市に虎を放つ如し




丸い月も高く昇り、時刻は夜食時を少し過ぎた頃。場所は安澄市北部の区域、榁神(むろがみ)区。
昨今の都市開発によって土地が整備され、自然との共存を謳った住宅地が築かれた新市街、
歴史的価値のある古家が多く立ち並ぶ旧市街から成るこの地域に、大勢の人間が集まっている。

数にして数百数千。性別、年齢、職種も様々。けれども目的は全員同じだった。
彼らは『目的地』を目指して、榁神区の新市街と旧市街を直線に貫く商店街、「榁神通り」で大行進を行っている。

手に持った刃物や鉄棒などの凶器を高らかに掲げ、彼らは何かに取りつかれているかのように、口々に叫んでいた。


鷹森梓70億を生け捕りにしろ!!その姉70億を生け捕りにしろ!!


『楽して金を得たい』その欲求に突き動かされた彼らの中にはもはや『道徳』という言葉は存在しない。
そんな人間の欲に付け込み、巧みに仕組まれた一大イベント―― "ヒューマンハンティング"開催の烽火は、すでに上げられている。



市に虎を放つ如し

第二十八話 守るべきものとは



ドン!!ドン!!  ドン!! ドン!!!


開けろ!!」「70億!!」「娘を出せ!!」「出てこいやコラァ!!

と、耳障りな声で騒ぎながら、鷹森家の入り口である巨大な正門を凶器で乱暴に叩き壊そうとする群衆たち。
叩かれるたび、門はミシミシと今にも壊れそうな音を立てる。おまけに石や火炎瓶などを門の向こうに投げ込む者もいた。

門にはかんぬきを取り付け、鷹森組組員が内側から数人がかりで扉をおさえているものの、
長い歴史の中ずっと鷹森家を守り続けてきたこの正門はすでに老朽化しており、打ち破られるのは時間の問題だった。
組員たちとともに庭園に出ていた満時は、今まさに破られようとしている門を見て、苦い表情を浮かべる。

「藤浦、『人払いの術式』はまだ展開できないのか?」
「申し訳ありません。何度もやっているのですが。どうやら。何らかの力で打ち消されているようで。」
「そうか……」

北条院明彦の『マンハント』開始宣言から数十分も経たないうちに、鷹森家はすでに70億の賞金を求める人間たちで包囲されていた。
『人払いの術式』を使うことができれば、民間人との無用な戦いを避け直接北条院を叩けたのだが、どうやらそれも使えないらしい。
恐らく北条院かその仲間の仕業だろう、と満時は確信した。さすがに彼らも鷹森組のやり口を理解しているということか。

「お父さん、準備できたよ」

ふいに聞こえた愛娘の声に振り返ると、退魔の正装に着替えた梓が、道着姿のしとみとともに部屋から出てきたところだった。
ついさっきまで骨と皮だけだった梓の顔には以前のような張りとこしが戻っている。それは来たるべき北条院戦に備え、少しでも体力をつけるために
栄養ドリンクやプロテイン、カロリーメイトなどの栄養調整食品を大量に頬張っていたためである。こらそこ、ご都合主義言うな

「すまない、梓… 私たちはあまりお前の力にはなってやれそうにないが……」
「いいっていいって。シンパイしなくてもあたしはもう大丈夫だから!
それよりも、お父さんたちはお姉ちゃんのこと、しっかり守ってあげてよね?」

ガッツポーズを決め、ニカッと以前のような明るい笑顔を見せる娘に逆に元気づけられた父は、
「…ああ、そうだな!さすがは私の愛する娘だ!」と力強い笑みを返す。

「お姉ちゃんもお姉ちゃんで、戦うのはお父さんたちに任せて、あまり無理はしないように!
ハルのお母さん―― 縁おばさんにも、ケガした右手は使うなーって言われてるしさぁ」
「えっと…、わたしとしては、その言葉をそっくりそのままあずさに返したいんだけど…」

さっきまであなた昏睡状態だったでしょ、と、しとみは苦笑いする。そんな姉に向けて梓はてへぺろを決め込んだ。

「わたしのことなら気にしなくていいよ。たとえこの右手が使えなくても、わたしにはまだ左手が残っているから…!」

彼女は六年前に起きた強大な魔物との大決戦にて右腕に大きなダメージを負ってしまい、傷が表面的に完治した今でも、
後遺症により剣を握ることができない。しかし残った左手はまだ動く。それを示すようにしとみは左手で握り拳を作った。

するとこのタイミングで、バギィ!と音を立てて門の一部に穴が開いた。それは戦いの時が近づいてきたという合図に他ならない。
いつの間にか二人のそばに控えていた柿村が、篠崎を欠いた二人の幹部とこそこそ話をしたのち、険しい表情でしとみに促す。

「間もなく時間すね。……さ、しとみさん。そろそろ我々のところに」
「ええ、ありがとう、柿村さん。でも、最後に一つだけ…」

柿村に応じたしとみだが、妹とのしばしの別れを前に一呼吸置き、真剣な表情で彼女の顔を見据えて言った。

「北条院は、一筋縄ではいかない相手よ。この戦いは、きっとあなたにとってつらいものとなるかもしれない…。
けれど、ゼッタイに、負けないで。ゼッタイに、死なないで。必ず無事で……戻ってきてね。お姉ちゃんとの、約束よ」

続いて藤浦や須田も戦地へと赴く梓にそれぞれ言葉をかける。

「頼みましたぞ。お嬢。どうか我らが兄弟。篠崎晃の仇を。」
「ここは我々にお任せください!さあ、行ってくだせえ、お嬢!

「ありがとう、みんな……! それじゃああたし、行ってくるよ!」

梓は、鷹森組の皆一人ひとりを見まわして一段と眩い笑顔を向けると、回れ右をして彼らに背を向ける。
そして彼女は、先ほどの笑顔から一転、鋭い目つきで夜空を見上げ、決意の言葉を示した。

「待ってなさい…、北条院…明彦…!! オトシマエ……つけさせてもらうよッ!!!

ズザァッ!!と砂塵を巻き上げて梓は大跳躍する。そのまま高い垣根を越えると、矢のように走り去っていった。


ドゴォンッ!!


それとほぼ同時だった。耐久力の限界を超えた鷹森家の正門は遂に破られてしまう。鷹森家の荘厳で壮麗な庭園に不特定多数の人間がなだれ込んでくる。
中には梓を追いかけていった者もいたが、ここに残った人間たちの目線は、北条院の気まぐれで第二の賞金首となった鷹森しとみへと注がれていた。

70億ゥ…!!」「女を捕まえろ!!」「一攫千金!!」「ヒャッハー!!

ターゲットを見定めた人々は、各々凶器を振りかざし、喚き声を上げながらこちらに走り迫ってくる。
対して今まさに狙われようとしているしとみは、軸となる左手に右手を軽く添えて、竹刀を構えなおす。
そんな彼女を囲うようにがっちりと護衛しつつ、鷹森組組員たちは武器(非殺傷)を構え、応戦の形をとる。
先頭に立つ満時は、金剛力士のような険しい顔をさらに険しくさせ、自らを鼓舞するように力の限り叫んだ。


「生憎だが……我が娘には、指一本触れさせん!!


満時の声を合図に、鷹森組組員たちも負けじと雄たけびを上げて彼らに立ち向かってゆく。
……後に、この光景に立ち会った人々はこう語っている。鷹森家の様子も相まって、さながら戦国時代の合戦のようだった、と。


…。


「………、……はっ! よっと!」

一方、群衆に囲まれた鷹森家を抜け出した梓は、南の方角へ向けて、ぴょんぴょんと建物の屋根と屋根を飛び移っていた。
真面目に道路を走るよりも、こうして移動したほうが一般人との無駄な接触を避けられる、という彼女なりの策だ。

「くそっ!あの女なんなんだ!?」「まるで忍者じゃねぇか…!」「これじゃあ捕まえられない!」

案の定、下の大通りでは、鷹森梓70億を求める人間たちが、血眼で彼女を追いかけていた。
大勢の人間が息を切らしつつ走っている様は、一見すると集団マラソンのような滑稽な光景である。

さて、『組長会』の一員、北条院明彦のアジト・北条院組事務所は隣町である織笠市に存在する。
しかし安澄市は四方を山や海に囲まれているため、織笠市へ行くには山越えをしなければならない。
その方法は二つ。まず一つは安澄市中央区の安澄駅から電車で行くこと。もう一つは同区の高速道路から車で行くことである。
ただし梓は車の免許を持っておらず(仮に車を持っていても使う暇がない)、必然的に選択は前者に絞られる。
……もっとも、この状況でまともに電車が使えるかどうかはいささか心配ではあるのだが。

「まあ、でも今から不安になってちゃダメだよね。とりあえず安澄駅に行ってみないとわかんないし…!」

下から飛んでくる石などの投擲物をひょいひょいと軽くかわしながら移動スピードを増してゆく梓。
だがそんな折、連絡のために袴のポケットの中に入れておいた携帯電話から突然着信音が鳴る。
見てみると番号は非通知。不審に思った梓は商業ビルの屋上に足を止め、携帯電話に出てみることにした。すると……

よぉ。ずいぶんと面白く無ぇことしてくれてんじゃねぇかよぉ?鷹森梓ァ…
「っ!? 北条院…明彦…!!

耳に入った声を聴き、梓の表情が険しいものとなる。声の主はかの北条院明彦だった。
全国のテレビをジャックしたのと同様、何らかの手口で梓の携帯電話にかけてきたようだ。

これじゃあせっかく俺が仕掛けた「マンハント」が成り立たねぇじゃねーか。あー困った困った
「ふん、ザンネンだったね、あたしはあんたの思い通りにはならないよ。あんたは首を洗って待ってなさいよね!」

北条院のわざとらしいぼやきを意にも介さず、梓は通話ボタンを切ると、大ジャンプして少し離れた次の建物に飛び移ろうとする。
だが、そのタイミングで受話器の向こうの北条院の顔が、ニタリ、と歪んだ。

だったら今から俺様の思い通りになってもらうぜ!!

通話を切ったはずの携帯電話から北条院の声が聞こえた刹那、
ビルの屋上をめがけて緩やかに降下し始めていた梓の体に、一瞬、電撃を受けたかのような妙な感覚が走る。
その感覚が梓の全身を包み込んだと思うと、慣性を無視して彼女の体が真下に急降下を始めた。さすがの梓も面食らい、

「(Σ うぇっ!? ど、どういうことなの!? …いや、それよりも着地しないとっ……!)」

目の前には榁神通り商店街のアーケードが存在した。しかしこの落下速度ではアーケードの上には着地できない…!
そう判断した梓は、とっさに防御態勢を取ってアーケードを突き破り、前転受け身をとって地面に着地する。
落下速度が早すぎて受け身がうまく決まらなかったのか、少し痛めた左腕を押さえつつ、梓は立ち上がって周りを見渡す。

「………っ!!」

周りには先ほど梓を追ってきた人間を含め、数えきれないほどの人、人、人。
まるで、鷹森梓70億が空から降ってくるのを待っていたかのように、彼らは梓を取り囲んでいた。
その量に圧巻されて言葉も出ない梓。反してポケットの中の携帯電話からは北条院の高笑いが響き渡る。

アッハッハッハハハハァ!!いいねぇいいねぇその絶望顔!!これは"ゲーム"なんだからよぉ、
もっと俺を楽しませろや!!それじゃぁせいぜい頑張って俺のもとにたどり着けよ。Good luck!!

北条院ッ!!

