市に虎を放つ如し




「はぁ、はぁ、やっと…林を、抜けましたね……」
「ゼェ、ゼェ、ひーっこりゃきつい…当分もう、走れないな…」

がさがさっと、高速道路の料金所の付近の林の中から、特殊部隊の戦闘服姿の二人の男女が飛び出してきた。
林の中を全力疾走していたせいで二人ともバテバテのヘトヘトで、車も通らない夜中の道路の上で膝をついて息を整えていた。
その男女の片方は、ウチ…有沢咲耶と、もう片方は、タカダナオキさん…ウチの『上司』や。

「フィンスターの野郎は…?」
「まだ追ってきてはいないみたいです…」
「思ったより遅いな…。ま、好都合だ。奴が来ないうちに工場へ行こう…」

時刻は午前三時を少し回ったくらいやろか。天気は未だに土砂降りの大雨。……はぁ、最悪すぎる天候や。
それにこんな時間やし、体力面でも精神面でも疲労がピークで眠気もすごいけど、そんなこと言うてる場合やない。
宿敵フィンスターを倒すすべを見つけるべく、ウチらは目の前にある『四ツ電』の工場を目指して歩みを進めていた。

…さてと。ちょっと状況の整理のために、この移動時間を使ってこれまでの経緯を端折って説明しよか。
まず、ウチは最新式のスマホを盗んだことを口実に、四ツ和財団の警備部『ヨツワセキュリティシステムズ』――通称『Y.S.S.』――に狙われていた。
それを事前に察知していたタカダさんが間一髪でウチを助けに来てくれて、タカダさんの手引きで財団から一緒に逃げとったんや。
まあ結局は一度捕まってしまうワケやけど、そこへ影の勢力こと『ナイト・オブ・ダークネス』のフィンスター・アーベントが襲撃してくる。
なすすべもなく財団の特殊部隊は全滅。そのせいで追ってくる相手がある意味財団よりも面倒でヤバイ相手にバトンタッチしたんや…。
そんでアイツを倒す方法を得るために、安澄市にある『四ツ電』の工場まで逃げることにした。……そうして、今に至るわけや。

ヤツらが狙っているのは、ウチの中に眠る『ロード』の力というものらしい。
その"力"というのは、ウチに突然届くようになった『未来予知のメール』のことに違いあらへん。
『四ツ電』の工場に行くことにした理由も未来予知のメールの指示にしたがってのことやし。せやから絶対策は見つかるはずや!

ウチがここ数時間の間に起こったことを脳内でまとめとった間に、『四ツ電』工場のゲート前に到着したみたいや。
猿が木登りをするような動作で重い金属のゲートをよじ登って工場の敷地内に入ると、タカダさんは顔を引き締めて言うた。

「咲耶ちゃん。ここも一応ウチの会社の系列だから、例によってセキュリティはかなり厳しいよ。
 センサーにかかると無人防衛システムが作動しちゃうから、気を付けて俺のあとについてきて」

ウチは無言で頷くと、恐る恐る赤外線ゴーグルを被る。すると、幾重にも張り巡らされた赤いセンサーが可視化された。
某スパイ映画とかでこんなん見たことあるけど、現実でここまでする企業がほかにあるやろか? うぅ、なんも見えへんかったほうが幸せやった気がする…。

ともかくウチは、タカダさんの動きを真似してセンサーを潜り抜け、社員通用口のロックを解除し、いよいよ工場の中へと潜入した。
電気が消えた工場の内部は、非常口の緑の電灯や消火栓の赤色の電灯が僅かに見えるだけで、さっきの林の中のように殆ど真っ暗闇やった。
……こんな暗闇は、あのフィンスターや東城静一、そして南陽子の姿を思い出させるようで、ウチの足取りは自然と重くなる。

とぼとぼとタカダさんの後ろをついて事務所を抜けて、通路を歩いた先にあったのは、工場の生産ラインやった。
目を凝らして周りを見回してみると、社会の教科書とかでみたことがあるような大きな機械がたくさん並んどる。

「ところでさ。咲耶ちゃんは、『四ツ電』はどんな会社かは知ってるよね?」
「え? ウチも四ツ和の人間でしたし、一応ある程度は…」

この工場…『四ツ電』こと『四ツ和電器産業株式会社』は、業績の高い四ツ和系列でも最大手の会社で、家電を主に生産しとる。
ふつう、日本企業が販売しとる電化製品は、高品質で多機能な反面、基本的に値段が高いのは常識やんな?
けどこの『四ツ電』は、そんな常識をぶち破って、ほかのアジア勢の格安製品を下回る驚きの低価格で商品を売り出したものやから、世界中でヒットしたワケや。
…とはいっても、そのせいでダンピング(不当廉売)の疑惑をかけられたり、シェア率では焼石カンパニーにはまだまだ負けとるようやけど。

