」

男は手に赤い薔薇の花束を持っており、服装もその薔薇に劣らず赤一色であった。
そう、この男は焼石カンパニーの若社長、焼石徹である。
受付の女性はお辞儀をする。

「どうも焼石様、今日はどのようなご用件で?」
「谷口の兄貴は居るかい?」
「院長の谷口先生なら院長室に居りますよ」

此処は渉の所属する組織の組長会の一員である谷口の病院なのだ。
この病院は通称「暴力病院」。この界隈の裏では有名な病院である。
「暴力」と言っても患者に暴力をふるうわけではなく、この病院に入院するのは大抵が裏の人達なのだ。
つまり「暴力団」の人達が入院患者の8割を占めているため「暴力病院」と呼ばれているわけだ。
この病院には董子の他にこの前の抗争で怪我を負った橋本組員達も入院しているのだ。

「そっか、サンキュー」

焼石は受付嬢に礼を言い、院長室へと向かった。
院長室へと着いたその時、ちょうどよく院長室から谷口が出てきた所だった。
谷口の格好はこの前の組長会の時と違い、ちゃんと白衣を着て医者らしい恰好をしていた。
焼石に気がついた谷口は軽く手を上げ挨拶をする。
その谷口の挨拶に対して焼石は満面の笑みを浮かべて答える。

「よぅ兄貴ー!遊びに来たぞ!」
「遊びに来たんじゃなくて誰かのお見舞いに来たんじゃないのか?」

谷口は焼石の持ってる薔薇を指差す。
すると焼石はその薔薇の花束を谷口に渡そうとする。

「いやいや、兄貴にあげるために買ってきたんだよ」
「ふざけてるんじゃないぞ。わかってるさ、獅子土董子の見舞いだろ?」

焼石は董子の名前を聞きぴたりと動きがとまる。
そして息を漏らしつつ頭を掻いた。

「やっぱ兄貴にゃかなわねぇな、完璧に読まれてるぜ。」
「あの子の事が心配だから見舞いに来た、そしてその事を悟られまいと馬鹿を言った、と言う事だな。」
「でもこの薔薇は兄貴にあげても良いぜ?バラと言えば男同士の…」

谷口はため息をつき呆れて額に手を当てる。

「私にそっちの気はないぞ。全く、私もお前も妻が居るのに何考えてるんだか…」
「実は俺って両刀なんだよね、兄貴今晩お暇ぁ〜?」
「馬鹿野郎、病院の院長室の前で院長を逢引する馬鹿が居るか!さあ獅子土董子の病室に案内するぞ!」

そう言い焼石に背を向けて谷口は廊下を歩きだす。
焼石もその後を少し、嫌そうについていくのだった。


 獅子土董子の部屋に向かう途中、谷口は焼石の足取りが重い事に気がついた。
表情もまるで苦虫を噛み潰しかかってるような微妙な表情であった。
谷口には焼石がそんな様子になっている理由をわかっていた。
谷口は歩きながら焼石に言う。

「所で焼石、お前今回『インフェルノブラスト』を使ったな?」

焼石は思わず肩を跳ね上げ驚いた。そして申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「うぅ…あれを使わなきゃ…俺がヤバかったんだよ…使わなきゃ今此処にいなかったと思うぜ?」
「お前のネーミングセンス無さとは裏腹にあの技は相当危険だからな。ちょっとやそっとで使えんものだろう。
 人間なら木っ端微塵に吹き飛ぶほどだからな。相手が相当な化け物でも大ダメージだ。私や純子は即死だろう。」

焼石は下を向いて落ち込んでしまう。
何故ならその技をゼロ距離で喰らってしまったのが、獅子土董子なのだから。
つまり焼石が見舞いに来たのも、獅子土董子が自分のせいで大怪我をして入院しているからなのだ。
しかし自分のせいで大怪我を負った人に対してお見舞いをすると言うのもなかなか大変な物だ。
しかもその相手がもしかするともう二度と包帯がとれない体になってしまったかもしれないのだ。
焼石は意を決して顔を上げ、されども不安そうな顔で谷口に聞く。