反論をする前に、ガガ…というノイズ音を最後に、携帯電話からは北条院の声は聞こえなくなった。
梓は舌打ちすると、血の上った頭を冷やすためにパンパンと両手で頬を叩き、改めて周りを見回す。
北条院がどんな力を使ったかは分からないが、一転してピンチに陥ってしまったことに変わりはない。
何か突破口はないか…。後ずさりし、脳内で必死に策を巡らす梓の頬を一筋の汗が伝う。

対して『マンハント』の参加者たちは、「70億…70億…」とうわごとのような低い声を上げながらじりじりと詰め寄る。
しかしここは日本人の性か、今まさに襲われんとする一人の少女の姿を見て良心の呵責に苛まれた彼らは、『最後の一線』を越えられないでいた。

「……へっ、ホウジョウイン…だっけ? 主催者さんもリアルに粋な演出してくれんじゃねーのよ」

だが、そんな緊張状態の中、ある一人の参加者がほかの人間たちよりも一歩前へ出る。

「いやぁ俺様はリアルにツイてるぜ…復讐がてらに70億稼げんだからなぁ」
!! お、オマエは……っ!!

梓はその男に見覚えがあった。
白い特攻服、ワックスでガチガチに固めた金髪のリーゼントヘアにサングラス、といった一昔前のテンプレのような風貌の男。
男はドヤァァァッ!!と顔芸をかまし、これ見よがしにドヤ顔を決めると、梓に指をさしてこう言った。

「久しぶりだなァ……鷹森梓。これでようやくテメェに復讐できるぜ!!」

入川達朗
一年前、鷲峰学園高等学校に仲間を率いて大暴れするも、獅子土董子や鷹森梓ら四人の活躍で撃退された暴走族の総長である。
その後はメンバー全員逮捕され、(四ツ和財団による警察への内部工作もあって)窃盗や暴走行為以外にも様々な容疑を着せられ、
刑務所で服役していたが、どうやらこの『マンハント』のどさくさに紛れて刑務所を抜け出してきたようだ。

「復讐? ジョウダンはよしてよ。あたしがあんたみたいな一話限りのザコキャラに負けるわけないじゃん」
「チッ… いちいち癪に障る女だぜ! 今度こそ俺様の神業ケンカテクでリアルにテメェをボコって……」

どこで入手したのか、入川は腰に着けていた銃刀法違反もののダガーナイフを取り出し、

そのあとであの男に突き出してやらアァッ!!

その鋭利な切っ先を梓に向けた。入川の声を受け、人々の列の中から元暴走族のメンバーたちもぞろぞろと姿を現す。
また、入川ら暴走族のメンバーの行動を見た『マンハント』参加者は、或いは集団心理がそうさせたのか、
女の子を襲うことに抵抗がなくなったらしく、皆でやれば怖くはないと入川に倣って凶器を構え始めた。

「ところでよぉテメェ。 …昔、俺様が周りでなんて呼ばれてたか知ってるか?」
「さぁね」

もはや戦いは避けられない。覚悟を決めた梓は、一度深呼吸して臨戦の構えをとる。

『折れたナイフ』だよ!!!

ダガーナイフを振りかざし、目を剥いて弾丸のように梓に飛びついてゆく入川。
コンマ数秒ほど遅れて、暴走族の元メンバーやその他の参加者たちも、こぞって梓をめがけて走り出した。
梓はあせらずまぶたを閉じて、早口で小さく何かの呪文を唱える。

「(しかたない…… 術式、ちょっとだけ発動!)」

梓が目を開いた途端、入川や『マンハント』参加者たちの動きがスローモーションのようになる。
用いた能力は自身の体感速度の上昇。本来、これらのような術式は魔物に対して扱うものなのだが、
さすがに梓でもこれだけの人間を相手するのは厳しいと判断したため、その術式の数割程度の力を引き出したのだ。
スローモーションの世界を平常通りに動き回る梓は、まずナイフを振り下ろす体制に入った入川の懐にもぐりこみ、

ていっ!!!

ズバン!!と、手刀でダガーナイフを弾き飛ばす。
術式により、常人の放つ威力の何倍にも強化された手刀を受け、入川の手から離れたダガーナイフは空中で真っ二つに折れた。
そしてそのまま右足を軸にして、くるりと身体を回し、入川の後ろに背を向けて立つと、彼の無防備な背中に軽くひじ打ちを当てる。

おっ!? おっ、おっ、お゙ぁぁ゙ぁーーーっ!!!

彼らの視点からは一瞬の出来事にしか感じられず、何もリアクションできなかった入川は、
背中を突かれた勢いのままにつんのめり、哀れ正面にあったブティックのショーケースに頭から突っ込んだ。

「「よくもリーダーをおぉぉぉぉぉ!!!! 」」

続いて暴走族のメンバーが二人掴みかかってくるが、梓は極めて機械的な動きで右足を踏み出し、
両手を突き出してそれぞれの男に鋭いボディーブローを放つ。それをまともに食らった男たちは、
「「アギッ!?」」としゃっくりのような短い声を上げ、白目を剥いて昏倒する。
そして息をつく間もなく襲ってきた男の腹部にフロントキックをかまし、今度はバック転で相手の顎を蹴り上げ……、
書き出すと枚挙にいとまがないが、これ以外にも曲芸のような様々な動きで『マンハント』参加者たちに応戦していった。

「なんだこの女…!?」「全く歯が立たねぇじゃねえか!!」「相手はたった一人の女だぞ!?」「お前ら人間じゃねぇ!!」

これらの状況を例えるならば、特撮の戦闘シーンという言葉がふさわしく思える。
鷹森梓は悪の組織に立ち向かうヒーロー役。そして、

オレたちは…ザコってことかよ!!

そう自覚しながらも梓に向かっていった一人の若者だったが、彼女の強烈な回し蹴りを受けて吹っ飛び、あえなく撃沈した。

「(…これ以上、体力を消費している場合じゃないよね…。タイミングを見つけて、そろそろ抜け出さないと…)」

当の梓はというと、『マンハント』参加者と交戦しつつ、目をきょろきょろと動かして突破口を探していた。
そしてようやく、

「(きた! ルートが見えた…!)」

一見、通る隙間もないような人間たちの波。しかし梓の持つ並外れた観察眼により、
人々の不規則な動きから生まれた細かなスペースを捉え、それらを繋げ合わせて一本の突破口としたのである。

「(ここを通って、あそこと、こう! …よーし、このまま一気に……)」

頭の中にその突破ルートを叩き込んだ梓は、軸にした右足に力を込め、

走り抜けるッ!!

ザッ!と軸足からロケットスタートを決めた梓は、僅かな隙間を縫うように、かつ高速で人々の合間を駆け抜けてゆく。
『マンハント』参加者たちはもちろん梓を捕まえようとするが、彼らが梓の動きを追えるはずもなく、
その肢体どころか、ひらひらとはためく巫女装束にさえも触れることはかなわなかった。

鷹森梓70億を逃がすな!! 追えーーーっ!!!

人込みを抜けきった頃、後ろから入川の叫び声が聞こえたが、梓は気にも留めることはなかった。


…。


それからも梓は、次々と襲い掛かってくる『マンハント』参加者たちを退けていった。
銃を取り出す者がいればそれを蹴り飛ばし、刃物を取り出す者がいればそれを弾き飛ばし、
商店街を抜け、住宅街を抜け、ビル街を抜け、一直線に第一目的地を目指して走り続けていた。

やがて一時的に人の波を振り切り、『マンハント』開催中のためか車の通らない高架下を走り抜けると、広い交差点にたどり着いた。
梓はここで足を止めた。ふぅ、ふぅ、と短く息を整えつつ、梓は眼前に聳える巨大な建造物を見上げる。

「着いた! 安澄駅…っ!」

ここは梓にとっては見慣れた安澄駅。地方都市である安澄市にとっての交通、商業の要衝である。
数々の商業ビルやオフィスビルが並ぶ中、ターミナルビルを兼ねる安澄駅はそれらのビルを見下ろし、
歩道から伸びる歩道橋は空中でいくつにも分かれ、それらはビルの中に直接接続している。
都市部特有である五つも存在する車線は、平時の交通量の多さと混雑の様子を感じさせられる。
梓は、毎日あらゆる方向へと車を捌いている多叉路の中心に立っていた。

「……うわー、予想はしてたけど」

そしてひきつった表情で周りを見渡す。目の前にはまたしても『マンハント』参加者たちが立ちはだかる。
が、その数は先ほどの交戦時とは全く比べものにならない。推定でも数千は下らないだろう。

よぉ、ドグサレ退魔師鷹森梓。まずはチェックポイント到達クソおめでとう、と言っておくぜ
「北条院…!」

それまで『マンハント』の様子を映していた安澄駅ビルの巨大スクリーンが、主催者・北条院明彦の姿を映す。
高そうなソファに腰掛け、パン、パン、と気持ちの全くこもっていない拍手を打つこの男は、悠々と余裕の表情を浮かべていた。

ま、しかしご覧の通りこのチェックポイントは全国各地から集まった数千匹のウジムシ共がうじゃうじゃ湧いてるみてェだぜ。
どうだ?ここで一つ諦めておとなしく捕まるか、それともこの数千匹のウジムシに立ち向かい、ボコられてから捕まるか。どちらか選ばせてやるぜ?

ふざけんな!!あたしはオマエを倒すためにここまできたんだよ!?そう簡単にあきらめたりはしないッ!!
――ハハハハハァ!オーケーオーケー!そんぐれぇの威勢がなきゃあ俺も潰しがいがねぇってワケだ!

怒りで感情を露わにする梓を見て、北条院は予定調和だと言わんばかりに嘲り笑う。
「後悔しても遅ぇからな?」と梓に念押しすると、両手を大きく広げて『マンハント』参加者に語り始めた。

よく聞け!モラルの欠片もクソもねぇ底辺ウジムシ野郎共ぉ!こっから第二ラウンド開始だぁ!
鷹森梓はここにくるまでずいぶん消耗している。70億獲るなら今が絶好のチャンスだぜ!
チャンスをモノにするかしないかは、テメェらウジムシ野郎共の力量次第!せいぜい気張っていきやがれ!!



ウゥォォォォォーーーーーッッ!!!!


北条院の煽りに興奮した『マンハント』参加者たちは、サッカースタジアムもかくやの哮り声を発する。
これが『マンハント』第二ラウンド開始の合図となった。
北条院には蛆虫と形容された彼らであるが、むしろ獰猛な軍隊アリと例えても遜色はないだろう。
70億円もの懸賞金が掛けられた一匹の"獲物"・鷹森梓へと、ありとあらゆる方向から群がっていった。

「あたしは、なんとしてもあの男を倒さなきゃいけないの…! だから…、ジャマしないでっ!!

彼女もまた、自分の使命を果たすために、駅構内を目指して"軍隊アリ"の群れへと挑みゆく。
一対数千の圧倒的な人数差にもかかわらず、彼らに攻勢をかけているのはやはり梓だ。
もちろん『人を殺さない』という信念に基づき刀を使用することはせず、殴打技や蹴撃技を中心に応戦していた。
拳を撃たれ、蹴りを入れられ、うめき声を上げながら地面に倒れ伏す彼らを尻目に前へ前へと突き進む。

ハッ、人を殺さねぇとか言う割にはずいぶんエグいことしてるじゃねぇか!
人を傷つけるのは楽しいか?いたぶるのは楽しいか?渉の時みてぇによぉ!!

