時系列は、『ヒューマンハンティング』開催の数日前へと遡る。 組長を暗殺されたことで復讐に燃える橋本組の残党は、鷹森組によって壊滅寸前に追い込まれ、 再び姿を現した『ナイト・オブ・ダークネス』構成員の南陽子の策略により、親友たちとの絆を引き裂かれた鷹森梓は、 その際の精神的ショックに起因して生まれた幻影に、延々と苦しめられ続けていた。 これは、幻影と戦う鷹森梓と時を同じくして、襲い掛くる魔の手から逃れんと足掻いた有沢咲耶の物語である。 市に虎を放つ如し
第二十八話特別編 襲いくる魔の手 有沢咲耶逃走編 「は、はい!」 タカダさんの鬼気迫る表情に気圧されたウチは、ひとまずカーテンを閉めてから急いで着替えた。 映画とかドラマに出てくる特殊部隊が着ている戦闘服を想像してもらえるとわかりやすいかな。 ウチは下っ端やし、今までドンパチやるような任務はあまりやった記憶はないから、 この戦闘服を着る機会は殆どなかったんやけどな…。お蔭でこの戦闘服は新品同然や。 「よし、着替え終わったね? 玄関まで行く時間も惜しいからこっから飛び降りて!下にバイク停めてるから!」 「うぇっちょっ、無茶言わんといてください!!」 「大丈夫!この服は衝撃を吸収しやすい特殊な生地でできてるから心配ないよ!」 そう言ってタカダさんは先に飛び降りた。数秒遅れて、着地音。 うへぇ、改めて見てみると結構な高さやん…。で、でもしゃあない。タカダさんを信じて、ウチも飛び降りるか…ッ! ヒュゥゥ… ―― スタッ ウチの耳が風切り音を捉えたところで、下のアスファルトに着地したウチは、反射的に前回り受け身を取る。 普通は二階から飛び降りたら無傷じゃあ済まへんやろうけど、この服はホンマに衝撃吸収に優れているようで、殆ど痛みを感じへんかった。 そら確かに漫画とかでも高いところから飛び降りて無傷っちゅうシーンはあるけど…。なんとまぁご都合主義だこと。 「上出来だ咲耶ちゃん! さ、後ろに乗って!」 声のするほうを向いてみると、フルフェイスヘルメットを被ったタカダさんが、家の前の路地で大型バイクのエンジンを吹かして待っていた。 用意された二人乗り用のヘルメットを被ったウチは、タカダさんの後ろにまたがっておなかに手を回す。こうやって、誰かの背に体を預ける感覚が懐かしいな。 …この時、体をビクッと震えさせる松沢くんの姿が、一瞬だけタカダさんの姿と重なった。 「OK! しっかり俺に掴まって…… ――よし、出発!!」 ブォンブォン!!と、ひときわ大きなエンジン音を轟かせ、灰色の排気ガスを吐き出しながらウチらの乗ったバイクは発進した。 …。 ウチらを乗せたバイクは、明かりがほとんど消えて人気のない夜中の繁華街を颯爽と駆け抜けてゆく。 「突然悪かったね、咲耶ちゃん」 「…別に、気にはしていません。任務なら仕方ありませんし」 『日常モード』から『仕事モード』に気持ちを切り替えて淡々と答えるウチ。 財団のことやから、こんな時間に突然任務が下ることは今までなかったわけやない。 それでも予め時間は言われてて、準備する時間くらいはもっと用意してくれてたんやけど…。 「それなんだけどさ……、実はね、今回は任務じゃないんだ」 「任務じゃ、ない…?」 それって……どういうこっちゃ? ウチは頭の上にはてなマークを浮かべる。 あれこれと思案に暮れるウチに、タカダさんはフルフェイスのヘルメット越しにまじめな口調で言った。 「俺は、財団の魔の手から咲耶ちゃんを救いに来た」 ……………ほぇ? 数秒間の沈黙。 「……すみませんタカダさん、私やっぱり帰ってもいいですか?」 「うん、だよね。いきなりこんなこと言っても何言ってんだコイツってなるよね。とりあえず俺の話聞いて!お願い!」 「………」 ……いくら上司のタカダさんでも冗談やったら怒るで。ホンマ。 不信感を抱きしばらくの間ジト目を向けていたウチに、タカダさんは再びまじめな口調で語り始めた。 「咲耶ちゃん、俺が連絡しなかった間に何か財団から連絡来なかった?」 