「まあおおむね正解。……でも、『四ツ電』の主力製品は電化製品じゃないんだよ。本当は、"別のモノ"を大量に作っているからね」
「……別のモノ、ですか?」
「ああ。今にわかるよ」

家電の生産ラインを抜けた先には、次のセクションへと移るための電子扉があった。
タカダさんは手に持っていたIDカードをスキャナーに通すと、扉は静かに開かれてゆく。
ウチは動かへんのちゃうか?と思ったけど、どうやら無人でも必要最低限の電力が通っているらしい。
ためらいもなく前へと踏み出すタカダさんの後をついて、ウチも眼前に広がる暗闇の空間へと足を踏み入れた。

「この場所は、四ツ和財団の抱える暗部の片鱗――」

と、タカダさんが言いかけたところで、

動くな!!
「「!?」」

「動くな」という男の声とともに、工場内の照明が一気に灯される。
思わず明るさに目を細めるウチらの目の前では、約五十人もの『Y.S.S.』の隊員たちが銃口を向けていた…。



市に虎を放つ如し

第二十八話特別編 襲いくる魔の手 有沢咲耶反撃編



「おいおいウソだろ?まさかの待ち伏せかよ…」
ひええなんでこんなところに『Y.S.S.』隊員が!?

呆れた表情で肩をすくめるタカダさんとは対照的に、口をぽかんと開けて顔を蒼ざめさせるウチ。
ああッ!この瞬間ッ!!僅かしかなかった希望がすべて絶望に変わってしもうたァァ!!
哀れウチらは抵抗する間もなく、特殊部隊隊員たちに両手を拘束されてまう。

「これは返してもらうぞ」
ぅあッ!? ちょっ…!

うわわわわっ!! あううっ、こそばいやないかッ!乙女のポケットの中に手を突っ込むなアホッ!!チカン!!ヘンタイ!!
隊員の一人がウチの服のポケットの中をまさぐってスマートフォンを取り出すと、リーダーと思しき隊員に手渡した。

「さっさと歩け」

文句言うてやりたいとこやけどしゃあない。『Y.S.S.』の隊員たちはウチらの背に銃を突き付けて、ウチらを工場の奥のほうへと誘導する。
連行されているさなか、ウチはびくびくしながら工場内を見回してみた。なんや家電工場とは明らかに雰囲気が違っとった。
名前も分からんような大型の機械が並んどる中、特にウチの目を引いたのは、先っちょに長い二本のレールが付いとる、大砲に似た機械やった。
……ってか、これってもしかしなくても…。

「れ、レールガン…?」
「さっき言いそびれたけど、この『四ツ電』って会社は…本当は財団の兵器工場なんだ」

ウチの心の中を読み取ったんか、ウチの耳元に顔を近づけてこっそりとタカダさんが解説してくれた。

「表向きには家電を生産してるけど、裏ではこういう破壊兵器をたくさん作ってるんだ。
 んで、ここで作ったのを闇ルートで外国のマフィアやゲリラ、PMCうんぬんに売り捌いてるってわけ。格安でかなり出来がいいって評判らしいよ」

タカダさんによると、このエリアは、このレールガンなど新兵器の開発を中心に行っている作業場らしい。
ほかにも、銃器の各パーツを作るエリアやら、各種弾丸を作るエリアなど、この工場の広い敷地はほとんど武器工場で埋め尽くされとるとか。

「もしかして…、あんなにセキュリティが高かったのも、この裏の面がばれないようにするため…ですか?」
「そうだね。財団内部でも情報統制は徹底されているよ。…もし、これを外部と売ろうとするならどうなるか…まあ、大体予想はつくよね?」
「うへぇ……」

……想像するだけでも顔が真っ青になる。
財団は、自分はライバル企業から技術を盗みまくっとるくせに、技術流出は絶対に許さへんしな…。

「あと、機密保持のためにここ、自爆装置とかついてるから」
えええぇぇぇえええ!? そこまでくるともうギャグの域じゃないですか…」
「何をゴチャゴチャ話している。お前らは自分の立場を解っているのか?」
「はいはい、ちょっと世間話してただけじゃねーか。俺ら抵抗するつもりはねーからそんな怒んなよ」

うわわ、半ギレの隊員が割り込んできたせいで、この話はいったん打ち止めや。
これはいよいよ本気でゲームとかアニメにあるようなトンデモ企業やんか…。恐るべし、四ツ和財団…。

―― さて、ウチらが『Y.S.S.』の隊員たちに連行されてから十数分後。

「着いたぞ。この中に入れ」

電子扉をいくつかくぐって銃器工場のラインを抜けた後、ウチらはガラス張りの小さな建物の中に乱暴に押し込められた。
こん時に背中を押されたんやけど、脚がもつれたふりをして隊員の足の指を踏んだった。ささやかな仕返しや。
建物の中には簡素な丸イスと灰皿が置かれてある。ここは普段は喫煙所として使われとるんやろう。