「(…ちがう)」

……これまで、何人ものの人々を傷つけてきたのだろう。
一人、また一人と、本来"守るべき対象"である者たちを退けつつ、梓は思う。

「(あたしは、本当はこんなことをするために力を使ってるんじゃない…!)」

梓も自身が捕まらないように、身を守るために、彼らを排除するほかない。
よって人間たちに対するこの暴力は不可抗力だと割り切っていた。そのはずなのに。

「(でも――)」

心の中に生まれたある思い。

「(あたしたち…退魔の一族が…、何百年も、何千年も命を賭けて守ってきたのは……こんな人たちだったの?)」

日頃、正義だの、道徳だのを説いておきながら、たった一人の男の甘言に釣られ、
ただ目先の金のためだけに、大勢で寄ってたかって一人の少女を捕まえようとする人間たち。
そんな人々に、梓は複雑な感情を抱かずにはいられなかった。

その時だった。


―――― ドシュッ


「なっ…?」

ぱぁん、という乾いた音が、駅前広場に林立するビルをこだまする。
その音が銃声だと気付いた時にはすでに遅く、防御行動をとる前に梓の右首筋に何かが突き刺さった。
恐る恐る突き刺さった物体を右手で触ってみる。ちくりとした痛みを伴ったそれは、弾丸ではなく円筒状の物体。ということは…、

「………ま…すい…!? しまった!!」

考え事をしていたのが命取りとなったか。狙われていたことに気付けなかった自分を悔いる。
急いで麻酔針を抜き捨てるも、撃ち込まれた麻酔薬は即効性がかなり強いらしく、こらそこ、ご都合主義言うなってば
首筋の動脈から即座に全身に麻痺が広がってゆき、両足も思うように動かず、視界も朦朧としてきた。

「…あたしは……まだ……!!!」

それでも、使命感を頼りにふらふらとおぼつかない足取りで前へと進もうとする梓。
往生際の悪い抵抗を続ける彼女に向けて、駄目押しに二発、三発、四発と麻酔針が撃ち込まれた。

「くは………っ!」

強力な麻酔を四回も投与されたことによって、梓は体の自由を失い、
前に進もうとしている姿勢のまま、横様に倒れようとしていた。

「(…………)」

まどろむような意識の中、歩道橋の上でライフルを構えているやくざ風の灰色スーツ男の姿を見つけた。
見たのは一瞬だけだったが、その目はギラギラと血走り、興奮して歯をむき出しにしている男は、まさしく魔物のような容貌だった。
彼だけではない。周りに立っている『マンハント』参加者たちも、誰も彼もが目を血走らせて、"獲物"が自らの手に落ちることを待っているように見えた。

「(あァ…… これだとまるで…)」

徐々に閉じられてゆく瞳には光は宿らず、

「(この人たちのほうが…… この浅ましい人間たちのほうが… よっぽど、"魔物"に見えるよ…)」

ドザァ、と都会の埃を撒き散らして、退魔師である一人の少女はついに力尽きた。
その瞬間、駅前の広場は水を打ったように静まり返る。


「……や、やった」

額に脂汗を浮かべながら、焦点の定まらない瞳で例のライフルの男がつぶやいた。
うつぶせに倒れた退魔師だとかいう少女の身体は、ピクリとも動かない。


ハハ…、なな、じゅう、おく…… 70億だァアァァアアァッ!!!!!



ウオァァァァァーーーーッッ!!!!



駅前の広場は再び大きな歓声に包まれ、なな、じゅう、おく!なな、じゅう、おく!というコールが沸き起こった。
この模様は空撮され(ただしヘリコプターや天気カメラは見当たらない)、全国のお茶の間や街中のスクリーンに流されている。
ただならぬ異様な風景に、それらの放送機器から『マンハント』を見ていた人々の間にはざわめきが奔る。
こんな非人道的なイベントが、よりにもよって自分たちの住んでいる日本で起こっていることが、とても信じられない、といった具合だ。
もちろん鷹森家で『マンハント』参加者たちと交戦し続けている鷹森組の面々にも、鷹森梓が倒れた瞬間の映像は伝わっていた。

「組長!お嬢が…!」
わかっている!!

もう一人の賞金首である鷹森しとみを狙う人々の波はいまだ衰えることはなく、
すぐにでも飛んで梓を救いに行きたいと思うものの、無数に押し寄せてくる彼らを対処するのに精いっぱいだった。
しとみや幹部などの組員たち、そして満時の表情にも、疲れとともに焦りの色が現れていた。

「梓……! どうか北条院の手には落ちないでくれ…!」

今の彼らは、ただただ梓の無事を祈ることしかできない。
交戦中の鷹森組の映像を数分間映した後、テレビ映像は再び北条院を映し出す。

……なるほど。もう一匹の賞金首のほうはまだ抵抗を続けているようだが、それも時間の問題みてぇだな…

言いながら、「姉妹丼ってのも悪かぁねぇな…」と、全年齢向の小説で割ととんでもない独り言を漏らす北条院。

さぁて底辺ウジムシ人間諸君。そこで突っ立っているだけじゃあ賞金の70億はまだお預けだぜ?
残るはそこにブッ倒れてる鷹森梓を俺のところへ連れてくるだけの簡単なお仕事だ。金は用意して待ってっからよ!


「あ…」とぽかんと口を開ける『マンハント』参加者たち。鷹森梓を倒すことだけに頭が回ってしまってすっかり忘れていたが、
賞金を得るためには、この少女を主催者のところまで『生きたまま』連れて行かなければならない。
今、この少女は気を失っている状態のため、とりあえず『生きたまま』の条件はクリアしている。

「そういやこの女、何人で連れて行く?」「人数は重要な問題だよな」「もたもたしてたら途中で目を覚ますかも」
「かといって多すぎると一人当たりの取り分が少なくなっちまうからなー」「どうすっかなぁ〜」
「あっ! おい、あれ! あの人、さっき鷹森梓をライフルで仕留めた人じゃん!」

梓をどうやって運ぶかについて口々に話しているうちに、人込みの中に例のライフルの男が現れた。
『マンハント』参加者たちは左右に分かれて道を空け、鷹森梓確保の立役者となった彼を拍手と声援で迎える。まるで英雄の凱旋だ。
男は彼らの声援に応じることはなく、おもむろに倒れている梓のもとへと歩いてゆく。
すると、列から何人かの若者が現れ、その中の一人が男の肩にポンと手を置き、揚々とした調子で話しかける。

「いやぁ、よくやったなぁ旦那、俺たちも手を貸すぜ」
「あんたのほかに、鷹森梓と直接やりあった奴らを中心にして皆で持っていくことにしようか。それでいいよな?」

一応彼らなりの形で公平に話をまとめたらしい。人数は割と多いが、それでも一人数千万はもらえるはず。
決して悪くはない条件のはずだが…、

あん?何言ってんだお前ら

若者たちの提案を聞いたライフルの男は、たいそう不機嫌そうな表情で乱暴に若者の手を払いのける。
困惑する『マンハント』参加者にたち向き直り、鬼気迫る形相でこう叫んだ。

この女を仕留めたのはこの俺だぞ!!だから70億は俺一人のモンだ!!!

一瞬、広場じゅうの時が止まる。そして先ほどまで男へ向けられていた歓声は、瞬くうちに猛烈なブーイングの嵐へと変わった。

はぁ?フザけんじゃねーよ!だったら俺らの立場はどうなるんだ!!」「独り占めしようたってそうはいかねぇぞ!!
うるせぇ!!お前らただボコられてただけじゃねぇか!!金はもう俺のモンだって決まってんだよォッ!!
だったら力づくで奪い取ってやんよ!!!」「テメェやんのかゴラァ!!」「黙れクソハイエナ野郎がァァ!!

鷹森梓を巡るトラブルによるこの男たちの掴み合いを発端に、広場中に喧嘩が伝播してゆき、今度は『マンハント』参加者同士の暴動が始まった。
どさくさに紛れて鷹森梓70億を奪おうものなら集団でリンチに遭い、がれきや火炎瓶の投擲によってあちこちで火の手が起こり、
殴り合いに飽き足らず店の中に入って椅子やテーブル、看板などを投げたりして大暴れをする者、道端には頭から血を流してぐったりしている者もいた。

陳腐な言葉であるが、これを一言で表すならば阿鼻叫喚の地獄絵図。けれども、この状況を治めようとする者はひとりもいなかった。
なぜなら、本来こういった暴動を治めるはずの警察官までもが、金に目が眩んでこのけんか騒ぎに乗じているのだから。
言うまでもなく、この模様は余すことなく全国に配信され続けており、人間の愚かさと汚さを世の中の人々に痛いほど知らしめていた。

「すげぇ… すげぇすげぇすげぇすげぇぇぇ!!最ッッ高の光景だァ!!
見ろよ涅理!これが『人間』だぜ!!表面は取り繕ってても、中身はドクズ!
こいつらの姿……、まさにいい見本じゃねぇか!!


北条院は、この様子を見て心底楽しそうに大笑いする。一般人から見ればこれは悲劇的な映像だが、この男にとってはこれ以上ない喜劇的な映像だ。
しばしの間腹を抱えて笑っていた北条院だったが、「ん?」と何かに気付いたような表情をして、映像のある一点を凝視する。
その一点とは、倒れたまま放置されている鷹森梓の姿。彼は、この少女の指がぴくりと動いたことを見逃さなかった。
北条院は、にやりと意味ありげな笑みを浮かべる。

「ほぉ、こいつぁ………」

北条院の含み笑いを知る由もなく、駅前広場では暴動がさらにエスカレートしていた。

クソッ!いつになったら終わるんだよ!」「いてぇ…いてぇよ…」「もう暴動ってレベルじゃねーぞ!
「さっさと70億貰って帰りてぇのに…」「来いよ!!武器なんか捨ててかかってこい!!」「やろう、ぶっ殺してやる!!
ゴォァア゙ア゙アァァアアアア!!!」「ヴオ゙ォ゙オォォオオォォッ!!!」「ギガアァ゙ァ゙ァアァ!!!

飛び交う怒号。獣のような奇声を上げ、幾度ともなく互いに組み合っていく人間たち。流される血は、止まることを知らない。

「ぅ……、…………」

少女の指がぴくぴく、ぴくぴくと動き、二、三度の瞬きの後、彼女の五感は再び世界を認識する。
少女はほとんど口元を動かさず、うわごとのようにつぶやく。

まも……の…?

虚ろに開かれた退魔師の少女の眼には、この様子が魔物達が共食いをしているように映っていた。
真横に傾いた世界で、夜闇のように暗く濁った瞳はそれを、ただただそれを見つめていた。


グン


――― 魔物は敵だ


頭の奥から"誰か"の声が響く。


――― 魔物は悪だ


古の時代から、代々伝えられ続けてきたことだ。


――― 倒さなきゃ


これがあたしの使命。


――― さなきゃ


……そう、使命。


――― 根絶やしにしなきゃ


使命だ。責務だ。宿命だ。あたしの生きる意味だ。使命………、使命……、使命…、使命、使命使命使命使命使命使
命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命
使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使
命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命使命




――― 魔物は、滅ぼす



退魔師の少女は、生気の感じられない気色ですくりと立ち上がった。
彼女から発せられる冷たい殺気は梓のものとは考え難く、見た目は『鷹森梓』でも、まるで中身が入れ替わった別人のようだ。
予想外の事態に、暴力行為を働いていたすべての者が動きを止め、駅前広場じゅうの視線が『鷹森梓』へと向けられた。

「う、嘘だろおい…!? あの麻酔、ウレタン(※医薬品)だぞ!?数時間は絶対に起きられねぇほどの強力な麻酔なのに!!」

今の今まで喧嘩をしていたせいか、高そうなスーツを乱し、顔の至る所に青あざを作っているライフルの男は汗をダラダラと流していた。
いや、それよりも…、と彼は口ごもる。やくざ者としてのカンが彼自身に伝えている。ヤバイ。あの女は間違いなく危険だ。

「なんか様子が変だ…」「本当に同じ奴なのか…?」「魔物がどうとか言ってたぞ」「いったい何が始まるんです?」

彼女の様子の可笑しさにはさすがにほかの参加者も気づいているようだが、彼らはその真意を何も理解していない。
馬鹿どもが!と心の中で吐き、間抜けな一般人共よりもいち早く危険を察知したライフルの男の行動は決まっていた。

「(も、もう70億なんてどうでもいい…!!! 何かされる前にとにかく逃げ)」

その時、ギロリ、と『鷹森梓』の目が動く。

「あ…」

奴と、目が、合った。合ってしまった。


最初に死ぬのは、あなた?