「はぁ。ええと、何日か前……、『影の勢力』の南陽子が再び学校に来た日です。 確か"ノギさん"という人から『次の指示があるまで自宅で待機しろ』と…」 それを聞いたタカダさんは「やっぱりか…」と、舌打ち交じりに息を吐き、 「…簡単に言うと今、咲耶ちゃんには財団から捕縛命令が出ているんだよ。罪状は"機密情報漏えい"、だってさ。 今頃、咲耶ちゃんの家に会長お抱えの特殊部隊の『Y.S.S.』の連中が向かっているところだと思う」 「へ? ほばく…めいれい…? きみつじょうほうほうろうえ…」 機密情報漏えい。捕縛命令。この言葉を理解するまでなぜか10秒くらい時間がかかった。 ちょっと。 ちょっと待ちや。 思いっきり心当たりあるやん。 ウチは思わず戦闘服のポケットに突っ込んでた"それ"を取り出して思いっきり叫んだ!! 「それもしかしなくてもタカダさんが前ウチに渡した この最新型スマホのことじゃないですかあああああああああ!!」 「それについては本当にうかつだった!財団に咲耶ちゃんを狙うもっともらしい理由を与えちゃったから…」 「もっともらしい理由って何ですか… このスマホ以外に何か……」 「咲耶ちゃんの持ってる『能力』」 「!!!」 その言葉を聞いた瞬間、血が上りに上っていたウチの頭から一気に血液が引いていった。 タカダさんが言う『能力』とは、おそらくこの前から突然届くようになった『未来予知のメール』……のことやと思う。 でも、なんでタカダさんがこの『能力』のことを知っとるんや…? 誰にも話した記憶なんてあらへんのに…。 「『安澄抗争』の後、任務の合間に会長のことを見張ったりとか、こっそりサーバールームに忍び込んだりして調べてたんだ。 そしたら、いろいろわかったよ。その中の一つが咲耶ちゃんが持っている"ロードの力"…とかいう特殊な『能力』さ。 そしてその能力を、影の勢力――もとい『ナイト・オブ・ダークネス』と、四ツ和財団が狙っていることもね」 「………」 …そんなところまで調べとったんか、この人は…。この行動力だけはめっちゃ尊敬する。 「…あ! そうそう、その過程でちこっとヘマやらかしちゃって警備部のやつらに捕まっちゃってさー。 さっきのさっきまでずっと牢屋にぶち込まれてたんだよね。隙見て装備とバイク奪って抜け出してきたけど」 「えぇッ!? ……ああ、それで最近タカダさんから連絡がなかったんですね…」 「そーゆーこと。本当はもっと早く咲耶ちゃんにこのことを伝えられたらよかったんだけど、 下手に連絡したら傍受される可能性があったから…、連絡するにできなかったんだよ。本当にゴメン」 「いえ…。それよりも、そんな危険を冒してまで私のことを……、その、ありがとう…ございます」 「気にすんなって。前にも言っただろ? 俺は、咲耶ちゃんには消えて欲しくないと思ってる。俺は咲耶ちゃんが無事だったらそれでいいんだよ」 タカダさん…。…ううん、ちゃんと感謝の言葉を伝えるのは逃げ切ってからや。 それにしても『ロード』っていう言葉…。ウチの脳裏にはあの時のフィンスターとの対話シーンがよみがえる。 『――その分だと、貴様は自分の立場にまだ気づいていないようだな。まあ、ほかの者たちにも同じことが言えるが 』 『――いずれわかる。そう遠くはない未来にな 』 「(……あの時のフィンスターは、ウチが"ロードの力"を持ってる…ってことを暗に言うとったんやろか…?)」 ホンマなんちゅうこっちゃ…。こんなん、漫画とかアニメとかゲームでしかあらへんやろうに…。 ウチが愕然とした表情を浮かべていると、手に持っていたスマートフォンのスリープ状態がひとりでに解かれ、 いつの間にか届いていた未来予知のムービーメールの映像を勝手に映し出した。 その内容は、ウチの家を取り囲む財団の特殊部隊の車両、無理やり鍵をこじ開けて突入してくる特殊部隊の隊員、 しまいには、抵抗する間もなく連れ出され、車両の中に放り込まれるウチの姿。