「二人ともここで座っていろ。妙な気は起こすなよ」

ウチらの目の前にサブマシンガンの『P-90』をちらつかせながら、やや笑みを含めたような口調で、一人の隊員が釘を刺す。
やたらと傲慢そうな雰囲気を漂わせとるこの隊員は、さっきウチのスマホを受け取ったリーダーらしき隊員のようや。

「『Y.S.S.』デルタチームから本部へ。こちら分隊長のシミズ。有沢咲耶とタカダナオキの身柄の再確保及び、
 持ち出された新型スマートフォンの奪還も成功しました。これより我々も他部隊と合流し、フィンスター・アーベント討伐に向かいます」
「まだアイツを倒す気でいるのかよ? やめとけって。お前らも死ぬぞ」

『Y.S.S.』の本部へと連絡している"シミズ"というリーダー格の男に向けて、タカダさんは嘲るような笑みを浮かべて悪態をつく。

「ハッ、我々をあの無能な先発隊と一緒にしてもらっては困るな。彼らは奴の戦闘能力を測るための役割を担っていたにすぎない。
 彼らがあの場で戦っていた間、我々『Y.S.S.』本隊は奴のデータを分析し、対フィンスター用の装備を整えていたのだよ」
「せやったら…さっきの隊員たちは最初から捨て駒やったってことなんか!?」

言葉が『仕事モード』のものではなく、素に戻っとるのも忘れてウチは叫ぶ。
あれだけ大勢の隊員を使い捨てにするやなんて… 敵とはいえこいつら自分の仲間のことをなんやと思っとるんや!!

「まあ、無能は無能なりにも役に立ってくれたお蔭で、我々は確実にフィンスターを倒すことができそうだ。勝利のためには必要な犠牲さ…」
「あんたら最低のクズや… 血も涙もないんか!!」
「まあまあ咲耶ちゃん、ここは抑えて」
「…ふん。これ以上裏切り者と話をするのは時間の無駄だな。……お前ら行くぞ、出撃だ」

シミズは侮蔑を込めた目線でウチらに一瞥をくれるたあと、踵を返して休憩所の外に出て行った。二度と戻ってくるなアホ。
休憩所の外で待機していた隊員たちにくいくいっと顎をしゃくると、隊員たちは隊列を組んでぞろぞろと歩いていく。

「ああそれと」

シミズは休憩室の周りを取り囲んで待機していた十数人の隊員のほうに首を向けた。

「そこにいる無能な先発隊の生き残り諸君はお荷物だからついてこなくても結構だ。ここで裏切り者たちの見張りでもしていろ」

なんやて!? あの状況で生き残った人がおったんか…!
せめて労いの一言でもかけたればええのに、シミズの口調は嫌味をたっぷり含んでいた。周りの隊員の中からもくすくすと馬鹿にしたような笑い声が漏れる。
「了解…」と、その中の一人が感情を押し殺した声で返事しとったんやけど、彼ら皆の拳が震えとったのがウチにははっきりと見えた。

「このスマートフォンも我々が戻ってくるまでお前らが保管していろ。無能なお前らでもそれくらいはできるだろ」
「く…っ!!」

無能、という言葉をわざわざ強調しつつ、シミズは先発隊の一人にウチのスマートフォンを手渡した。

「じゃあな。せいぜい財団の面目を汚したことを後悔しながら我々の帰還を待つがいい。はっはっはっは!」

そんなセリフを吐いて、シミズら『Y.S.S.』本隊のデルタチームご一行は、機材搬入ゲートから工場の外へと出て行った。

「……くそっ!!仲間が大勢死んだってのにあんな言いぐさかよ…今まで必死こいて財団に尽くしてきたのがバカみてえじゃねぇか…!」

残った隊員の一人が、ガラスに拳を叩きつけた。ウチはビクっとなって反射的にその方向に首を向ける。
ゴーグルと目だし帽のせいで見えへんけど、この人の表情は怒りと悔しさに満ちているに違いあらへん。
そらそうやんな…。今回以外にもこの人らは死ぬ思いで各地で戦いを続けとったはずや。
それやのに、まさか相手の戦闘能力を測るためだけに捨て駒にされるやなんて……いくらなんでも、あんまりすぎるわ…。

「これでわかったろ? お前ら『Y.S.S.』隊員も俺ら監視員もみんな使い捨てなんだよ。
 たとえ隊員が大勢死んでも、会長は広い人脈を利用して日本国内や世界のどっかからすぐに人員を補填してくる…。
 そうやって財団は今日まで強さを維持してきたのさ」

自嘲じみたタカダさんの言葉が、心身ともに傷ついた彼らの心をさらにえぐる。
これぐらいの損失は財団にとっては痛くもかゆくもないんか…。

「まーそんなことはさておきさておき。一つ相談があるんだけど… お前ら、俺たちと組まない?」
「ふぇっ!? ここでなぜそうなるんですか!?」

今、声を裏返らせて間抜けな声を上げてしもうたのはウチ。
何考えとんのやタカダさん!?相手方が話に乗るわけないやろ!!