と思った瞬間には、大量の人間を隔てて遠くにいたはずの『鷹森梓』が互いの息がかかりそうな距離にいた。
口元に歪んだ笑みを浮かべる彼女。だが、その目は全く笑っていなかった。

「ひッ……!!!」

ドガァッ!!!という爆音が自分の身体から発せられた音だとは思わなかった。
あれから数秒後、何らかの攻撃を受けたライフルの男の体は横一直線に飛び、安澄駅ビルの壁に激突した。
背中から激突した衝撃で横隔膜が麻痺を起こし、男は一時的な呼吸困難に見舞われた。
体中が痛み、骨は所々折れ、体中から赤黒い液体が流れているようだが、辛うじて生きてはいる。しかし…

ザッ… ザッ…

ぁ…ぁ……


底知れない恐怖の足音が近づく。これではとても生きた心地がしたものではない。逃げようにも、だらんと投げ出された四肢はいうことを聞かない。
ここでもやくざ者のカンが働き、この後何をされるかを察したライフルの男の顔は恐怖で歪み、笑顔に近いような表情になっていた。

お…  おいあんた、冗談、だ、ろ…? だって、あんたの組織は人を殺さないって――

言い終わる前に前頭部が乱暴に掴み上げられ、ドンッ!!と壁にロックされた。
少女のものとは思えない握力で掴まれた男の頭蓋はめきめきと音を立てる。

ヒト? 訳がわからないなぁ、あんた"魔物"でしょ?

男の言葉を至極冷酷な口調で切り捨てた『鷹森梓』は、腰に佩いている"退魔刀"・鷹守宗孝を右手でゆっくりと引きぬく。

ちょっ、ま、待て!俺はあんたのいう魔物じゃない!人間だ!!
金のためにあんたのことを狙ったのは悪かったと思ってるよ!!!
もう二度とあんたの前には現れない!!絶対だ!!お願いだ!!だっだから許してくれぇぇ…!!

あー聞こえないなぁ魔物の言い訳なんてさぁ!!

必死の形相をした男は、プライドも何もかもを捨てて喚き散らすように命乞いをするが、その甲斐もなく刀の切っ先を喉元に突き付けられる。
堪らず「ヒィィィィッ!!」と女のような上ずった声を出し、恐怖で失神しそうになった。

さぁて、あんたそろそろ死ぬけど、何か言い残すことってあるかな?
あ、あああ……あ…
あぁ、そっかそっか、ごめんねー。魔物だから言葉なんてわかんないよねぇ。それじゃあ……

ぐぐっ…と『鷹森梓』は刀を持った腕を引く。どうやら喉に刀を突き刺して殺害するつもりのようだ。
『鷹森梓』の操る刀の威力ならば絶命は免れないだろう。男は小刻みに震えてただ見つめることしかできなかった。


……さようなら


今、まさにこの少女が放った刺突の一撃がライフルの男の首を貫こうとしている。
生命の危機に瀕した男の頭の中では大量のアドレナリンが分泌され、この一瞬の間に様々な思いが走馬灯のように駆け巡った。
自分は今まで数え切れないほど悪い行いをしてきた。いつか殺されることは覚悟していた。地獄に堕ちるのも当然だと思っていた。
けれども、死を目前にすると人間は正直になるものだ。



「た」



両目いっぱいに涙を湛えた男の口が、自らの望みをシンプルな言葉で表現する。

たす、けてぇ……!



!!!!



ズドォッ!!!


『鷹森梓』の放った突きは男の首元数センチを逸れ、駅ビルの壁を勢いよく貫いた。
ビシビシィ!!という音を立てて、頑丈なマスコンクリート製の壁に大きな亀裂が走る。
壁から漏れ出した粉塵があたりを覆う中、壁に刀を突き刺した状態で、彼女は静止した。

「……ぁ」

放心状態になったライフルの男は、魂が抜けたようにへなへなとその場にへたり込む。


う……、う、ぁ…、う、うわ゙ああ゙ぁぁ゙あ゙ぁ゙ぁああああ゙ぁ゙あッ!!!!
 あ゙あ゙ぁぁああぁああ゙あ゙あ゙ああああああっぁぁぁああ……!!


そして、命が助かって感情のタガが外れたのか、周りの目もはばからず両目から大粒の涙を零して絶叫も同然に泣きじゃくった。

「………、…え!? 何!? あ、あたし、いったい何をやって…!?」

二、三度の瞬きの後、生気を失った瞳が再び光を取り戻し、我に返った鷹森梓。
だが気が付いてみれば何故か自分はビルの壁に刀を突き刺しており、目の前にはさっき自分を狙撃した男が全身ズタボロになって大泣きをしている。
どういうことなの…。と、彼女は自らが生み出したこの状況を全く飲み込めていない。

何をもクソもねーだろが!!テメェはさっきこの一匹のクソ虫を殺そうとしてたんだよ

男のポケットから滑り落ちたスマートフォンに映し出された北条院が、強い口調で梓に事実を告げる。

いやー、それにしてもだぜ?聖人のように「人殺しをしない」とかほざいてたヤローが、
マジに「人殺し」しかけるモンだからなぁ… ハハハ!なかなか見ものだったぜぇ!

「……そ、そんな… あた…しが…?」

どう考えても、壁を貫いた退魔刀はライフルの男の首を狙ったものだった。
とても信じたくはないが、北条院の言葉は正しい。大きなショックに、思わずふらっと倒れそうになる。

…ま、これでわかったぜ。テメェらはムカツク奴を「魔物扱い」して人殺しを正当化するってことがよぉ…。
んで、鷹森組はクズ以下のビチグソキチガイ共が集まった偽善組織だってこともなァ!!

「…………ッ」
どうした?睨むだけで何も言い返せねぇのか?悔しけりゃあなんか反論してみろよ偽善者さんよぉ!!
「………くぅっ!!

梓は、悔しさのあまり奥歯が軋むほど歯を噛み締め、最後に北条院をスクリーン越しに強く睨み返した後、
駅の床石がめくれ上がるほどの脚力で大跳躍し、そのまま何処かへと消えていった。

おい!逃げた!逃げたぞあの女!ヒャハァ!やっぱりイカレポンチ野郎鷹森満時の娘も、
所詮は同じ穴のムジナのドクズ野郎か!!こりゃあ傑作だぜぇ!!アッハハハハハハハハハハァ!!


梓が消えた安澄駅駅前広場では、一連の出来事を目撃して困惑を極めた『マンハント』参加者たちが呆然と立ち尽くし、
安澄駅ビルの巨大スクリーンから発せられた北条院の笑い声の残響が、いつまでも辺りを支配しているだけであった。


…。


「はぁ、はぁ……」

ところ変わって、ここは安澄駅前広場近くに存在する、解体作業中の古い商業ビルの内部。
かつては地下駐車場だった場所で、梓は支柱に手を置いて呼吸を整えていた。

巫女装束の袖でぐっと汗をぬぐい、手を置いていた支柱にもたれかかる。梓の頭の中では、未だに駅前広場での出来事がぐるぐると回っていた。

「…………あたし、どうして… 人を…」

鷹森組の信条は、魔物を殺しても人は殺さない。なぜならば自分たち退魔師の役目は、弱き人々を魔物の毒牙から守ることだからだ。
それなのに、人を守らなければならないはずの自分が、退魔の掟に背いて人を殺そうとしていた…。
その事実が彼女の心に突き刺さり、決意を新たにしていたはずの彼女の気持ちは、またも曇り始めていた。

「あたりまえだよ。あんなことがあったら誰だってムカつくよねぇ」

!? 誰!?

突然、見知らぬ男の声が発せられた。梓は声のした方を向いて構えを取る。

「わわっ、ちょ、ちょっと待って! ぼくは別にきみの70億を狙ってるわけじゃないんだ!」

梓から少し離れた位置にあるの支柱の後ろから、慌てて声の主が飛び出してくる。
やがて蛍光灯のうすら明かりが、冷や汗を浮かべて苦笑いをしている男の姿を明らかにした。
年齢は二十歳程度。オレンジ色のニット帽をかぶり、そこからはみ出した茶色の髪の毛は、先端だけが金色に染められているのが特徴だ。
男は敵愾心を向ける梓に自己紹介を始めた。

「ぼくは東城静一って言うんだ。きみと直接会うのは初めてだね。よろしくね? 鷹森梓ちゃん」

東城静一と名乗った男は屈託のない笑顔を梓に向けた。それに対して梓はまだ怪訝そうな表情を浮かべ、

「(……注意しないと気付かないけど、この人からはほんのわずかな魔物の気配を感じる…。ってことは、この人…)」

梓はさらに表情を険しくする。

「あなた、『魔物憑き』ね?」
「…ははっ、ご名答。さすがは退魔師だね。小闇さんはぼくの精神の奥深くにいるから、気づかれないと思ったんだけどなぁ…」

甘かったかなー、と残念そうに東城は肩をすくめ、

「黙っててもばれちゃうと思うからもう言っちゃうけどさ、ぼくはきみたちと敵対してる組織『ナイト・オブ・ダークネス』の一員さ。
一応きみにもわかりやすいように言えば、きみもよく知っている南陽子さんの仲間だね」
……ッ!!

ズザッ!!と梓は『鷹守宗孝』を引き抜き、即座に戦闘態勢に入った。
そう。この男はかつて、パートナーの『小闇』と共に有沢咲耶を襲った『影の勢力』…もとい『ナイト・オブ・ダークネス』の闇使いである。
しかしその戦いに乱入した焼石カンパニー社長・焼石徹によって完膚なきにまで叩きのめされ、ひどい大けがを負わされていたのだが…。

「ちょ、タンマタンマタンマ! さっきも言ったけどぼくはきみとやりあうつもりはないんだって!!
小闇さんもおさえて! 大丈夫だから!! ぼくの精神から無理やり出てこようとしないで!!」

東城は片手で梓を制しつつ、もう片方の手で頭を押さえて彼の精神内で殺気立つ小闇を制する。
梓は『ムカツク奴を「魔物扱い」して人殺しを正当化する』という北条院の言葉を思い出して苦い顔をし、刀を鞘に納めた。

「……それで、『ナイト・オブ・ダークネス』のあなたがあたしに何の用事なの?」
「早い話が、ぼくはきみの手助けに来たんだよね。後で駅まで迎えに行こうと思ってここで待っていたのさ」
「へっ?」

「まさか梓ちゃんのほうからピンポイントでここにきてくれるとはねー」と、彼は笑いながらぽりぽりと頭を掻く。
そんな彼とは対照的に、思いがけない東城の言動に目を丸くしてキョトンとした表情を浮かべる梓。
それもそのはずだ。彼は自ら「敵対している」と言っておきながら、「梓を手助けに来た」と言うものだから意味が分からない。