そこで画面は暗転して、時刻が表示された。 その時間は午前0時32分。今の時刻は…… 午前0時31分。ちょうど一分後に起こる予定の出来事やったようや…。 …ってことは、あの待機命令はウチを家に居させるための嘘で、初めからウチを捕まえに来るつもりやったんか…。 「しっかし女の子一人に私設特殊部隊を送り込むと来たか。こんな強硬手段使うなんて、財団も相当焦ってるっぽいなぁ。 もたもたしていると『ナイト・オブ・ダークネス』に咲耶ちゃんを奪われちゃうからかな? なんにせよ早いとこ身を隠せる場所を見つけないと」 「え? まさか逃げる場所とかあらかじめ決めてたりしなかったんですか…?」 「…………。…あー、まあ、走ってるうちに言い考えが思いつくかなーって思ってね。HAHAHA」 「おいイィィィノープランにもほどがあるやろオオオオォォォォォォォ!!!!」 ウチ渾身の魂の叫び。ホンマは一緒に逃げてくれてるだけでも感謝すべきところやけどついツッコまずにはいられへんかった…。 ブルルルルル… ブルルルルル… そんなときにスマートフォンが急に振動し始めた。見てみると、どうやらまた未来予知のメールが届いたみたいや…! その内容とは……。……!! ………、…なるほどなるほど。これから起こる展開を見てもらえるとわかると思うわ。 「……タカダさん、今から私の言う通りに道路を曲がってください」 「え、ちょ、な、何突然?どうしt」 「そこの信号左!!」 「は、はいィッ!!」 信号が赤なのをお構いなしに、指示どおりにタカダさんは交差点を左へと曲がる。 すぐさまバックミラーを見ると、さっきの信号のところから黒塗りの車両がようさん追いかけてきた! 「げっ!!『Y.S.S.』の奴らもうここまで来てたのか!?」 「次行きますよ!右の路地に入って!!」 「よ、よしきた!」 ウチらのバイクは、スピードをほとんど落とさないまま、器用に右の路地へと入った。 その路地は、車が進入できない大きさの狭ーい路地や。 入り口では、前方で待ち伏せをしていた『Y.S.S.』の車両と、後ろから追いかけてきた車両が立ち往生していた。 「すごいね咲耶ちゃん。よくあいつらが待ち伏せしてるのに気づいたなぁ」 「これが私の『能力』のようです。これから起こる出来事が、不定期にムービーメールで届けられてくるんです」 「へぇ、そりゃまた便利な…。どうりで財団や影の勢力が欲しがるわけだ…」 タカダさんの反応をみると、さすがに財団も能力の内容までは知らんかったっぽいな。 路地を抜けて開けた道路に出たことで、タカダさんに次の指示を飛ばす。 「次行きますよ! 次の信号右!」 ギャギャギャ!!! 「その次直進!」 ブォォォォォン!!! 「信号を右に曲がって左の路地!」 ギャキキキキキキ!!! 「はい次は――」 …。 「……いつの間にか『Y.S.S.』の車が追って来なくなってるな」 ……かれこれ一時間くらいは織笠市内を走り回ってたやろか。 未来予知に従って変なところで曲がったり、狭い路地に入ったりして財団の車を撒いているうちに、気づけば高速道路を走っとった。 田舎とはいえ普段は車が多い高速道路でも、さすがにこんな時間になると長距離トラック以外の車はほとんど走っていないみたいやな。 「未来予知のメールもこれから先のことは予知していませんね。さすがに私達を諦めたわけではないと思いますが…」 「そうか…。ひとまずは小休止ってところかな」 短いトンネルを抜けたところで、ちょうど雨がぱらぱらと降りだしてきた。 そういや今朝の天気予報でこの地方は夜間は激しい雨になるとか言うとったっけな…。 「お、このままいくともうすぐ安澄市だな。どこか手頃なビジネスホテルにでも身を隠してしばらく財団の出方を見るか…」 次の出口を知らせる案内標識にちらりと視線を向けるタカダさん。 「でもこの格好だと確実に怪しまれると思いますけどね」 「それはほら。『この格好は趣味です!』って言い張れば問題ないって」 「こんな時間は服屋もほとんど閉まってそうですし…。