「は? バカか。それこそ愚かしい行為だ。裏切り者に加担したと知られたら俺たちはどんな処罰を受けるか……」

ほらー!!やっぱり否定的な意見が帰ってくるわなぁ。ウチがもしあっちの立場やったら同意見なんやけど。
さっきタカダさんと話しとった隊員のダイモンさんだけやなく、周りにおる先発隊の生き残りたちも冷ややかな目でウチらを見つめてくる。

「いいから俺の話を聞けよ。まずお前ら先発隊は、フィンスターから咲耶ちゃんと俺を守るという任務に一度失敗している。
実力主義のあの会長のことだ。事情がどうあれ、常に相手に勝つことだけを考えている会長は、一度敵に負けたお前らを許さない。
何かと難癖をつけられて、俺たちと一緒に処分されるのが関の山だろうぜ。そうならないように必死になって働いてたお前らならわかるだろ?」
「そ、それは……」

タカダさんが強い口調で言うと、隊員は口ごもった。
やや屁理屈を含んでるけど、タカダさんの言葉に思い当たる節でもあるんやろか…。

「どのみち、お前らはお払い箱だってことは確定してる。このままフィンスターか財団に始末されるくらいなら、
俺らと組んだほうがまだ望みがあると思うぜ?元々俺たちはフィンスターをなんとかするためにここへ来たんだ。人数は多いほうがいい」
「ぐっ…、だが、しかし…我々は……」


プルルルル… プルルルル…


「…ッ!!」

彼の言葉を遮って、スマートフォンの着信音が鳴り響いた。隊員たちはとっさに身構える。
音の発信源は、やっぱりというかなんというか、生き残りに手渡されたウチのスマートフォンやった。

「お、ちょうどいいじゃん。なあ咲耶ちゃん、今のタイミングでメールが来るってことはたぶん例の未来予知のメールだろ?」
「…え? あ、はい…たぶん」

タカダさんは、後ろ手にかけられていた手錠を楽々と解き、ウチの手錠も解きながらウィンクする。

「おいタカダ!勝手な真似はするな!」

隊員たちはタカダさんに銃口を向けるけど、臆せずにタカダさんはおどけた口調で隊員たちに言った。

「まあみんなで鑑賞会と行こうや。これから俺たちの身にいったい何が起こるのか… このメールでその答えがわかるんだよ」


…。


それから数分後、場面は有沢咲耶とタカダナオキが逃げ回っていた林の中へと変わる。
急速に発達した低気圧は爆弾低気圧へと姿を変え、台風のごとく猛烈な風雨が草木も眠れぬ林の中に吹き荒れていた。
そんな林の中で、風に飛ばされないようソフト帽を押さえて佇んでいる茶色のトレンチコートの男は、フィンスター・アーベント。

「……ふん、懲りない奴らだ。貴様らを相手している暇はないのだが」

この暴風雨のせいで気配の察知にやや難があったが、
今、彼の周りでは大勢の『Y.S.S.』本隊の隊員たちが息をひそめて隠れている。
フィンスターの近くの大木に隠れていた一人の隊員が、指を振ってハンドシグナルを作る。
それを合図にに、フィンスターの足元に何か小さな筒のようなものが投げ込まれた。
次の瞬間、ドォン!!という雨音を裂き飛ばす炸裂音のあと、眩い閃光が当たりを包む。閃光手榴弾である。

「撃て!!撃てーーッ!!」

号令とともに草むらや木陰から特殊部隊の隊員たちが飛び出し、ジグザグに走りながらフィンスターに向けて集中砲火を浴びせる。

「無駄だ!人工の光や鉛の玉など、私には通用せん!」

そう叫びながら左手を前に突き出したフィンスターは、体に纏わせた闇色のオーラを半球状に展開させ、防御の体制をとる。
先発隊の隊員たちの攻撃はこのバリアに阻まれ、彼の身に傷一つ負わせることさえできなかった。
しかし『Y.S.S.』本隊の隊員たちは、フィンスターがバリアを張る様子を見て、目だし帽の内側ににやりと笑みを浮かべた。
すると、集中砲火を受けたフィンスターのバリアが急に霧散した。