「ま、混乱するのも当然か…。本当のことを言うと、ぼくたちの組織もあの北条院さんが邪魔らしいんだよね…。
そこでぼくがきみを織笠市まで車で送って、あのヒトを倒してもらおうってわけ。これでお互いの利害は一致するでしょ?
……どの道、きみが行こうとしていた安澄駅では、この混雑のせいで電車も止まっているみたいだし、断る理由はないと思うよ」

駐車場の端に停めてある深紫のステップワゴンをさして、「どうかな?」と、得意な顔をする東城。
電車が使えないならば、車を使って行くしか方法はない。おそらく家ではまだ『マンハント』参加者たちとの戦いが続いているはずであるから、
組員の人たちに車に乗せてもらうことはできないだろう。彼らを待っている間に『マンハント』参加者が襲撃してくる恐れもあるし、
これ以上体力を無駄に消費することも避けたい。となれば、車を用意してくれているという彼の話に乗るのは得策だ。

「…………。わかった。利害の一致、ってワケであなたの話に乗らせてもらうわ。ありがとう、東城……さん」
「うんうん、素直でよろしい。それじゃあ、さっそく出発しようか梓ちゃん」

二人はすぐにステップワゴンに乗り込むと、エンジンの音も静かにゆっくりと発進した。
工事用の機材の散らかる駐車スペースをスイスイと走り抜け、出口へと向かう。

「ところで東城さん」
「ん?」

助手席の梓が東城に尋ねる。

「あなたは、本当に組織の利益だけのためにあたしを助けてくれたの?」
「んー。そうだねぇ……」

東城はハンドルを左右にさばきつつ、少し考えるように低く唸りをあげて、

「個人的に、ひとりの女の子を大勢の人間でいじめるっていう構図が気にくわなくてね。ま、そういうことかな」

程なくして、東城のステップワゴンは存在意義を無くした料金所を通過し、開きっぱなしの工事用ゲートから車道へと出て行った。
そして東城の精神の奥では、助手席に乗る梓に向けて小闇が激しくジェラシーを燃やしていた。


…。


あれから十数分、二人を乗せたステップワゴンは人の集まる大通りを避け、普段人通りの少ない狭い道を中心に通っていた。
目的地は安澄インターチェンジ。安澄駅と同じく中央区に存在し、安澄市と織笠市を繋ぐ高速道路へと接続するインターチェンジである。

「よし! ちょっと遠回りになっちゃったけど、もうすぐ高速道路に入るよ」

カーナビに表示された地図を見て、東城は梓に語りかける。同時に車は狭い路地から車線の多い開けた道路に侵入する。
しかし梓は無反応だった。

「……梓ちゃん?」

気がかりになった東城は首を横に向ける。どうやら彼女は、携帯電話のワンセグ放送で『マンハント』の成り行きを見つめているようだ。
現在、『マンハント』の中継は安澄駅前ではなく、いまだ激戦が繰り広げられる鷹森家の様子を映し出していた。
すでに『マンハント』開催から数時間経過し、戦い続きで勢力が衰えた鷹森組に追い打ちをかけるように、
北条院の煽情的なアナウンスが『マンハント』参加者たちを奮い立たせ、疲れ知らずの彼らはより攻撃の手を強めている。

彼女の瞳は携帯電話の画面を見つめているというのに、どこか心ここにあらず、といった物憂げな表情をしていた。

「もしかして、さっき北条院さんに言われたことを気にしてるの?」
「……」

伏し目がちに梓は頷いた。

「…あたしの使命は、人々を守ること……。だけど、この『マンハント』って出来事があって、
今まで守り続けてきた人々に、お金のためにひどいことをされて…、その使命も揺らいじゃったのかな…。
せっかく董子ちゃんに元気づけてもらったのに…、もう迷わない、立ち止まらない… って決めたのにね」

やがてその表情は自嘲を含んだものになってゆく。

「あたしのやってきたことって…… 全部無駄だったのかな…?
こんなザマじゃあ… お父さん…組のみんなや、董子ちゃんたちにも示しがつかないよ……」
「………梓ちゃん…」

またも暗く沈んでしまった梓を見かねて、東城は大きく息を吐いた。

「ぼくが言えた義理じゃあないけどさ」

そして東城は視線を前に戻し、諭すように語り始める。

「きみのやってきたことは全部が無駄なことじゃあないと思うよ。きみが魔物を倒したことで救われた命があることには変わりはないしね」
「………でも、あたしが魔物を倒したせいで…悲しむ人もいたんだよ…?」

そう返す梓の脳裏には、幸せそうに寄り添いあう橋本渉とメリッサ夫妻、そしてこちらに向けて微笑みを浮かべる獅子土董子の姿がちらつく。
橋本とメリッサは夫婦としての契りを結び、立場的に敵対しているはずの梓と董子は唯一無二の親友同士となった。
彼らとの交流もまた、梓が抱いていた魔物と人々に対する見方を大きく揺らがせる一因となっているのだ。

「それは難しい問題だね…。たとえば大勢の人が正義だと信じた行いをしたとしても、
ぜったいにそれをよく思わない人たちが出てくる! その逆も同じだね。それは仕方のないことさ。
だって、この世の中には、"本当に正しいこと" なんて存在しないわけだから」

「あーもう、なんて言えばいいかなあ!!」と、ハンドルから片手を離した東城は難しい顔でボリボリボリッ!!と頭を掻き、

「ともかくだよ!きみはきみが"正しいと思うこと" をやればいいんだ。だからといって人殺しをしろと言うわけじゃないけど…
きみの家の事情については知らないけど、もしもきみが家のルールで"間違っている"と思うことがあるなら、どんどん意見すりゃあいいのさ!
たとえば……そう、家のおきてに反してでも、きみが本当に守るべきだと思っているものは何なのか…とか、ね?」
「あたしが…本当に守るべきだと思っているもの…?」

「そ、そう!そういうこと!」と、東城はぺこぺこと頷く。

「ま、あくまで敵キャラであるぼくが言っていることだしー、深くは気にしなくてもいいけどねー」
「…あははっ、でもちょっと元気でたかも。ありがとね!」

思わず、梓の浮かべた笑みに少し照れてしまう東城。なんとか彼女を励ますことができたようなので、東城にとっては万々歳なのだが…、

ちょっと静一さん?アタシ以外の女と何イチャイチャしてんのよぉ!?
これはもうブッ殺すしかないわねぇぇッッッ!!

「(ウヒィィィごめんよ小闇さんんんんん!!事を荒立てようとするのはやめてーーッッ!!)」

このやり取りを東城越しに聞いていた小闇がとうとうブチキレてしまった。たまりにたまった嫉妬心を爆発させ、怒り狂う女性は恐ろしい!
彼の精神の中で大暴れする小闇のせいでハンドル操作が左右にぶれ、危うく隣を並走しているバイクにぶつかりそうになってしまう。

「ん…? 隣に、バイク…!?

そのバイクの存在に気付いたとき、けたたましいエンジンの音を轟かせながら、背後から十数台ものバイクの集団が現れた。

「うっ、うわぁぁぁあなんじゃこりゃぁぁ!?」

軽くパニックになりつつも、彼らを振り切ろうと全力でアクセルをふかす東城だったが、
思った以上にバイク集団のスピードが速く、東城らの乗るステップワゴンはいとも簡単に取り囲まれてしまった。
助手席の梓は冷静に外のバイク軍勢を見回して、はっと気づく。

「まさかこいつら…、入川の暴走族!?」
なんだって!? これが噂の… っておわぁ!!?

陣形を組んでいだ暴走族たちは、一斉にバイクの速度を落とした。それにつられて東城も慌てて急ブレーキを踏む。
ギャギャギャ!!という甲高いスキール音とともに、路上に黒いタイヤ痕を残してステップワゴンは停車した。

「ってて……… あいつら、いったいなんのつもりd…」

文句を垂れようとしていたところで、東城と梓の動きがピシッと止まった。
それは、暴走族によってステップワゴンが停車させられた場所には、大勢の人間たちが待ち構えていたからだ。
人々は押し合いへし合いステップワゴンに群がると、

てめぇらさっさと降りてこいや!!
うわぁぁぁッ!!」「きゃぁっ!?

ロックしていたはずのドアが無理やりこじ開けられ、二人が車から引きずり降ろされたのはほぼ同時だった。

「ちょっと! 離して!!離してよ!!」

バタバタと梓は体を振って彼らの拘束から逃れようとするが、何故かうまく体に力が入らない。

「(そんな… まさか、さっきの麻酔のせいで…!?)」
「誰が離すかダボがぁ!」「へへっ70億ゲットだぜ!!」

「離せこの…ッッ!! 梓ちゃん、大丈夫か!?」
「テメェは黙ってろ!」「あの女に味方しやがって」「ぶっ殺すぞ!!」
『静一さん静一さん、代わってくれればアタシがすぐにこいつらをブッ殺してこの状況をなんとかするわよぉ? 』
「(いや、気持ちはありがたいけどそれはだめなんだ小闇さん…!)」

必死の抵抗もむなしく、東城も梓も数人がかりで抑え込まれ、二人ともまったく身動きが取れない状態になってしまった。

「おーおー、退魔の剣士サマがリアルにひでーザマじゃねーか。ったく、手間かけさせやがってよぉ」
入……、川ぁぁッ!!

聞き覚えのある暴走族総長の声。地面に押さえつけられたままの梓は、もがきながらもその眼差しに怒りの色をこめて入川を見上げる。
最初に戦闘した際にショーケースに顔面から突っ込んで怪我を負ったせいか、彼の顔にはいくつものガーゼや絆創膏が貼られていた。
入川は地に伏す梓を見下ろして、ケラケラと薄ら笑いを浮かべる。

「もうあとちょっとで高速道路に入れてたのになぁ…。いやぁ残念、リアルに残念だよなぁうんうん。
 けどなぁ俺様がそう簡単にテメェを逃がすと思ってんのかぁ!? あァ!?

一年前と今日の仕返しと言わんばかりに、入川は梓の背中に力の限りストンピングをかました。「がぁっ…!」と声を上げて苦しむ梓。
周りからは大歓声が上がり、「いいぞいいぞ!! 」「もっとやれ!! 」などという興奮した人間たちの野次が飛び交う。
次はどこを攻撃しようか考えていた入川だったが、急に何か思いついたかのような表情をし、部下に命じて咳き込んで苦しむ梓の上体を起こさせると、

「それとついでだからこの刀はリアルに俺様がもらっておくぜ」
「あ……っ!!」

入川は、梓が腰に佩いている『鷹守宗孝』の鞘を掴むと、固定のために結ばれていた紐を引きちぎり、強引に奪い取った。

返して!! それはオマエが触れていいようなシロモノじゃな―― ゔぁッ!!
「ケッ、やなこった!テメェは口答えできる立場かよぉ!?」

激昂する梓の言葉が途中で途切れたのは、梓の反論を耳障りに思った入川が梓の腹部に蹴りを入れたからだ。
梓にとってこの刀は命と同じくらい大切なもの。それをこの下劣な男たちに奪われてしまった彼女の悔しさはとても計り知れない。
暴走族メンバーたちも下品な笑い声をこぼし、「この刀、あとで質屋にでも売っぱらおうぜ」「70億のついでに小遣いだ」などと口々に話している。

一方、車を挟んで反対側で拘束されている東城は、自分を拘束している奴らが入川の外道じみた行為に見入り、油断しているのを見逃さなかった。

「やめろ入川ぁぁーーーっ!!!」

タイミングを見計らい、東城は彼らの拘束を振りほどいて入川に飛びかかろうとした。

「てめっ、大人しくしてろ!!」「黙って見てな!!」
「がぁぁクソッ!!離せコラァ!!」

だが、そうは問屋が卸さない。その手が入川に届くこともなく、暴れる東城は野次馬に数人がかりで抑え込まれ、
『マンハント』に参加していた悪徳警官によって後ろ手に手錠を掛けられてしまう。
「無駄なコトしてんじゃねーよカス野郎!」と、入川は倒れる東城の顔に唾を吐きかけた。