本当にどうしましょうか」 「…ほほう、スルーとはやるねえ咲耶ちゃん」 そんな問答をしている間に、バイクは織笠市と安澄市の境目の山間地帯に入る。 緩やかなカーブが続くこの辺りは、高速道路を照らすオレンジ色の照明の数も疎らで、夜間は交通事故が起こりやすいエリアなんやけど…。 「さてと、車も見当たらなくなったところだし… そろそろ飛ばしていきますかぁ!!」 ってギャアアアァァァァ言ったそばからアァァァア!! 若干調子に乗っているらしいタカダさんは、「ヒャッハー!」とバイクのエンジンをを唸らせ、スピードをグンと上げる。 車の一台も見当たらなくなった夜中の高速道路を水しぶきを散らしながら制限速度オーバーの速度で走り抜けていく。 あっ雨の中をっこんな速度で走ったらっ事故るッ!!マジ事故ってまうッ!! 「ちょっとタカダさん、スピード出しすぎですよ! 事故したら洒落になりません!」 「だいじょぶだいじょぶ! ちょっとぐらい速度出したって――」 ガコッ 「な……」 ……今を思えば、気づくべきやったかもしれへん。 「うおぉぉッ!?」 財団の追手が来うへんからといっても、なにも仕掛けてないとも限らへんことを。そう簡単には獲物を逃がさへんことを。 「きゃぁぁっ!!」 ウチらの乗っていたバイクは何かに乗り上げてバランスを崩し、二人とも宙に投げ出された。 命の危機を感じた脳が血管を収縮させる「タキサイキア現象」が起こり、地面に打ち付けられるまでの数秒の間がすべてスローモーションに見えた。 その時ウチの視線がとらえたのは、こけたバイクと一緒に巻き上げられ、宙に舞う黒い棒状のモノ。 それが、普段は四輪の車両を強制停止させるのに使う「車両強制停止装置」やと気付いたのは、体が地面に打ちつけられてからやった。 ズザザザザァァァァァァァッ 地面に落ちた後も、ウチらの体は勢いを落とさないまま雨で濡れた路面を滑り、 ドガァ!! 「ごッ…あッ!!!」 カーブの先にあった防音壁に勢いよく叩きつけられた。一瞬遅れてバイクも壁に当たり、大破して破片が飛び散る。 頭を強く打ちつけたせいでひどい頭痛が起き、意識ももうろうとする中、いくつもの眩しいライトがウチらに向けられた。もう、手で覆うための気力もない。 車から降りてきた財団の工作員らしき男たちが、ウチらに駆け寄ってくる。 「午…1時……分、アリ……サ…ヤ並…にタ……ナ…キの身……確……ました」 『よ……った。そ…二人の脱…者を連れ……部…と戻………な…い 』 「了……ました」 何を言ってるかも、よく聞き取れへんかった。 ……そしてそのまま、ウチの記憶はここでいったん断裂する。 …。 数分後、バイク事故が起きた現場では業者による事後処理が行われていた。 この事故により左車線は通行止めとなっているため、この付近を通る数少ないドライバーたちは面倒くさそうに指示に従い、右の車線へと移る。 そしてその事故の様子をちらりと見やり、「ああ、どこかの走り屋のバカが単独で事故ったのか」と悪態をつきながら走り去ってゆく。 これは走り屋が起こした事故。確かにはた目から見ればそう映っていた。 しかし、事実は違う。 「ったく……早く処理終わんねーかな。交通整理なんてだりーっすわマジ」 「文句を言うなコンドウ。現在は最終チェック中だ。もうじき完了する」 雨合羽を着用し、矢印看板の後ろに立って誘導ライトを手に握っている男"コンドウ"は、不機嫌そうな表情で車を誘導していた。 彼らの正体は自動車連盟だとか警察だとか言う機関ではなく、『Y.S.S.』をはじめとする四ツ和財団の工作員たちである。 逃走者である有沢咲耶たちを捕捉した彼らは、"視察"と称し『Y.S.S.』のオペレーションルームに直々に出向ている四和誠一郎会長の指示のもと、 表向きには交通事故の処理に見せかけて、財団の残したあらゆる証拠を消し去る作業を行っているのだ。 「にしても四和会長はホントなに考えてるんスかねぇ。たかが試作型のスマホ一機のために俺ら『Y.S.S.』