「む……?」

疑問の表情を浮かべたフィンスターは咄嗟にその場から飛び退くが、タイミングが遅かったらしく彼の右肩を一発の弾丸が貫通する。
焼けるような痛みとともに右肩に開いた穴から黒い液体が滴り落ちるのを見て、彼はすぐに理解した。

「成程……"銀の弾丸"か…。少しは考えているようだな…!」

彼はトレンチコートを翻して踊るように銀の銃弾の雨を避けつつ、闇のオーラを鋭利な刃物の形に変形させて隊員たちに反撃する。
対してフィンスターの攻撃を学習した『Y.S.S.』隊員たちの被害は最小限であり、的確な指示と連携で攻撃を浴びせ続ける。
倒しても倒しても大量に湧き出てくる彼らを見て舌打ちしたフィンスターはいったん攻撃を止め、木々を盾にしつつ林の中を逃げる。
しかし、彼が逃げた先には林の中の開けた空間が待ち受けていた。

「…ッ! この空間は……」
「バカめ!最初からお前をこの場所へ誘い込むのが目的だったんだよ!」

この空間には中央部に一本の巨大な杉の木があるだけで、周りには銃弾から身を隠せるような場所など存在しなかった。
だがフィンスターは迷うこともなく、枝を踏み台にしてスギの木のてっぺんへと跳躍する。
逃げ行く彼の姿を幾数もの銃口が追い、スギの木の周り360度を大勢の黒い戦闘服の人間たちが取り囲んだ。

「ある古い映画の主人公のセリフに、『血が出れば殺せるはずだ』というものがある。
たとえ、お前のように普通の武器では傷をつけられないような存在でも、お前が魔族の一員であるならば、
スキュラの橋本メリッサのように『銀の弾丸』で傷を与えられるのではないか? 我々はそう考えたのだよ」

傲慢そうな語調で、意気揚々とフィンスターに語るのは、特殊部隊隊員の一人…『Y.S.S.』デルタチーム隊長シミズだ。

そして今!それは証明されたァ!!お前はこの銀の弾丸の前では手も足も出まい!!
 さらに我々は先発隊の犠牲のもとに得られたデータから対フィンスター用の戦術を頭に叩き込んでいるッ!!
 どう転んでも俺たちの勝利は確実だ!!さぁ降参するか?それとも死ぬか? 好きなほうを選ばせてやろうフィンスター!!


現在、フィンスターを迎え撃った『Y.S.S.』の精鋭たちによる混成部隊の構成人数は約200人ほど。
しかもまだ支援部隊が工場付近で待機している。数に物を言わせ、万全の態勢で臨んだ彼らは勝利を確信していた。
ピンチなのにもかかわらず、下で喚くシミズの姿をフィンスターはただ無表情で見下ろしていた。そして、

「……面倒だ」

とだけ呟き、右手をゆっくりと宙に掲げた。するとスギの木の根元から紫色に光る魔法陣が展開される。
それは不可解な文字と幾何学模様を刻みながら、『Y.S.S.』隊員の足元に広がってゆく。

な、なんだこれは!? 」「奴の攻撃か!? 」「ひるむな!ただの目眩ましだ!!

正体不明の攻撃を受けた『Y.S.S.』隊員たちは冷静さを欠いて大いに混乱していた。
もしもこの時の無防備なフィンスターに弾丸を浴びせてさえいれば、この後に起こる悲劇は回避できていたのかもしれない。

「……無駄に魔力を消費してしまったのでな。貴様らの精気で魔力を回復するとしよう」

フィンスターが言い終えると、光を一層強くした魔法陣から無数の黒い手が湧き出てくる。

うわあああああッ!!?? な、なんなんだよぉぉ!?

その黒い手が伸び、一人の隊員の体に巻きついた。黒い手は得物を捕えた蛇のごとく、するすると彼の体の自由を奪ってゆく。

ぐフッ…、う…たす…ケ………

巻きついていた手の一本が彼の胸部に食い込み、精気を吸い取ってゆく。周りの隊員たちは呆気にとられ、見ていることしかできなかった。
なおも助けを求めてもがく彼の体は、みるみるうちに痩せ細ってゆき…… やがて朽ち果てた。

おい、ま、まさか…俺たちもこいつみたいに…?

ある隊員が、がくがくと震えながら呟いた直後、黒い手が一斉に襲い掛かってきた。

クソォォ!!くるなぁぁぁあ!! 」「畜生離せ!!やめろぉぉ!! 」「ああああああ!!
たっ助けてくれぇ〜〜! 」「がはぁ…ッ!!」「いやだ!死にたくないぃ!! 」「ぎゃああああ!!