もしも彼がここで小闇と意識を交代して彼女の力を使っていれば、周りの人間たちを倒すことは非常に容易だっただろう。
しかし小闇の性格上、ここにいるすべての人間を殺しかねず、第一に組織の隠密活動に支障が出るため、小闇の能力は安易に使うことはできない。
そのため、東城は目の前でいともたやすく行われるえげつない行為を、ただ唇を噛みしめて見ていることしかできなかった。
梓のことはどうでもいい(むしろどさくさに紛れてぶっ殺したい)が、愛する東城を助けたい小闇もまた歯がゆい思いをしていた。

「―― さて、このサンドバッグをボコるのにも飽きてきたし、そろそろあのホウジョウインって奴のところへしょっぴくか」

入川が顎でくいくいっと指示すると、力なく首を垂らした梓を部下たちが担いでゆく。
姉のしとみがきれいに着付けてくれた巫女装束も乱れ、入川の執拗な暴行により残ったあざが痛々しい。

くそッ!!くそぉッ…! 梓ちゃん…、ごめん…。ぼくがついていながら……

目の前で女の子が連れて行かれそうになっている。それをわかっているのに彼女を助けることができない。
爪が掌に深く食い込むほど強い力で握りしめ、東城は悔しさに声を震わせた。

「(ダメ…、体に、ぜんぜん力が入らない…。早く北条院のところへ行かないといけないのに…。どうして、動いてくれないの…?)」

ライフルの男に打ち込まれた麻酔薬の残滓に加え、入川にさんざんなぶられていたせいで、梓の体は疲弊しきっていた。

「(あたし……、まだこんなところで負けたくない…!! 終わりたくないよ…!!)」

きつく閉じられた梓の瞼の端には、小さな雫が生まれていた。




あたしは… まだ…








……。








…。








「……ぅぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!



ドバギィィィッ!!!!!!!

「ぶっ?」

突如聞こえた雄叫びとともに、入川の顔面に何者かの正拳突きが炸裂する。

ブゲェェエェェエェエェエエェェエッ!!??

拳を受けた入川の顔面が変形し、鼻と口から大量の血をまき散らしながらボロ雑巾のように車道の上をゴロゴロ転がり飛んだ。
部下たちは血相を変えて梓や刀を放り出し、「兄貴イィィィ!!」と猛ダッシュで入川のもとへと駆け寄ってゆく。

「……チッ、やっぱ董子みたいにはいかねーな…」

鼻が…ハガガァァ…!!」と、顔を押さえて悲痛な声でのた打つ暴走族総長をよそに、見覚えのある学ランを着た乱入者は淡々とつぶやく。
え?と目を開けた梓はしばしキョトンとしていたが、その人物が誰なのかを理解した彼女の目の端の雫が、次々と零れ落ちる。
その雫の理由は、先ほどまでの感情とは全く別の意味を表している。学ランの乱入者は、拳を夜空に突き上げ、満月をバックに高らかに叫んだ。

「大丈夫か梓! 天下の松沢健太郎が助けにきてやったぜ!! ほら、大事なものだったら簡単に取られんじゃねーよ」

目を疑うまでもなく、彼は南陽子の策略により仲たがいしてしまった親友の一人・松沢健太郎その人であった。
健太郎は、暴走族たちが道に落とした『鷹守宗孝』を、拘束から解き放たれてぺたんと座り込んだ梓に投げ渡す。
反射的に刀を受け取った梓が再び健太郎の姿を見ると、彼のそばにはいつの間にか屈強な男性や女性たちが集まっていた。
総勢十余名ほどの健太郎の連れ人達は、入川襲撃の報復として襲いかかってきた暴走族メンバーたちを軽くシメる。
彼らの正体は、健太郎の通っている道場の門下生や、健太郎と同じスポーツジムに通っている人たちである。

「ありがと、助かったよ…。でも、どうして…? あの時、南陽子に全部ばらされて……あたしたちは…」
「…別に俺は、お前のことを全部許したわけじゃねぇ」

そっぽを向いて口では否定しながらも、健太郎は自力で立ち上がれない梓の肩を担ぐ。

「けどなぁ、それで親友のピンチに立ち上がらねぇんだったらそれは男として最低だ! …たぶん、あの世の董子にも怒られちまうよ」
「健太郎……」

こ、の…

感慨にふける彼女らの前方で、今の今までもだえ苦しんでいた入川が、横目で梓たちを睨み付けながらよろよろと立ち上がる。
自慢のリーゼントも崩れ、前歯も折れ、鼻骨も折れたのか血がボダボダ流れ落ち、ひたすら憎悪に歪む入川の顔は、もはや見る影もなかった。

クソ野郎どもがアアァァァアアアアァァァァァアアアッッ!!!

不意を突き、隠し持っていた二本目のダガーナイフを振りかざし、入川は鬼のような形相で梓や健太郎たちに襲いかかった。
奇しくも、最初に梓に襲い掛かった時と同じような構図。もう70億は関係ない。ムショに戻ろうがこいつらさえぶっ殺して復讐さえできればそれでいい。
怒りが沸点を超えた入川の脳内では、そんな短絡的な考えのみが巡っていた。その時、

ドォン!!

ぎゅぺぉあぁぁああッッ!?

今度は銃の発砲音が響き渡る。弾丸はダガーナイフを射止め、キィン!という甲高い金属音を鳴らして入川の右手からはじけ飛んだ。
ナイフを握っていた右手には耐えがたい激痛が襲いかかり、入川は意味不明の叫び声をあげて転倒する。

「……まったく、あんたがこの場面で不意打ちをするんは最初からわかっとったわ。これもまた、"未来予知"のおかげやね

聞こえたのはこれまた聞き覚えのある関西弁。
しかしその人物が着用しているのは、いつものセーラー服に丸メガネではなく、黒を基調とした戦闘服で、
機能性が高そうな黒いグローブをはめた手には、普段はレッグホルスターに隠し持っている殺傷武器――グロック17――が握られていた。

「ウチも助けにきたで。鷹森さん」

彼女もまた、かけがえのない親友の一人・有沢咲耶である。
きりりとした表情から、彼女がぱっと浮かべた柔和な笑みは、いつものクラスメイトのものだった。
咲耶はパタパタと梓のもとへ駆け寄り、健太郎とは反対側の肩を支えると、彼女は少し決まりが悪そうな表情を浮かべて言う。

「ウチは、鷹森さんや獅子土さん、…そして松沢くんのことも、財団の命令を言い訳にして、ずっと騙してきた…。
 ほんまはここにおる資格はあらへんのも、謝って許してもらえることでもないってのも…、十分解っとる。
 …あとは松沢くんと同じや。ウチも、『どうしようもできない』って思うよりも立ち上がりたかった。"トモダチ"を、守りたかった」
「有沢さん………、……あたし、」

何か言おうとしていた梓だったが、咲耶は首を振って制する。

「今は何も言わんでええよ。それよりも早うこの状況から脱出せなな」
そういうこった! ケンカは一時中断だ。よーし、協力してここを突破するぜ!」
「……と、その前に」

空いた片腕を振り回し、気合を入れる健太郎とその連れ人たちをよそに冷静な顔つきになる咲耶。

「実はな、ウチも一人で来たんやないねん」

咲耶が言うと、とたんに周りの『マンハント』参加者たちが互いに顔を見合わせながら後ずさりする。
何事かと梓と健太郎がゆっくりと後ろを振り向くと、彼女らはぎょっとした。……なぜ、気配に気づかなかったんだろう。
その訳は、咲耶と似たようなカラーリングの戦闘服を着た人物やスーツにサングラスの男女がぞろぞろと歩いてきたからだ。こちらの人数も十余名。
彼らの手にも銃と、ニュースやドラマなどで機動隊が暴徒鎮圧に使うようなシールドが握られている。一応併記するが、彼らは警察関係者ではない。

「紹介するわ。…この人たちは、四ツ和財団を離反した監視員や特殊部隊の隊員で構成された軍団…」

身振り手振りを加え、なんかスイッチが入ってしまったらしい咲耶の口調は一言一句がやたらと芝居がかっていた。

「悪の組織・四ツ和財団の支配に立ち向かう、最後の反逆者Rebellion。そう―― ウチらは、『ラスト・リベリオン』や!」
「…………そのネーミングはなんとかならなかったのかねぇ咲耶ちゃん。スベってる上に版権的な意味でも」
「まあ四ツ和財団離反とかこの軍団が生まれた経緯とかは、後日公開予定の『咲耶逃走編(仮)』にて掲載するで! 皆読んでや!」

キラッ☆と某超時空歌姫のポーズでウィンクを決め、さり気にメタ発言を行う咲耶にあきれた表情でツッコミを入れるのは、彼女の上司・タカダ。
彼はすぐに表情を戻すと、先ほどまで手錠で拘束されていた存在が思いっきりスルーされていた東城静一を梓たちの前に突き出した。
スマートフォンのワンセグ放送で見てはいたが、自分にとってある意味因縁の相手である東城が梓の手助けをしていると知った咲耶の表情はやや強張る。

「や、やぁ、おひさしぶり…、咲耶ちゃん。げ、元気……だった?

不本意とはいえ以前彼女に恥辱を浴びせたこともあってか、咲耶との久々の対面で非常に気まずい思いをする彼は、冷や汗を流してひきつった笑みを浮かべた。
持っている銃で脳天をぶち抜かれないだろうか(でもたぶん小闇さんが防ぐ)、と内心怖々していた東城に咲耶は低い声で言い放つ。

「……チャラや」
「ほぇっ?」
「…この前ウチを襲ったことはチャラにしたる言うとるねん。せやから絶ッッ対に鷹森さんを無事に織笠市まで連れて行きや。ええな?」
「………え? あっ…、あぁ。もちろんさ! 約束するよ」

普段とは違い、関西弁の持つ刺々しさ(偏見だが)を最大限に引き出した咲耶を見た二人は、心の中で「咲耶(有沢さん)KOEEEEEEE」と叫ぶ。
面食らった東城は力強い返事をする内心、何もされずほっと胸をなでおろしていたのは言うまでもない。

「あの北条院って男は心の奥底から許せねぇ…。本当は俺が直接殴ってやりてぇが…、それは梓!お前の役目だ。頑張ってこいよ」
「うん、あたしもアイツにはいっぱい借りがあるからね! ぜったいにオトシマエつけさせてくるよ…!」
「鷹森さん、あの、よかったらやけど… すべてのことが終わって、もしも皆元通り仲良しになれたら……、
 本当のトモダチになれたら…、ウチも…、獅子土さんみたいに、名前で呼んでくれへん…?」
「……わかった。その時はあたしのことも、名前で呼んでね?」

二人は名残惜しそうな表情で梓の体を東城静一に預けると、咲耶は気合十分な面持ちで健太郎のほうへと顔を向け、

「ほんなら、今からウチら『ラスト・リベリオン』と松沢くんら『バトル・アスリーテス』で、インターチェンジまでの道を切り開くで!」
おうよ!!任せとけ! ……ってなんなんだその名前…?
「さ、ぼくらも行こう。梓ちゃん。何としてもあの男のところにたどり着くんだ」
「……うん。 それじゃあ二人とも…。あとでまた、会おうね…!」