を出動させるなんて。 あのスマホ、見たところ何の変哲もなさそうだし…いったいどこに機密情報が詰まっているのやら…。ねぇゴトウさん」 「ああ…、だが無為な詮索はしないほうが身のためだ。本部はそういった行為は許さないぞ」 「へいへい言われなくてもわかってますよ」と、コンドウはゴトウに適当な返事を返す。 動きが読まれていたのか、織笠市内でのカーチェイスではあいつらには多少振り回されたが、この面倒くさい任務ももうじき終わる。 あとはこの二人を財団本部に突き出して、奪われたスマートフォンを技術部のもとに届けるだけだ。 「(任務が終わったら酒の一杯でもひっかけるか… 久々に高い酒買ってあるんだよなぁ。へへ、楽しみだぜ)」 ニヤニヤ顔でそんなのんきなことを考えていたコンドウだったが、ピクッと彼の表情が変わる。それは彼の視界にあるひとつの人影が映し出されているからだ。 大雨の中、深夜の高速道路の暗がりから現れたその人物は、茶色のソフト帽にトレンチコートを着用している、長い銀髪が印象的な外国人だった。 トレンチコートの外人は、傘も差さずにこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。 「(なんだこいつ…? 外人?なんでこんなとこにいやがんだ? とにかく追い払わねーとな)」 コンドウは歩いてくる外人の前に立ち、ややぎこちない愛想笑いを浮かべて言う。 「はーいごめんなさいねー。ここは危ないから近づかないでくださーい。作業中ですのでー」 「………………」 ところが外人は顔色一つ変えずに、コンドウの言葉を無視して進もうとする。 コンドウはムッとした表情を浮かべ、また外人の前に立って今度は半ばキレたような口調で怒鳴る。 「おいちょっとアンタ! 日本語通じねぇの?ここに近づくなって言ってんだろ」 「……黙れ。貴様の言葉は通じている」 ようやく開いた外人の口からは存外流暢な日本語が飛び出してきた。 が、男の言葉が思いっきり上から目線の物言いだったこと、がコンドウの神経を逆なでした。 「テんメェ…ッ ふざけんのもたいがいにしろよクソ外人。痛い目にあいてぇのか!?えぇコラァ!? 」 「コンドウ!!」 後ろからゴトウの怒声が飛ぶ。作業をしていたほかの工作員たちも「事を荒立てるな、工作活動中だぞ」と言いたげな目でコンドウを見つめていた。 コンドウは自分の気に入らないところがあるとすぐにキレる性分の持ち主であり、曰くつきの集団の『Y.S.S.』の中でも最もトラブルを起こすのが彼である。 仲間たちの視線を受けて「チッ…」と舌打ちをし、コンドウはあからさまに不機嫌な表情で謎の外人に尋ねた。 「それで? アンタ俺らになんの用? 俺らは今忙しいの。別の事故の処理とか警察への連絡なら他をあたってくれ」 「…フ。貴様らのような低俗な人間と言葉を交わすつもりはなかったのだがな。では一つ簡単な要求をしよう」 「は?」とあっけからんな表情をするコンドウ。しかし男が次に発する言葉は、この場にいた工作員たちすべてを驚愕させた。 「有沢咲耶を、渡せ」 「!? 何者だおま――」 その瞬間、何か言葉を発しようとしたコンドウの胸部に男の右手が食い込んだ。 「ガハァッ!! アッ…あ゙ァア…ぁ………ッ、…ぁ………」 手が食い込んだまま、軽々と宙に持ち上げられたコンドウは男に抵抗しようとバタバタと手足を振って暴れるが、 精気を吸い取られているのかみるみるうちに体が朽ち果ててゆき、しまいにはカラカラのミイラのような姿になってしまった。 「きさま… 魔物…いや、『ナイト・オブ・ダークネス』か!?」 ゴトウが叫ぶと、証拠隠滅作業をしていた工作員たちはレインコートを脱ぎ捨て、隠し持っていたサブマシンガン――『P-90』――を取りだし、 事故処理の作業車に偽装していた車両からも『Y.S.S.』の隊員たちが大勢現れ、同じく『P-90』の銃口をこの男へと向ける。 そう。この男は『ナイト・オブ・ダークネス』の構成員。 