「それで…董子の容体は…」

谷口は下を向いてしまう。
その様子に焼石も黙って下を向いてしまう。
すると谷口が口を開く。

「私も驚いている。まさかこんなことになるなんてな。」
「一体…董子はどんな体になっちまったんだ…?」

焼石の不安をよそに、谷口は笑いながら個室のドアを開ける。
すると部屋の奥のベットから体を起してこちらに微笑んでいる董子の姿が。
董子の顔には包帯も巻かれておらず、いつもの董子の顔であった。
思わず焼石の目が丸くなる。そんな焼石に対して谷口が言う。

「最初はお前の技でめちゃめちゃになってた顔だが、自力で歯も生えそろってな。
 私の方で治療したのはやけどの治療と外れた顎を戻すことぐらいだったよ。」

焼石はそれを聞き心底安心すると同時に董子の底知れなさを感じ取った。

「兄貴、スマンが席外してくれねぇか?」

谷口は軽く頷き病室を後にした。


 焼石は少し咳払いをし、背広の襟を引っ張りシャキっとした。
そして董子のベットの横の椅子に腰かける。
改まって焼石は董子に挨拶をしお見舞いの花束を渡す。

「元気そうで何よりだ。どうだい調子は?」
「お陰さまで元通りよ。明日には退院出来るみたい」

董子は軽く微笑むが焼石は苦笑い。
良くなったとはいえ、入院する原因は自分なのだからあまり気持ちのいい物でも無い。
そんな焼石を察してか、董子の方から焼石に話しかける。

「私もあの時は渉さんの事で頭がいっぱいで…本当に見境なく暴れちまうところだった…。
 だから気を落とさないでくれよ。あんたのお陰で私は暴走を止めれたってのもあるんだから」
「そうか、董子自身がそう思ってくれてるなら俺としては安心だ。恨まれてたらどうしようって思っちまってた。」
「だってあの場面じゃ自業自得とも言えるよ。私が渉さんが狂ったと思って早とちりしたんだし。」
「いやいや、ありゃ仕方ないさ。退魔の一族との戦闘を見ちまったのもあるんだし。」

その言葉を聞いた瞬間董子は少し悲しげに下を向いてしまった。
焼石もその事に気がつく。そして今は触れるべきではない話題だったと心の中で反省していた。
すると董子は意を決したように焼石の顔を強く見ながら言った。

「あんた…私が何者なのか…最初からわかってたのか…?」
「いんや、俺はお前さんが何者なのかなんて知らなかったよ?」

董子の真剣な表情とは逆に、焼石はしれっとした軽い態度だ。
一瞬董子はムッとしてしまうが、確かに焼石とは初対面であった。知らなくて当然だ。
自分もこの焼石と言う男が何者なのか良くわかっていない部分が多々あるのだった。

「そもそも私もあんたの事知らないから当然か…わかったのはあんたが渉さんの友人ってとこぐらいで…」
「そうか、そう言えば自己紹介がまだだったか。俺は焼石徹。『焼石カンパニー』の代表取締役だ。」

そう言い董子に焼石は名刺を渡す。名刺には会社の住所や電話番号が書かれていた。

「会社の社長さんって言っても…あんたは一体何なんだ?人間じゃないのか?」
「まぁな、俺は人間じゃない。そう言う董子、お前さんも実は人間じゃなかったんだぜ?」
「ま…まぁそうだったんだけどさ…なんか私と違ってあんたは化物とは思えない気配がしたからさ…」

どうやら董子にとって自分がであった事が少しショックらしい。
それもそのはず、今まで人間として生活してきたのだ。だがいきなり魔物であると言う現実が目の前に横たわる。
自分を人間だと思って生活してきた者達にとってこの現実ほど重たいものはないだろう。
焼石はそう考え董子を励ます。