元四ツ和財団の特殊部隊と筋肉もりもりのアスリート数人に護衛されながら、梓を優しく支える東城が、
ドアが開いたまま放置されている紫のステップワゴンへと歩いていくのを見て、幼馴染二人はそろって前を向いた。
こちらは約三十数人だが、ここに集まった『マンハント』参加者たちの人数ははざっと千人くらいか。
拳銃や屈強そうなアスリート達など恐れず、ただ鷹森梓70億を求めて彼らは向かってくる。

「……なぁ、咲耶」
「どうしたん? 松沢くん」

こんな切迫した状況の中、健太郎がぽつりとつぶやく。

「梓じゃねぇけど…、俺とお前もちゃんと仲直りできたらさ、俺のことも、昔みたいに…"健ちゃん"って呼んでくれよ。
 なんつーか、今みてぇに『松沢くん』って呼ばれちゃあ幼馴染のくせによそよそしい感じがするっつーか……」
「なんや、それ。まるで死亡フラグ立ったみたいやん。松沢くんからそうやって言うてくれるなんて」
「バッ…! おまっ茶化すんじゃねーよ! だーもうとにかく梓を守るぞ!」

思わず頬が紅潮するのを紛らわす健太郎。それを見てくすりとうれしそうに笑う咲耶。
隣に展開している特殊部隊とアスリートの面々は「ああ、若いっていいなぁ…」と顔をほころばせる。…状況が状況でなければよかったのだが。

ブロロロロ……

そうこうしている間に後ろから東城のステップワゴンのエンジン音が聞こえてくる。車の発進準備も完了した。
―― いよいよだ。

……お前ら、準備はできてるか

健太郎の低い声。前方は高速道路への道を防ぐ人間たちの群れ。後方の東城はステップワゴンのアクセルペダルに足を掛ける。

そして東城の足が、グッ!!とアクセルペダルを踏み込む。その瞬間。

「今や!! 全員、突撃開始やァァーーーーッッ!!!」
「「オォォォォォォォォーーーーーッッ!!!! 」」


これは『マンハント』参加者たちのものか、それとも咲耶や健太郎たちのものか。ともすれば鼓膜を突き破るような雄叫びと雄叫びがぶつかり合った。
ドォ!ドォ!ドォ!と続けざまに人と人が組み合い、大混戦の中に人々の怒号が飛び交う。

「てめぇら恥ずかしくねぇのか!!金だけのために一人の女の子を追い回すことがよ!!」「人間金がすべてなんだよダボが!!」
「こんなゲームに惑わされてお前らは人一人売るんか!!」「人間一匹と70億比べたら70億に決まってんだろ!!」
「あの子はなぁ、今までお前たち人間を人知れず守ってきたんだぞ!!」「知るか!!頼んだ覚えもねーよ!!」

衝突のたびに繰り返される脳を揺らす衝撃。咲耶たちは気絶しそうになりながらも、歯を食いしばって『マンハント』参加者たちを食い止める。
参加者たちは防衛網を突破し、ステップワゴンのボンネットに、サイドに、リアにしがみつくが、それをアスリートや特殊部隊たちが引きはがす。

「あたしが本当はみんなを守らなきゃいけないのに…。今は応援することしかできないけど…。みんな、負けないで…!

梓は神様に祈るようなポーズで両手を組み、親友たちやその仲間たちの身を案じる。
しょせんは、衆寡敵せず。『マンハント』参加者側がその物量にものを言わせて咲耶&健太郎側を圧倒していたのだが…、

「(な、なんだこりゃあ…!? 体の奥から、力がどんどんあふれてくる…!!)」
「(今なら行ける… 行けるで!! これやったらこいつらにも…勝てる!!!)」

このとき、なぜか咲耶や健太郎は体の奥底から無尽蔵に力がわいてくるような不思議な感覚を味わっていた。
それは彼女たちの周りで『マンハント』参加者と組み合っていたアスリートたちや、特殊部隊の人々も一緒だった。

まだまだ弱いぞ!!みんなもっと気合入れろーーッ!!」「こんな最低野郎どもに負けてたまるかァァァァァァァ!!!
みなぎってきたぜぇぇぇぇぇーーーー!!!!」「このまま一気に押して押して押しまくるぞォォォッッッ!!!

「やばいどういうことだ押し返されてるぞ!!」「嘘だろ俺らのほう人数が多いんだぞ!なんで押し負けるんだ!?」
「ガード薄いぞ!!何やってんの!!」「クソぉぉ抜けられた!!誰かこいつらを止めろ!!止めろーーッ!!!」


「こりゃすごい… あんな大勢をたった三十人程度で……」

非常に信じがたい光景が生まれた。千人に対してたった三十人だけの勢力は、どんどん『マンハント』参加者を押しのけてゆく。
まるでこちら側のほうが大人数のように感じるほどに、その勢いはすさまじかった。

「みんながんばれー! そのままぶっとばしちゃえー!」

先ほどまでのシリアスな雰囲気をぶち壊し、梓のほうは拳をぶんぶんと振り上げてノリノリである。
車は難なく進み、いよいよ安澄インターチェンジの料金所まで残り数百メートルの地点にさしかかった。
『マンハント』の混乱を防ぐためか、安澄料金所のゲートがほとんど閉鎖されており、ちょうど中央のETC専用入口しか解放されていない。
それでもミラクルは続きに続き、高速道路付近に集まっていた『マンハント』参加者たちは、仲間たちの尽力もあって殆どが横に押しのけられている。
東城と梓のステップワゴンは、ETC専用入口を見定めてまっすぐ進んでゆく。

「もう高速道路は目の前だ!!最後まで突っ走れぇぇ!!」
「「オォォォォォォォォーーーーーッッ!!!! 」」

健太郎が叱咤激励すると、後ろから迫ってくる『マンハント』参加者の対処のために五、六人にまで減った勇士たちの士気がさらに上がった。
前方で道をふさぐ『マンハント』参加者たちの姿も残り少ない。このままラストスパートをかける!!誰もがそう思っていたところ。


健太郎と咲耶はいち早く捉えた。
ETCの入り口。料金所の照明の逆光に照らされる、一人の人影…… 最後の関門を。

「てメ゙ェらはァァ…てめェら゙ハまたシても゙オお゙ぉぉ゙ォ゙ォオッオォ゙おぉ!!!!
 俺様゙のジャま゙ヺするグズどもガァああああぁあぁァアア゙ア゙ァァァ゙ァァ゙ア゙ァアアア!!!!
 リアルに殺す!殺ォす!!!絶ッ!! 対ッ!! にッ!! 殺すゥゥゥッ!!!!!!」


最後に立ちはだかったのは、またしても暴走族総長・入川達朗。
かろうじてそれが日本語だとわかる言葉を、口許から粘っこい液体を吐き出しながら、満身創痍の姿で咆哮する。

「とことんしつこいやっちゃなぁ! TOVのザギかいなアイツは!」
「ようするにあいつが俺らの『ラスボス』ってとこだな! 相手にとって不足はねぇ! 行くぞ咲耶ァ!!
「せやな、言われへんでもッ!!

ほかの『マンハント』参加者の対処は残りのメンバーに任せ、ダッ!!とアスファルトを蹴って二人は列から飛び出ると、
まずは健太郎が入川の手前まで踏み込み、入川の顔をめがけてナックルアロー。続けざまに咲耶が旋風脚の二段攻撃。

「ぬ゙がぁ゙アあ゙あ゙あぁァァァアアぁぁ゙ッッ!!」

「ぐわっ!!」「のわぁ!?」

入川は攻撃をまともに食らうのもお構いなしに、咲耶と健太郎の二人をショルダータックルで跳ね飛ばし、
すぐ前まで迫ったステップワゴンの前に立つ。血だらけの泥だらけになり、それでも立ち続けるのはもはや底知れぬ執念の力のなせる業である。
前照灯のハイビームが眩しいが、運転席で目を丸くしている男の隣、助手席の女の顔を見据え、憎きその名を絶叫する。


タがも゙りアずザアア゙ァァ゙アあ゙あ゙あああぁぁアアあぁッ!!!!!!」



「やべっ! ぶつかる!!」

東城はとっさに急ブレーキを踏もうとするが、到底間に合わない…!
この男の執念の力が勝ったか。大クラッシュを覚悟する二人。


「「させるかぁぁぁーーーッ!!! 」」



ステップワゴンと入川がまさに接触しようとした寸前。
運転席から見て右側の暗がりから、咲耶と健太郎が入川に飛び掛かった。

有沢さん!! 健太郎!!

三人はアスファルトの上でもつれ合う。とっさに窓を開け、二人の名を叫ぶ梓。

俺たちのことは気にすんな!
せやから早よ行きや!

上半身だけを持ち上げた咲耶と健太郎は笑顔を見せ、梓たちを促す。

「わっと、もたもたしてる場合じゃないね… このまま突破するよ!」

東城はアクセルペダルを踏み込み、速度を上げてETCバーを通過する。
ステップワゴンの尾灯が無人の高速道路に消えてゆく様子を見届けた健太郎は、大きく息を吐いた。

「ふぃー…。ひとまず、俺たちの役目は終わったな」
「…いや、まだ終わったワケやないみたいやで」

意識を失った入川をよそに、半身をひねって後ろを見ながら咲耶が言うので、健太郎もそれに倣う。
見てみると、追いついてきた『マンハント』参加者が高速道路になだれ込もうとしていた。入川を倒したからとはいっても、まだ終わりではない。

「チッ、懲りねぇ奴らだなぁ…。咲耶、立てるか?」
「うん、おおきにな。ウチももうちょっと頑張らなあかんな…、っと」

咲耶は健太郎の手を握ってすくりと立ち上がる。そして互いに顔を合わせると、二人は拳を構えて颯爽と駆け出してゆく。

「おっしゃぁ行くぜ!! もうひと暴れしてやらぁ!!
「ウチも負けへんで!! ショウタイムや!!」

いつの間にかこの二人は以前の幼馴染の関係に戻っているようだった。
"あの世"の獅子土董子が梓に与えた助言の通り、損なわれてしまった彼らの絆が再び紡がれる日は、そう遠くはないかもしれない。


…。


鷹森梓は絶対不利の状況の中、敵や仲間たちの助けを経て、無事安澄市からの脱出に成功した。
街中のスクリーンなどで『マンハント』中継を見ていた人々は、テレビ画面を通して梓たちに大きな声援を送る。

なお、湧き上がったのは彼ら一般民衆だけではない。同じ時系列の中、『マンハント』の行方を見守る組織がいくつか存在した。
まずは、安澄市内の鷹森組本部に視点を移す。

「……お嬢やりましたよ! 無事にこの町を出られたみたいす!」
「あぁ、あずさ… 本当に、よかった…!」

携帯電話のワンセグを食い入るように覗き込んでいた鷹森組幹部・柿村が嬉々とした声で言うと、しとみも胸を押えて感激の声を漏らす。
その二人に続いて、本部に残っている鷹森組組員の間には、堰を切ったように歓声と拍手の渦が広まった。

先の『マンハント』の映像では、長時間にわたる戦いによる疲労でやや劣勢となっていた鷹森組だったが、
一人で戦いを続けていた梓の姿を思って奮起し、やがて鷹森家に集まっていた『マンハント』参加者をすべて退けることに成功したのである。

「さすがは私のかわいいかわいい梓よ…。ああ、父さんは、父さんは大感激だぞ!! うおおおん!!!
「お父様、空気ぶち壊しです」

杖と拳を握りしめ、組内一番の大声でおんおんと男泣きに泣くのは、やはり父の鷹森満時である。

「(…………とはいえ、一時はどうなることかと思ったが)」

満時の脳裏には、駅前での『マンハント』中継映像……、冷たい表情で一人の男を手にかけようとしていた娘の姿が浮かぶ。
あの時の梓は、普段とは全く違う""を放っていた。憎き魔物に対してでも、あそこまでの感情を向けることはなかったように記憶している。