名はフィンスター・アーベント。 以前獅子土董子のいた鷲峰学園や、東城静一&小闇との激闘を経た焼石徹と有沢咲耶の前に現れた男である。 「もう一度だけ、要求をしよう」 コンドウから精気を完全に吸い取ったフィンスター・アーベントは、腕を軽く振ってその搾りカスを投げ捨てると、再び同じ問いを繰り返した。 「有沢咲耶を、渡せ」 先ほどと同じ調子で、フィンスターは言った。 「く………っ」 ゴトウは唇を噛んだ。 素行は悪くとも、コンドウは大切な部下の一人だった。 コンドウを殺したこの男に対して今まさにサブマシンガンの引き金を引き、全身蜂の巣にしてやりたいという気持ちはある。 だがそんなことよりも、奴に対する得体のしれない恐怖感がゴトウの体を支配していた。 この男から発せられる"気"は、今まで相対してきたどんな人物とも異なっている。それは最も禍々しく、かつ最も危険なものだとゴトウは感じた。 叶うならば、これから起こるであろう戦闘を回避したい。『Y.S.S.』の任務に就いていた中で、彼は初めて心の中からそう思った。 『何をためらっている。有沢咲耶とそのスマートフォンを持ち帰ってくるのが君たちの任務だろう? 』 だが、然うは問屋が卸すはずもなく。 無線のインカムからは、いつも通り冷徹な口調の四和会長の声。 『答えはもちろん"ノー"だ。有沢咲耶を死守し、「ナイト・オブ・ダークネス」を撃退しろ。わかったね? 』 「り、了解…しました…」 個人の感情はどうであれ、逃げ出すことは許されない。「戦うこと」が会長の意思であらば、奴と戦うしか道はないのである。 覚悟を決めたゴトウは気持ちを切り替え、四和会長からの指示を周りの『Y.S.S.』隊員へと改めて伝達した。 「…『Y.S.S.』各員へ告ぐ。有沢咲耶を死守し、『ナイト・オブ・ダークネス』を撃退せよ。即時に戦闘隊形をとれ」 「……フ、そうか。ならば」 律儀に『Y.S.S.』の戦闘準備が終わるまで待っていたフィンスターも、彼なりの戦闘体勢を取った。 力を解放した彼の体からは、夜の闇よりも暗い、闇色のオーラが溢れ出す。 「貴様らを屠るまでだ」 直後、「戦闘開始!」という号令とともに、『P-90』の銃口が一斉に火を噴いた。 …。 ズドォォォン!! 「ごわぁッ!!?」 脳を揺さぶる爆音とともに体に強い衝撃を受けたウチは、横転したバス(に偽装した財団の車両)の中で目を覚ました。 ウチは手足を枷で拘束された状態で座席に座らされ、外からは銃撃の音と爆発音が聞こえる。いったい何が起きとるんや…? 「咲耶ちゃん、大丈夫かい?」 先に自力で拘束を解いていたタカダさんが小声でウチに話しかけながら、ウチの手足の拘束具を外してくれる。 「あ、ありがとうございます、タカダさん…」 「ごめんね。俺が油断してたばっかりにあんなヘマを」 「それはもういいです。今それを悔いても仕方ありませんしね。ともかくここから脱出しましょう」 「んーやっぱり咲耶ちゃんドライだねぇ」 そんな言葉を交わしつつ、傾いて荷物が散乱しまくっているバスの座席から、 ウチらの装備と、アタッシュケースに入れてあったスマートフォンを取り返す。 「外では戦闘が起きているみたいだ。もしかしたら『ナイト・オブ・ダークネス』の襲撃かも。気を引き締めていこう」 「……はい」 ウチは安全装置を外し、自動小銃『グロック17』を構えて、割れたリアガラスから、そろーりと顔を出す。 ……そしてそこに広がる光景を見たとき、ウチらは言葉も出えへんかった。 横倒しになり、燃え盛る『Y.S.S,』の装甲車。雨水に流され、路面を埋め尽くす大量の鮮血。 そしてその血の持ち主である、精鋭揃いの『Y.S.S.』の隊員たちの死体がそこらじゅうに転がっていたからや…。 五体満足なのはまだいいほうで、体の関節が変な方向に折れ曲がった隊員の死体や、切り裂かれて原形をとどめていない死体、 さらにはどんな攻撃を受けたのか、干からびて死んでいる隊員も何人かおった…。