「魔物だったからって気を落とすんじゃないぞ。魔物だって良い奴は良い奴なんだからな。」
「いや、私は自分が魔物だったって事にショックは感じてないよ。」

その返答に思わず焼石は目を丸くして驚く。

「今だからわかるけど…うすうす自分の中で既に私が魔物だってわかってた気がする。」
「…そうなのか?」

董子は頷く。

「切っ掛けは南陽子とあずさの闘いの最中だけどね。退魔の剣士に殺意が沸いてたら…そりゃなんかあるわよね。」
「ふむ…お前さんの中を流れるの血が鷹森が敵だと言うのを知っていたんだな。」
「そう…それに定時制の学校に入ってから一番最初に仲良くなったのもあずさだった…
 私は無意識のうちにあずさが何者かわかってたのかも…あずさも最初からわかってたのかもしれない…
 あたしがというとんでもない化物だったって事を…」

そう言うと董子はうつむいて黙りこんでしまう。焼石も黙っている。
すると董子は顔を上げて焼石に言う。

「実は…退院したら…」

董子は焼石に『ある事』を話す。焼石はその内容を静かに聞いているだけだった。
董子が話し終わると焼石がゆっくり口を開く。

「その事は渉は知ってるのか?」

董子は首を振り寂しそうな表情を浮かべる。

「渉さん…お見舞いに来てくれないんだ…」
「そりゃ仕方ない。メリッサが死んじまったんだ。組長の、自分の妻が死んだとなりゃ忙しくもなるさ。」

董子は再びうつむいてしまう。

「だがな董子。お前さんの存在は魔物だってだけでは留まらんぞ。お前は『ロード』と呼ばれる者達の一人だ。」
「ロード…?」
「更に詳しく言うと董子お前さんは『ビーストロード』の血を引いている正統な『ロード』さ。」
「そのロードってのは一体なんだ…!?」

焼石は人差し指を振り董子を制する。

「今教えたら退院後の『事』に支障が出るかもしれねぇからな。変に気を使っちまって。
 本当は俺は止めなきゃならんがお前さんたちで決めた事なら止めはしねぇさ。」

その言葉を聞いて董子は軽く礼をする。

「それと董子、用事が済んでお前さんが無事だったら渉の所じゃなく俺の所に来い。」
「え?どういう事!?」
「お前さんはの力に支配されて戦ってる。そのの力って言うのも『怒り』や『憎しみ』だ。
 それじゃぁ駄目だ。お前さんはの力を使って戦うべきなんだ。」

董子は唾を飲み込む。そして期待に満ち溢れた顔でこう聞いた。

「つまり…修行かなんかしてくれるって事…?」
「そう言う事。まぁ修行は俺の嫁さんに任せると思うがね。」

そう言い終わると焼石は席を立つ。

「それじゃ俺はそろそろ帰るぜ。渉によろしく頼むぜ。あと彼らにもな。」
「わかってるわ…事がすんだらその時はよろしくね。」

焼石は董子に微笑み部屋を後にした。



 その次の日、董子は退院した。
董子の服装はいつもの作業着姿であった。作業着は彼女にとっては私服でもあったのだ。
そんな董子が退院してまず向かったのは自宅でも服屋でもなかった。
彼女が向かったのは…

「…此処ね、渉さんの家は…」

そう、橋本組の総本部であり、渉の自宅でもある日本風の屋敷であった。
門の所に黒い背広とサングラスを着用している男が二人いた。
董子が軽く頭を下げて近寄ると二人は深深と董子にお辞儀した。

「獅子土董子さんですね。退院おめでとうございます。お待ちしてました。親分はこちらです。」

そう言い男は董子について来るように言い、董子を屋敷の中へ案内した。
どうやら橋本組内で董子は知られているようであった。
組員は董子とすれ違うたびに董子に対して礼をするのだった。
渉の事なので董子の事を組員全員に伝えているのだろうと思った。
しかし董子は逆に何か背中がむず痒いような気がしてならなかった。
そう思いつつ男の後についていくと渉の寝室に通された。
少し董子は心臓が高鳴ってしまう。
男は深深と部屋の中にお辞儀をする。