雨音を消し去るほどの大絶叫が広場中を埋め尽くす。
逃げ惑う隊員たちはP-90を乱射したり、銀のナイフで斬りつけたりして抵抗しようとするものの、それらは全く無意味であった。
無数に生み出されてくる黒い手に絡めとられた彼らは、なすすべもなく次々と精気を搾り取られ、朽ち果てていった。

「ヂクショ゙お゙ぉ゙オ゙オ゙ォオぉ゙!!嫌だぁ!!
 死ぬ゙のばいやだぁ゙あああ゙ぁ゙あ!!」


いよいよ最後の一人となった隊員――デルタチーム隊長・シミズ――がしぶとく抵抗を続けている。が、彼ももう限界に近かった。

「助げてぐれ゙!!助けでぇ゙ぇ!!頼む!!だのむ゙がらぁ゙あぁあ゙ッ!!」

悲痛な叫び声で助けを請うシミズ。その体は黒い手に絡みつかれ、もはや身動きが取れる状態ではなかった。
得意げに勝利が確実だとかなんとか語っていた彼の姿は見る影もなく、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって泣き叫ぶ様は、憐みさえ感じさせる。

「別に死ぬわけではない。貴様らは影と同化し、我々の一部となるのだからな」
「ぞんな゙っ…!! ぁあ゙っ……ムグォ…ッ!?」

ショックで気を抜いた隙に、黒い手が彼の胸部に食い込む。闇から生まれた五指は、彼の生命の源を容易く奪ってゆく。

「いい余興だった。余裕の表情が絶望に変わってゆく貴様らの姿……いたく滑稽だったぞ」
うっ…うわぁぁぁああああああアアアアア〜〜〜ッ!!!!

朽ちたシミズの体が文字通り崩れ落ちるのを見届けたところで、フィンスターは魔法陣を閉じた。

「ふん、雑魚どもの精気だけでは足しにもならんな」

吐き捨てて、彼は改めて有沢咲耶の逃げた方角を見渡す。程なくして、彼の眼は林を超えた先にある巨大な工場群を捉えた。

「……成程、有沢咲耶はあの施設へ向かったと考えるのが妥当か…。
 魔力は多少消費したが、有沢咲耶を捕えるには十分だろう。……では、急いであの施設へ向かうとしよう」

フィンスターは林の中に分け入ると、有沢咲耶の潜む工場を目指して飛ぶような速さで林を駆け抜ける。


…。


「信じられん… これが未来予知だというのか…?」

先発隊のひとらは口々にそう言った。まあそれも無理はあらへんやろう。
それは、ウチのスマートフォン『ChronusW』には、怪しげな魔法で闇に呑まれ、全滅した『Y.S.S.』本隊の映像が表示されとったからや…。

「このまま逃げてもどのみち奴に殺される。だったら、わずかな可能性に賭けて戦う道を選ぼうぜ。皆、協力してくれ」

そう言うと、タカダさんは手のひらを差し出した。
お互いに顔を見合わせて悩んでいた先発隊の人たちやったけど…、

「……わかった。俺はダイモンだ。もしそれで生き残れるなら、お前たちに協力しよう」

先ほどまでタカダさんに反発していた先発隊隊員改め、元隊員ダイモンさんはタカダさんの手を取った。

「アリサワ…、財団の命令とはいえ、君には悪いことをしてしまった。申し訳ない…」
「い、いえっ! ウチは全然気にしてませんからっ!」
「にしても、財団マジ最低だよなー」「こんな女の子を追い回すなんてどうかしてるぜ」「あいつらの命令を聞くのはもうたくさんだ!」「そうだそうだ」
「お前ら、その口からよくそんな言葉が出せるよな…」
「ぶっちゃけ俺ら傭兵みたいなもんだしー」「警備会社の社員ってのも名目だけだからなぁ」「故に僕らは関係ないのサ!証明完了!」「そーゆーこっと!」
「だからお前らなぁ…… …ってか、俺も同罪なんだけどさぁ」
「あ…あはは……」

さっきのさっきまでウチらを追いかけまわしとったのに、他人事めいた言葉を漏らすのはコカド、ナカカド、シバモト、トクラの四名(敬称略)と、
彼らに毒づくタカダさんの後に発言したのは、シモイ、カナムラ、オオザト、ヨシノの四名(敬称略)。
気にせんとはいってもこんな態度でおられるとさすがのウチもちょっと腹立つわ…。キレてええよな? キレるで? ほらキレたるで?