うぷ…っ、あかん。あまりにも凄惨すぎて思わず吐き気が…。 それからウチらの瞳は、はるか前方のほうにおる、トレンチコートの男の姿をとらえた。 「見 つ け た ぞ」 アイツの赤い瞳と、ウチの目とが合う。 ……大雨の雨音が激しく、んでもってかなり離れとるはずやのに、なぜかアイツの発した言葉は、はっきりと聞き取ることができた。 「フィンスター・アーベント……!」 この男の声。姿。あの時と全くいっしょや。忘れようとしても忘れようがあらへん。 フィンスター・アーベントはまさに今、最後に残った『Y.S.S.』隊員を手にかけたところやった。 彼の断末魔の悲鳴が、雨音の中にかすかに響き渡る。 「あれが前咲耶ちゃんが言ってたフィンスターって野郎か…! これだけの数の『Y.S.S.』の隊員をたった一人で…」 フィンスターは改めてウチらのほうに向きなおると、ゆっくりと歩みを進めてくる。 「私は貴様を迎えにきたのだ。我々のもとに来い。有沢咲耶」 「ケッ!咲耶ちゃんはアンタにも渡すわけねぇだろ!これでも食らってろクソ影野郎ッ!!」 タカダさんはウチの前に割って入り、フィンスターめがけて『P-90』の引き金を引き、一気にマガジン中の弾丸全弾を連射する。 せやけどフィンスターが何かを口で唱えると、『Y.S.S.』隊員の亡骸がフィンスターを守るように宙に浮き、その体で弾丸をすべて受け止めた。 どこぞの死霊遣いもここまではせんやろに!まったくエグいことしよるわ…! 「抵抗は無意味だ。貴様ら虚弱な人間ごときにはそれがわからんのか!」 すると、フィンスターのコートの中から溢れ出た闇色のオーラが長槍のような形に変化し、タカダさんめがけて突き刺そうとしてきた! 「うぉぉぉ!?」 「危ないタカダさん!!」 ウチは放心していたタカダさんの腕を引っ張り、間一髪で攻撃を避ける。タカダさんの代わりにウチらがさっきまで乗っていたバスが貫かれ、 横倒しになったバスの底面のゴチャゴチャした部分から、バスの屋根まで大きな穴がぽっかり開いてしもうた。これに貫かれてたら確実に死んどったやろうな…。 「休む暇は与えんぞ…。貴様も大地のシミにしてくれる!この愚か者たちのようにな!!」 今度は闇色のオーラが無数の長槍に変化し、ウチら(というよりタカダさん)に襲いかかってくる。 時には全速力でダッシュしたり、時には銃でけん制したりして、ウチらはなんとかそれらの攻撃をかわしとったんやけど…。 「ハァ、ハァ…、クソッ! このままじゃあ体力切れでどのみち俺らは終わりだ!」 いくら訓練を積んどるからと言って、ゲームキャラのように体力が底なしにあるわけやない…。 心臓もバクバク言うとるし、疲れで体も重くなってきた…。ウチらの体力切れを知ってか、フィンスターも攻撃の手数をますます増やしてくる。 一体どないしたらええねん……! ウチらはもう殺されるかアイツにつかまるしかないんか…!? ……、いやいやいやいや!!弱気になっとったらあかん! マンガ的展開やったらこんな絶望的な状況の中でも何か策はあるはずや! ウチはフィンスターの攻撃をかわしながら、何か使えるものがないかと周りを見渡す。 でも周りにはフィンスターにやられた『Y.S.S.』隊員の亡骸と、横倒しになった財団の車両しか……。 ………あっ!!そうや閃いた!! 「タカダさん!なんか燃えやすいものとか持ってませんか!?」 「…? 一応持ってるけど。『Y.S.S.』はこの焼夷手榴弾を配備し――」 「それや!!それをあの車のとこに投げてください!!早く!」 「あ、ああなるほどそういうことか!よォしッ!」 タカダさんは安全ピンを抜き、フィンスター攻撃した後の隙を見て、横倒しになった大型車に向けて焼夷手榴弾を投げた。 「何だ!?」 フィンスターもそれに気づいた途端、バァンッ!!という短い爆発音とともに火の手が上がった。 それはたちまち、ほかの車からも漏れ出して揮発していたガソリンに次々と引火し、地を這うように炎が広がっていきよる。 