「渉親分、獅子土董子さんがお見えになりました。」
「御苦労さん。下がって良いぞ」

男は頭を上げ、董子に対し軽く礼をするとその場を後にした。董子は部屋の中へゆっくり入っていく。
すると渉が寝巻のような着物を来て布団から起き上がっている所であった。

「渉さん…体調悪かったの…?」
「はは、いろんな事があり過ぎて神経と体が持たなくてね。少し休んでただけだよ。」

董子はほっと安堵の息を漏らす。
しかし董子は下を向いて黙ってしまう。その表情は何故か寂しそうだ。

「で、今日はどう言ったようで来たんだい董子。」

その質問に董子は少し汗をかき緊張しながら言う。

「め…メリッサさんの仏壇に…線香を上げようと思って…」

渉は寂しさを押し殺すような笑みを浮かべる。

「そうか、ありがとう董子。」

渉はゆっくりと立ち上がり、すぐ横の襖を開ける。そして部屋の奥に向かって言う。

「メリッサ、董子ちゃんが来てくれたよ。」

一瞬その言葉を聞き董子は顔が明るくなる。が、部屋の奥には花に囲まれた仏壇が置いてあるだけだった。
仏壇にはメリッサの遺影が飾られている。胸から上しか映っていないので人間の女性にしか見えない遺影であった。

「さぁ董子。メリッサに線香あげてくれ。」


 董子の耳にはその言葉が届いていなかった。遺影を見た瞬間から董子の頭の中が真っ白になっていたのだ。
董子は無意識のまま仏壇の所まで歩いていく。そして仏壇に飾られた遺影の中のメリッサを見た。
いつ撮ったのかわからないが、化物には見えない、美しいメリッサがこちらに微笑みかけている。
董子は正座をし、ゆっくり線香に火をつけ手を合わせて拝む。
拝んでは居たが、頭の中では渉とメリッサの事がぐるぐると渦巻いていた。
魔物であっても人間の妻であったメリッサ。人間であっても魔物を娶った渉。
メリッサが撃たれた瞬間にその名前を大声で呼んだ渉。梓に斬られたメリッサのために梓に向かっていった渉。
そしてメリッサの亡骸を抱きしめながら泣き叫ぶ渉。自分の声も届かず泣き続けていた渉。
それらの事を思い出してみると、この二人の愛がどれだけ重たかったのか容易に想像できる。
種族は違えど笑いあって仲睦まじく生活をしてきた渉とメリッサ。
しかし自分が鷹森組に誘拐されてしまい、自分を助けるために命を落としたメリッサ。
自分のせいで最愛の妻を失ってしまった渉。
先ほどまで渉が寝ていた理由も董子にはよくわかった。
休んでいただけだと言ってはいたが本当に体調を崩してしまっていた渉。
その理由が妻を失ったという事実で精神的に傷を負い体調を崩してしまったと言う事だとすぐにわかった。
そう考えると自分のせいで仲睦まじかった二人の仲を切り裂いてしまったのがとても申し訳なく感じた。
そして自分に出来る事がその渉の寂しさと辛さを自分も一緒に背負うことだと董子は考えた。

 董子は拝みながら涙を流していた。その涙に渉も気がつき董子を励ます。

「メリッサのために泣いてくれてありがとう…でも董子、董子のせいじゃないよ。
 メリッサは梓のお母さんの仇だったんだ。仇討ちにあって負けちゃっただけだ。
 彼女も仇討ちに破れた事を悔いには思ってないよ…横槍で撃たれてたけど…」

董子は泣きながらその言葉に反論する。

「それでも!私がさらわれたりしたせいで…渉さんとメリッサさんを巻き込んだ!全て私のせいよ…」

「そうじゃないよ」と渉が声をかけて慰めようと思った矢先に、董子はいきなりスポーツブラを脱ぐ。
ブラを脱ぎ上半身が裸になった董子に対して渉は董子の頬を平手で打つ。
それもそのはず。メリッサの遺影の前なのだ。こういう行動に出ない方が可笑しいだろう。