「あれ? あなたは…マキノさん? それに、サカモトさんも」

笑顔でキレるウチの手が得物のグロック17に伸びかけたところで、
ウチの瞳は見知った人たちの姿をとらえた。その人もウチに気づいて、微笑みながら言った。

「お久しぶりね、サクヤちゃん。『安澄抗争』の時以来かしら」
「……………。」
「お久しぶりですマキノさん。サカモトさんもお久し…って相変わらず無口な人やね…。なぜ二人が先発隊のメンバーに?」
「私たちは貴女とタカダが起こした事故の処理要員として派遣されたの。ほかにも何名か監視員が来ていたんだけど…。………」
「みんな、フィンスターに… やっぱり、ウチのせいで…… ですよね」

頭の中では、高速道路の上で見た凄惨な光景が再生される。
マキノさんは顔を伏せるウチの頭をなでながら、泣いている子供をあやすようにやさしく諭す。

「貴女は悪くないわ。この部隊に身を置いていたらいずれこうなることはみんな理解していたはずよ。
 私たちみたいに財団の裏の仕事にかかわる人材は、結構"ワケあり"な人が多くてね…。
 私たちは、この仕事を請け負うことで社会的地位が保障されているようなものなの」

マキノさんの後ろで聞いていたサカモトさんも、無言で頷いた。

「だから、憎むべきなのは貴女を付け狙っている『ナイト・オブ・ダークネス』と…、
 私たちの立場を利用して、いいように扱ってきた四ツ和財団……いえ、会長の四和誠一郎よ」
「そう…… ですね。いつかあいつらにはたっぷりと仕返ししたらなあかんな…!」

「その意気よ!」とマキノさんに元気づけてもらったところで、ウチのスマートフォンにまた着信が。
このタイミングで来るんやったら未来予知のメールしかないやろ…と、思ってたら案の定その通りやった。
ははぁ、連続で予知メールが来るなんて珍しいな。早速内容を見てみ……、って、ん? この映像は…。

「……!!! タ、タカダさん!!これ…!」
「ど、どうしたの咲耶ちゃ…、ん…? ほー…なるほど。こいつはすごい…」

その場にいた全員が、スマートフォンに映し出された予知映像に釘付けになる。
ウチらは予知映像をもとにすぐさま作戦会議を行い、映像の内容に従ってフィンスターを迎え撃つ準備を整えた。
後は作戦がうまくいくかどうか祈るだけや…。緊張で強張るウチの肩に、タカダさんはぽんと手を置いた。

「大丈夫大丈夫! 君の力を信じなよ。きっとうまくいくって! だから肩の力抜いてこーぜ」
「タカダさん…」
「そうだ、織笠に戻ったらさ、みんなでうまいメシでも食べよう!俺のおごりでさ!」
「……はい!」

ウチが力強く頷くと、みんなもそれに合わせて返事してくれた。タカダさん…ありがとう。

「それじゃあ皆、いくぞ!!」
「「作戦行動開始!!」」

タカダさんの声を合図に、ウチら十余名は所定の動きに入った。


…。


ザリザリザリザリザリ!!

財団の機密を守っていた堅牢な金属扉が、強引に切り裂かれるのが見えた。
金属扉だったものの破片を踏み分け、フィンスター・アーベントは険しい表情で財団の武器工場に押し入る。
彼は、平静を装いつつも内心では焦りを感じていた。
幹部の中で最も"主"を信奉するこの男は、何としても『サイコロード』を確保しなければならないと考えている。
仮にもし、これ以上失態を晒すことがあれば、間違いなく主の不興を買い、築き上げてきた信頼を失墜させる可能性があるためだ。

「有沢咲耶…… 否、『サイコロード』」

工場ラインの設備が所狭しと並ぶ中、中央あたりに設置された中二階の積層棚には、目当ての『サイコロード』有沢咲耶の姿があった。
有沢咲耶は、逃げ疲れたのかコンテナに背中を預けてへたり込んでおり、先刻まで一緒に逃げていたはずの仲間の姿も見当たらない。
完全に油断している。好機を悟ったフィンスターは、ふん、と鼻を鳴らし、有沢咲耶に語りかける。
―― 「それじゃあ予知映像のおさらいをしようか。咲耶ちゃん、予知映像を再生して?」
円陣を組んだ隊員たちの中心に立って、場を取り仕切るタカダさん。ウチの頭の中では、先ほどの作戦会議の様子が再生される。


「思い返してみ給え。自ら友を欺き、仕えていた組織にも追われ… 孤独となった貴様にはもう居場所はない筈だ。ただし、我々のもと以外には、な…」
「………っ」

語りかけつつ、フィンスターは中二階の真下の空間に攻撃用の黒い魔法陣を形成させていた。
『サイコロード』がナイト・オブ・ダークネスに加入しなかった場合、主からは殺害を命じられている。
勧誘が断られた場合には卑劣にも不意打ちで殺害するという魂胆のようだ。
「ここを見て。フィンスターは咲耶ちゃんを組織に誘うけど…断ったら即殺害!…する考えのようだね」
「ここで俺たちが助けに入るのか?」コカドさんがタカダさんに質問を投げかける。


「我らが主、『ダークロード』は、サイコロードとして覚醒した貴様の未知なる力に興味を抱いている…。
 "この闘争"に勝利するため、その力を示せ。さあ、我らのもとへ来い。サイコロード」