「(あの禍々しい力…。まさか、あれが焼石の言っていた『ロード』の力なのか…?)」

だが、即座に満時は首を振る。

「(確かに気になることは多々あるな。しかし今はそんなことを考えるよりも、我々にはやるべきことがある…!)」

あの場面で梓の中で何が起こっていたのか、今は推し量る術はない。今はこの疑念を心の中に封じ込め、
満時は組員たちに向き直ると、先ほどの泣き顔が嘘のように、極道の長らしく険しい表情を浮かべる。

「皆、よく頑張って耐えてくれた。皆も疲れていることは承知だが、目の前に人々を陥れるがいる以上、我々には休んでいる暇はない」

力強く、それでいて重厚さを感じさせられるトーンで満時は言った。彼の言葉に、組員たちや長女のしとみも頷く。

「私たちも、織笠へ向かう。人々を陥れ、狂わせたあの男に落とし前をつける時が来たのだ! …皆、取り急ぎ準備にかかってくれ」

応!!という威勢のよい掛け声を響かせ、鷹森組の組員たちはそれぞれの役割を果たすために散った。
満時は戦闘で乱れたスーツをピシッと直すと、指示を受けた組員たちが迅速に用意した車に向けて彼は歩みを進める。

「梓…… 私たちも、すぐに追いつくからな…!」


…。


「ククク…、北条院明彦…か。あの男には感謝しなければな。思った以上に良い誤算を我々に与えてくれたからね」

場面は変わり、今度は織笠市内の四ツ和財団本社ビルの会議室。
会長である四和誠一郎、そして並み居る財団の役員たちは、鷹森組らとはまた違った視点で『マンハント』の行く末を見守っていた。

「北条院明彦組長の口ぶりからして、北条院組と橋本組の間には深い関係があるとみてほぼ間違いはないでしょう」

四ツ和会長の座る議長席から見て右側の席。
無礼にも腕と足を組んで偉そうに座る、メガネを掛けた白スーツの若い役員が発言する。

「そして、北条院組長のこの言葉…」

白スーツの役員は、手に持っていたタブレット端末を操作してある映像を再生する。

く…くく…はははははははは!!焼石の野郎じゃなくても人間一人黒焦げにするのは楽勝だぜ!ははははは!!

収録されていた映像は、鷹森組幹部である篠崎の亡骸を蹴り倒すシーンだった。

「……焼石徹社長は、あの『安澄抗争』にて炎を纏って現れた、との報告があります。
 そして、焼石社長はその発火能力を利用して獅子土董子に炎による攻撃を浴びせていました。
 北条院組長の言葉がこれを示しているのならば…、二つの答えが生まれます。まず一つは何らかの理由で偶然あの場に居合わせたか」

彼はメガネをくいっと上げるキザなポーズをとり、にやりと笑うと、

「もう一つは、元からこの二人には密接な繋がりがあったか

周りの役員たちは、互いに顔を合わせてざわめく。四和会長は白スーツ男の言葉に目を細めてうんうんと頷き、

「この『マンハント』の首謀者と、あの焼石徹に関係があると知れたならば… 実に面白いことになりそうだ。
 橋本組との癒着と合わせて、この事実もマスコミに公表するように……」
「お、恐れながら四和会長…」

四和会長から見て、一番遠くの席に座っていた役員がおずおずと起立し、挙手する。

「『マンハント』の映像の中には、『例の作戦』以降、行方の分からなくなっていた有沢咲耶元監視員…、
 及び諜報部員、私設特殊部隊『Y.S.S.』隊員……、合わせて約十名の姿が確認されています…。
 さらに、この者たちは我々四ツ和財団に反乱を企てている模様で…、彼らの処遇はいかがいたしましょう…?」
今は捨て置きなさい

彼には一瞥もくれず、四和会長は予想外の返答を出した。
以前はあれほどまでに有沢咲耶に固執していたはずなのに、いったいなぜ…? と、役員の男はしぶしぶ着席する。

「君の気持ちもまぁわからないでもない。ただ、『例の作戦』で被った損害は思いのほか大きい。今は部隊の再編に努めるべきだと思ってね。
 それに、前回の『安澄抗争』の主役である獅子土董子…。そして今回の『マンハント』の主役である鷹森梓…。
 彼女たちのお蔭で、『ロード』の力を目覚めさせる方法について、大きな確信が持てたのだよ」

「なんだって…!?」と、四和会長の発言を聞いた役員たちの間に再びざわめきが起こった。
対して白スーツの役員だけは、四和会長の真意を知っているかのように、不敵な笑みを崩さない。

「有沢咲耶…。出来れば今すぐにでも君をとらえたいところだが、こちらもそれ相応の準備をさせてもらってからにしよう」

四和会長は紙コップにつがれた水を一口飲み、目の前のパソコンに視線を戻す。
ジャックされたままのパソコンは、高速道路を全速力で走る一台の深紫のステップワゴンを映し出していた。

「その前に、まずは『マンハント』を最後まで見届けようではないか。この『マンハント』の"終焉"が、焼石徹の"終焉"となりえるのだからなぁ…」


…。


そしてさらに場面は変わり…、

「明彦さん…、鷹森さんは、どうやら安澄市を抜け出すことに成功したみたいね」

セミロングの黒髪を根元で結い、茶色い丈長のワンピースを着たお腹の大きな女性 ――北条院明彦の妻・涅理が、
いったんビデオカメラから視線を外し、目の前でデスクに足を引っ掛けて酒をあおっている北条院に視線を向けなおす。
北条院は涅理の視線に気づくと、デスクから足を下ろしてソファーに座りなおす。

「…やっぱあのクソアマも焼石の見込み通りのヤローってかぁ。チッ、俺は認めたくはねェが、あの時確かに『ロード』の力を感じたぜ…」

あの時、というのは麻酔銃を打ち込まれて昏睡状態に陥っていた梓が突然目覚めた時を示している。
実はあの時の『鷹森梓』は、"ある条件"を満たしたことで、自らに眠っている『ロード』の力が一時的に覚醒した姿である。
彼女がまだ未熟なせいか、その力に呑まれてしまい、そのせいで本来彼女が守るべき存在である人間を殺そうとしてしまったのだ。
状況を鑑みると、先の『安澄抗争』にて、多大なショックから魔物の姿へ変貌してしまった獅子土董子のケースと酷似している。

だがんなこたぁ関係ねぇ。たとえ『ダークロード』の組織と戦うためにあのクソアマの力が必要だとしても…、
 俺は渉の仇の鷹森梓に復讐して… そのあと鷹森満時や、鷹森組のヤローどもも全員ブッ殺す」

北条院の決意は揺るぎなく、その思いは彼自身を象徴する鋼のように硬い。
「鷹森組」という言葉を口にしたとたんに、彼の体にはバチバチと青白い電流が駆け巡る。
その様子を見た涅理は、目を伏せて暗い表情を浮かべる。

「そう…。やっぱり貴方の意思は変わらないのね…」
「なーにそんな沈んだ顔してやがんだよ。俺があのクサレ退魔師に負けるわけねーだろが」
「明彦さん……、……っ」

そんな涅理を優しく抱き寄せる北条院。涅理もそっと目を閉じて北条院の胸に身を預けた。
北条院も少しの間だけ目を閉じて、涅理をさらに強く抱きしめる。

「(俺はいつでも準備万端だぜ…、鷹森梓ァ!! テメェに勝って笑うのはこの俺だ!!!)」


…。


最後に、場面は高速道路のステップワゴンの中へと移る。
梓たちの乗るステップワゴンは料金所を突破し、今まさに合流車線から高速道路の本線へと合流したところである。
高架から見えていた料金所の様子はすぐに防音壁で阻まれてしまい、もう親友二人の安否は確認できない。
彼らの姿が完全に見えなくなった後でも、梓はまだ心配そうに窓の外を見つめていた。

「そんな心配そうな顔をしないでさ、大丈夫。二人は無事だよ。友達を信じてあげなよ」
「……うん。そうだよね。はぁ、あたしさっきからクヨクヨしてばっかだなー」

大げさに息を吐きながら、慣れた手つきで身体の傷を手当てする梓を見た東城は、あはは…と苦笑を浮かべる。

「(んー…。皆仲直りしそうになったのは個人的にはいいことなんだけど…。うちの組織的にはちょっとまずい展開かねこりゃ)」

忘れそうになっていたが、東城と梓は本来ならば敵同士。
けれども、行動を共にするうちに二人にはある種の信頼関係が生まれつつあった。

「ま、いっか。なるようになるよねー」
「???」
「おっと、つい言葉に…。……ぁいや、そんなことよりも梓ちゃん、
 今から織笠市までまだ時間はかかるし、ぼくが運転している間に仮眠でもとっておいたら?」
「え? 仮眠?」

その発想はなかったと言わんばかりに素っ頓狂な声を上げる梓。

「ほらだって、ここに来るまでいろいろあったじゃないか。
 休めるときに休んでおかないと、いざ北条院さんと戦う時に苦労すると思うよ?」
!! 北条院……っ!

北条院という名前を聞くと、携帯電話や巨大スクリーン越しに見ていたあの憎き男の姿が頭の奥を駆け巡り、梓の体は自然と強張る。
やれやれこれは重傷だなぁ…と、こぼす東城。

「だからそんなふうに今からピリピリしてたら疲れちゃうよ。ほら、肩の力抜いてー。はい、深呼吸!」
は、はい! すぅー……、ふぅー……。すぅー……、ふぅー……」

ビクゥ!と一瞬肩を震わせた梓は、指示されたままに深呼吸を行う。割と律儀な梓であった。
心と体を落ちつけ、体の力をゆっくりと抜くと、同時に強い眠気が襲いかかってきた。
いっぱいいっぱいだった本人に自覚はなかったようだが、相当な疲労がたまっていたらしい。

「あ、ホントに……眠くなってきたかも……」
「そうそう、それでいいんだよ。織笠についたら起こしてあげるからね」
「……うん。ありがと、東城さん。それじゃあお言葉に甘えて……。……東城さん、おやすみなさい」
「おやすみ、梓ちゃん」

瞼を閉じ、意識が完全に暗闇に沈む前に少し考え事をする。
あたしが、本当に守るべきもの ――
ビルの駐車場を出てから東城と交わした言葉の意味を、梓は自問自答を繰り返していた。
以前の自分ならば、即座に「人間」と答えていただろう。
しかし、獅子土董子との交流、橋本渉・メリッサ夫妻との出会い、そして今回の『マンハント』を経験したことで、
今の彼女の心情は霞がかかったように不鮮明である。

「(今は…その答えは分からない…。けれど、いつか……きっと ―――)」

その先に、この少女はいったいどのような答えを示すのか。
まどろみに浮かぶ少女の意識は、その答えを待たぬまま、やがて遠く、夢の世界へと旅立っていったのである。


"守るべき対象"であるはずの人間たちとの戦いに疲れ果てた鷹森梓は、今ひと時の休息を取った。

一度は謀略により絆が裂かれたはずの友の力を得て、彼女は次なる戦地へと赴く。

そこに待つは、電撃を操る能力を持つ仇敵・北条院明彦。

鷹森梓と北条院明彦は、それぞれの胸の内に、それぞれ違った思いを胸に抱いて、決して交わらぬ平行線のごとく相対する。

傍には他の組織の思惑も生まれる中、欲深き人間たちを惑わせた『ヒューマンハンティング』は、次の局面を迎えようとしていた…。


次回へ続く…。


作:黒星 左翼