「何を考えているんだ董子!メリッサの仏壇の前でこんな…こんなふしだらな真似を!!」

董子は泣きじゃくりながら訴える。

「だって!だって私のせいで!メリッサさんが死んだ!渉さんの奥さんを殺しちゃったのは私なのよ!
 奥さんであるメリッサさんの代わりに私が渉さんを支えたい!メリッサさんの代わりを努めたいのよ!
 だけど…だけど私には体で慰めるぐらいしか…思いつかない!…いや…違う!
 そうするしか私には渉さんのためになる事なんて無いの!だから渉さん…」

渉はその言葉を聞き拳を畳にたたきつける。
その表情は怒りに満ち溢れていた…が、すぐに表情が崩れて寂しい顔をする。

「どうして…そう考えちゃったんだ董子…俺は君に手を出すなんてことは出来ない…。
 董子、君は居るだけでもう俺の心の支えになってくれてるし、気持ちだけでも十分だよ…。
 逆に言えば、俺のために体を差し出すなんて言語道断だ!そんなの一切お断りだ…」

すると董子はうつむきしゃっくり混じりの声でこう言った。

「それじゃあ…私が…死ぬか生きるかの闘い…人生最大とも言える死闘を控えてて…
 その前に心から愛してる男性を肌で感じたいから…そう言ったら…どうしてくれる…?」

渉は思わず立ちあがり董子を見下ろす。

「なんだその『人生最大の死闘』とは一体何の事だ!」

董子は涙を流したまま渉を見上げる。

「あずさと約束したの…あずさが退院した日に…あずさんちの近くの公園で…決着をつけようって…
 私とあずさ、どちらかが生きてどちらかが死ぬぐらいの決闘をしようって約束したの…!」
「馬鹿な!そんな事をしたら俺の組と鷹森組がまた抗争になっちまうじゃないか!
 その事を考えての事か!董子!君のせいでまた抗争が始まったらどうする!」

董子は首を振る。そして力強く訴える。

「そうじゃない…私は『橋本組員』として戦うんじゃなく…の獅子土董子』として、
 あずさは『鷹森組員』じゃなくて『退魔の剣士鷹森梓』という個人として戦うの…組なんて関係ない…!
 である私と退魔の剣士のあずさとの決着をつける闘いなのよ!」

渉は何も言えなかった。董子の梓と戦うと言う気持ち、覚悟が身にしみてわかったのだった。
この前の董子は半狂乱で戦っていたが、今回は董子自身が死闘を梓に約束したのだ。
相当の覚悟が無いと出来ない事だろう。だからと言ってそれを止めるわけにはいかない。
何故なら『退魔師』である以前に『親友としての決着』なのだから。
渉はうつむきため息をつく。そして董子の前に座り込む。

「そこまで…覚悟してるならこれは止めれないね…二人で決着をつけなさい。」

董子は泣きながら首を振る。

「戦う事を許可してほしいとは誰も言ってないよ!そうじゃないよぉ!」

そう言うと董子は渉に飛びかかる。渉は董子に腕を掴まれて畳に倒れてしまう。
普通は逆だろうが、ここでは渉が董子に押し倒された、という状況だ。

「ちょ…放せ董子!」

そんな渉の上に水滴がどんどん落ちてくる。いや、水滴ではなく董子の涙が絶え間なく流れているのだ。

「お願い…渉さん…!死ぬ前に…私は…渉さんを体で感じたい…!渉さんの愛を知りたいの…!
 の私でもメリッサさんのように…人間に愛されたっていう実感が欲しいのよ!

その言葉を聞き渉はハッとし昔の事を思い出す。それはメリッサと愛を紡いでいる頃のことだ。
メリッサは自分の下半身の犬を短い腕で撫でながらこう漏らしてた。

「今まで…たくさんの人間と戦った…たくさんの人間を殺して食べた…たくさんの人間に蔑まれた…
 だけどね渉さん、私は貴方に会って、こうしてデートしてわかった事があるのよ?」
「それは何なのメリッサ?」
「フフッ…そんな私でもね、人間にこうして愛して貰えるって言う事よ。魔物の私がね。」