「クッ… 小癪…なァ…ッ、小癪なァァッ!!」 炎に包まれたフィンスターは、火を消そうと何か闇の力を振りまいてもがいとるようやけど、火の勢いはどんどん増してゆく。 ふふふ…。映画・ドラマのワンシーンあるある「横転した車のガソリンに引火し大炎上」作戦、成功や! 「ガソリンの火は雨水だけでは簡単には消えへんはずや。これでちょっとは足止めになるやろ…」 「今がチャンスだよ咲耶ちゃん。この間に逃げよう!」 ……でもよく考えたら、どうやって逃げたらええんやろ。 車で逃げようにも、周りにある財団の車はフィンスターの攻撃で横転しているか壊されているかで、使えそうにあらへんし…。 そうやって困り果てていたとき、ポケットの中のスマートフォンが振動する。こんなタイミングに来るってことは…、やっぱり。未来予知のメールや! その映像には、大雨の降る林の中を走るウチら、高速道路の出口、その近くの工場に向かうウチら、 そして、憎悪の表情を浮かべて追ってくるフィンスターの姿が映されとった。 「その工場はたぶん、安澄東IC近くの『四ツ電』安澄工場だね。あそこならあいつを倒せる方法が何か見つかるかもしれない」 「ですね」 ウチはメールアプリを閉じ、すぐに地図アプリを開いた。 ここから『四ツ電』こと、『四ツ和電器産業株式会社』安澄工場の位置を調べると、ここから直線距離で約3キロほど。 なるほど、このまま高速道路の上を走るより下の林を通って行ったほうが早いみたいやね。だから映像の中のウチらは林の中を走っとったんか。 「じゃ、決まりだな。早速行こう!」 「はい!」 ガードレールを飛び越え、坂を下りた先は真っ暗闇の林の中やった。 銃に取り付けたフラッシュライトの光を頼りに、ウチらは大雨の中の林を泥まみれになりながら駆け抜けてゆく。 この暗闇は、まるでウチが抱える心の中の影のように、どんよりと深く根ざしているように思えた。 こんなちゃちな光を当てても、この闇のすべてを晴らすことはできへん。 ……けれども、この光がほんの僅かでも希望につながるとしたら…。 ウチはずっと照らし続けるやろう。この闇の先にある希望を照らし出すまで。 どんな絶望的な未来が待っていても、ウチは足掻く。足掻いてみせる…! 「……ってな感じのモノローグで締めようと思うんですけどかっこええと思わへんですかタカダさん?」 …。 「そうだね。何年か後に見たら恥ずかしくなって見たくなくなるくらいにはいい出来だと思うよ」 有沢咲耶とタカダナオキの二名が林の中に逃げて行った数分後。 ようやく炎の中から脱出したフィンスター・アーベントは、この両名――というよりむしろ有沢咲耶を追い、林の中を進んでいた。 「……クッ、私としたことが…」 先ほどの自分の惨めな姿を思い出すと、ただひたすらに腹立たしい気持ちがよみがえってくる。 手前の功を焦り、それが結果的に大きな油断につながることとなる。彼生来の悪癖であった。 「奴の能力は、目覚めてからそう時間は経ってはいない。まだ完全なものとはなっていないはず…。 だが、有沢咲耶の能力が『四ツ和財団』…あるいは『組長会』に渡ってしまえば、我々にとっては不利益だ」 そう漏らすと、フィンスターはソフト帽を深く被りなおす。 「そうなる前に、我々があの者を手に入れねばなるまい。 それが叶わない場合……、『ダークロード』の命に従い、あの者を殺す!」 彼の赤い瞳は、遥か前方で逃げ続けているであろう有沢咲耶を睨みつける。 強さを増す雨の滴を体で切り裂き、飛ぶように走る彼の面持ちは、憎悪に歪んでいた。 車軸を流すが如く、大雨はますますその雨脚を強くする。 手前には、果ての知れない暗闇。背後には、二人を執拗に追い続ける「影」。 追う者と追われる者に分かれているこの様子は、さながら鬼ごっこのような構図だ。 逃げ延びた先で、果たして光明を掴み取ることはできるのか。 有沢咲耶は、幽かな光を頼りに、暗い暗い闇の中をなおも逃げ惑う…。 次回へ続く…。 作:黒星 左翼 |