渉はその言葉を思い出すとメリッサの遺影へと視線を移す。
そして心の中でメリッサへと語りかける。

「メリッサ、お前は構わないのか…?俺が董子を抱いても…咎めないか?
 この子に…愛をやっても…お前は俺を恨んだりしないか…?」

そう心の中で語りかけると、まるで遺影からそれに答える声が渉には聞こえるようだった。

「貴方が私を捨ててその子を抱くって言うわけじゃない事を私は知ってるよ。
 貴方は優しいから…私みたいに董子ちゃんが貴方の愛を欲しがるのも…仕方ないと思うよ。」
「でも…だからって抱いてしまうのは…」

そんな渉に遺影のメリッサが微笑む。

「董子ちゃんを抱いても私の渉である事には変わりないし、貴方が私を忘れるわけじゃない。
 貴方は私や董子ちゃんの…渉さんなんだからね…!だから、貴方の愛を董子ちゃんにも分けてあげて…!」

渉は董子の腕をふりほどくと起き上がり董子を抱きしめる。
抱きしめられた董子は渉に腕を回す。

「良いのか…董子、こんなおっさんの俺で…本当は俺以外に気になる人とか居るんじゃないのか…?」

董子は目をつむり渉の暖かさに浸りながら首を振る。

「居ないよ…私は渉さんと知り合ってから…渉さんに惹かれてたのよ…
 私の様なこんな男っぽい女の子の面倒を見てくれていた渉さんに…
 私の相談相手になってくれる優しい渉さんに…
 メリッサさんや私のような化物でも…人間と同じように愛をくれる渉さんに…
 だから私は…渉さんに愛して貰うのが…一番嬉しいよ…」

渉はその言葉に頷き、董子の顔を少し上げる。そして優しく、ゆっくりと董子の唇にキスをする。
董子もそれに答えキスを送り、強く渉を抱きしめた。
(健太郎涙目である)


 障子の向こうから朝の太陽の光が優しく差し込んでくる。
一つの布団に董子と渉が、裸で抱き合って寝ている。
すると障子の向こうに人影が一つ。

「親分…お楽しみの後で申し訳ねぇんですが…朝食は…どうしましょう…」

人影の声はかなり震えている。それもそうかもしれない。
まさかこの前まで妻一筋の組長が知り合いの女の子が訪ねてきたと思ったら火遊びである。
いきなりの変化に組員全員驚愕である。そして皆が思うのが「あの世の姉御…ブチ切れてるんじゃね?」と言う事だった。
渉は布団から体だけ起こすと横に寝ている董子を優しく撫でる。
撫でられた董子はその手を軽く握り返す。

「おはよ董子。朝飯はうちで食べるかい?」
「うん、お願い出来るかな」

渉は軽く董子の額にキスをしてから部下の組員に言う。

「俺の部屋に二人分運ばせてくれ。」
「りょっ…了解しました…!」

そう言うと障子の向こうの部下はそそくさとその場を後にする。
が、向こうで他の組員と何やら話してるようだ。

「おいおいやっぱり組長女と居るぞ!」「早い火遊びだな…」「いや、あの獅子土董子さんが相手らしいぞ」
「やっぱ組長董子さんのこと好きだったんじゃん!」「流石組長昔から目ぇつけてたんだな!」「というか姉御の時も思ってたけど…獣姦!?」
「な…なんだってー!?」「と言うかあの子って筋肉凄いから締りとかがすげえんじゃね?」「筋肉娘かー俗に言う」


渉は布団から出て軽く着物を羽織ると障子をあけて声の方に向かってこう言った。

「そうかーお前らが今日の董子の朝飯なのかー」

その言葉を聞いて思わず組員達は跳ね上がりダッシュでその場を後にするのだった。
渉はため息をついて着物を着直す。董子も布団から起き上がり微笑む。
そして渉に頭を下げてお礼を言う。

「昨晩は…その…ありがとう渉さん…私を…その、だっ抱いてくれて…」

董子は顔を真っ赤にしていた。渉はそんな董子を見て笑みを漏らす。

「いやいや、こちらこそだね。死んでしまったメリッサの代わりを尽くそうっていう一生懸命さが可愛かったし」

董子は思わず枕を渉に投げる。そんな董子の様子に渉は更に笑いを漏らす。

「ハハハハ!やっぱり董子は魔物である以前に女の子だな!初めてで恥ずかしがるなんてさ」

董子は顔を真っ赤にしたまま頬を膨らませる。しかし今度は渉が少し赤くなる。

「というか…大丈夫だったのかな…そのままで…」
(この意味がわからなかったら大人に聞こうね!)
董子は目を閉じ余韻に浸るように自分のお腹を優しく撫でる。

「渉さんの温かさを…直に感じたかったからね…熱いのが体に来た時は嬉しかった…」
(わからない子は(ry)
渉は心の中で「全年齢の小説で大丈夫なのか?」と思いながらも恥ずかしくなってしまう。
その恥ずかしさを紛らわすためにタバコを吸おうとする。
しかし渉はタバコを逆に咥えており、焦って咥え直そうとあたふたしていた。
その様子に董子も笑いを漏らした。

「なんだ渉さんも恥ずかしがってるじゃんか、私とどっこいどっこいじゃん!」
「だ、だって女の子と寝るのもホント久々だったし…そ、そのなんだ…」

渉は恥ずかしくてどもり始める。董子は更に笑い、それにつられて渉も笑った。
が、不意に董子の服から携帯の着信音が。董子と渉は一気に真剣な顔へとなった。
董子が電話に出ると、その相手は梓であった。そして今日梓は退院出来ると言う事だった。
待ち合わせ時間などを軽く話すと董子は別れの挨拶をして携帯を切る。
渉はタバコを吸いつつ董子に息を漏らしながら聞く。

「やっぱり…戦うのか?」
「ああ」

董子の表情は真剣だった。
渉はその表情を見てやはり董子は本気なんだと言う事を感じた。
本気だったからこそ、愛していた自分と一度でも良いから結ばれたかったんだなと再度認識した。
渉が思いを馳せていると、障子が少し開き朝食が運ばれてきた。
董子も服に着替え、渉と一緒に朝食を食べる。
二人は朝食を無言で食べていたが、董子が不意に口を開く。

「渉さん…実は用意してほしい物があるんだけど…」
「何を用意するんだい?用意できるものなら何でも用意するけど」

すると董子はある物を渉に用意するように頼んだ。
その物の名前を聞いた渉は「やはりか…」とうつむき涙を浮かべた。
そして用意はできるが俺には用意することしかできないと言い謝罪をした。
それに対して董子は軽く微笑みながらこう渉に言った。

「愛をくれたじゃないのよ」

渉はその言葉で更に涙を流し、董子が渉の頭を母親のように抱き慰めるのであった。



 朝食を食べ終わり、約束の時間が近づいてきたので董子は渉の屋敷を出た。
渉は見送りをしなかった。何故なら見送れる余裕がないほど、渉は悲しんでいたのだ。
董子は屋敷を出ると空を見上げた。空は快晴でお天道様が微笑んでいた。
董子は軽く呟く。

「良い天気…こんな良い天気に親友とまた二人で話して喧嘩出来るのか…」

そう言い董子は歩きだした。



 途中でタクシーを捕まえ董子は安澄市へと向かった。
約束の場所が目と鼻の先に差し掛かった時点で、なんとタクシーがエンストを起こした。
董子はそこでタクシーに料金を払い降り、徒歩で約束の場所である公園へと向かった。
その公園は遊具などが置いてある公園と言うよりは、大きな庭園の様な公園である。
董子は公園に着くと入り口すぐの噴水の所に座っている人物に声をかける。

「人払いの術って、タクシーをエンストさせたりとかそういう風にも効くんだね」
「へー!そう言う風に効いてたとは、私も初耳だよ!」

董子は軽く笑いかける。

「これならどれだけ私等が戦っても一般人を巻き込みそうにないね、あずさ!」
「そうね、董子ちゃん」

親友二人がこれから行う事とは裏腹に、微笑みあった。



続く


作:ドュラハン