フィンスターは、有沢咲耶に向けて右手を差し出した。
それを見た有沢咲耶は「ひっ…」と短いしゃくり声を上げた後、頭を抱えて泣き喚いた。
「…いや、まだだ。あとで分かるよ。で、ヤツが咲耶ちゃんに注目している隙に、俺たちは近くに移動するんだ」
タカダさんが言うと場面が切り替わり、『Y.S.S.』の人らが、慎重にフィンスターに接近しよる映像が映し出された。
「なるほど、彼、気配を察知する力もあるみたいだし…最初からここに隠れていたら気づかれるかもしれないわけね」と、マキノさん。


もうイヤや!!ウチはもうロードとか言うのも財団のゴタゴタにも関わりとうないねん!
 ウチはただ普通の生活に戻りたいだけなんや…。アンタらの邪魔はせえへんし、ウチも大人しくしとく。だから早よう家に帰してや…。お願いやから……

極限状態に置かれ続けたことで、とうとう精神に限界が来てしまったのか。涙声で見逃してほしいと懇願する有沢咲耶。
これでは戦力として使い物にならない。フィンスターもこれ以上の勧誘は必要ないと判断した。そうなれば答えは一つ。主の命に従い、殺すまでだ。
「はい、ここで咲耶ちゃんのウソ泣き入りまーす」タカダさんが茶化す。
「うわお、ごっつひどい演技… こんなオーバーな演技せんでも…」と、映像の中の自分に突っ込みを入れるウチ。
「おいおい、ということは予知に従ってフィンスターに不意打ちさせるのか…?」シバモトさんが怪訝な表情を浮かべる。


「そうか… 解った。ならば貴様の望みどおり帰してやろう」

フィンスターがにやりと笑みを浮かべると、魔法陣が闇色に輝き、黒く巨大な剣が生み出される。
禍々しい形状の剣の切っ先は、薄い鉄板を隔てて有沢咲耶の身体に狙いを定めていた。
「そうだね。だけど、不意打ちが来るって分かってたら避けるのは簡単さ。だろ?咲耶ちゃん?」タカダさんがにやりと笑う。

「(あの世へな…!)」

ザンッ!!!と、巨大な黒い剣が中二階の床を突き抜け、有沢咲耶を両断する――

「何…っ!?」

直後。フィンスターは驚愕の表情を浮かべた。
全くの無防備だったはずの有沢咲耶が、まるで最初から攻撃が来るのがわかっていたかのように、軽々とフィンスターの不意打ちを躱したのである。
「…はい、咲耶ちゃんが見事不意打ちを避けました!ここで俺らが飛び出しすかさずフィンスターを撃つ!」
タカダさんは銃を構えるふりをして『ズダダダ!』と発砲音の口真似をする。


FIRE!!(撃て!!)

さらに、機材の影から飛び出した十数名の『Y.S.S.』の隊員たちが、動揺し硬直するフィンスターに小火器の集中砲火を浴びせた。
バリアを張る暇もなく、大量の銀の銃弾を浴びたフィンスターの体は、黒い液体を撒き散らながらゆっくりと崩れ落ちる。
この短時間に予定外のことが次々と起き、放心しかけていた彼の頭の中では、焦りやら困惑やら、さまざまな感情が渦巻いていた。

「(馬鹿な…ッ! なぜ避けられた…!? 私の攻撃は有沢咲耶には感知されていなかったはず…!
 それに、これほどの数の人間の気配を察知できなかったうえ、ダメージまで負わされただと…!? この私が…っ!?)」

フィンスターは倒れそうになった体を片足で踏み堪え、工場全体に響き渡るほどの咆哮を上げた。
「大ダメージを受けたフィンスターは、ここでマジギレして猛攻を仕掛けてくる。
 これを凌がなきゃならない…。奴の攻撃パターンを全部頭の中に叩き込むんだ」


「くっ、驕るなよ…虫けらどもめがァッ!!!!

フィンスターは、残り少なくなった魔力を惜しげなくつぎ込み、大量の魔方陣を展開した。
ある魔方陣からは黒く鋭い刃物。ある魔方陣からは紫色の炎。ある魔方陣からは銃弾のようなものが飛び出し、工場内を破壊しつくす。
しかし有沢咲耶や『Y.S.S.』の者たちは、そんなフィンスターの猛攻や落ちてくる瓦礫をすり抜け、彼の動きを攪乱する。
「マジかよ!?」「できるかンなこと!!」「常識的に考えて無理だろ…」口々に批判の声が上がる。
「でも、映像の俺たちはこうやってやってのけてるだろ? 俺らもできるはず…いや、できるんだ!自分を信じろ!」
……予知映像とタカダさんの言葉を信じ、ウチらは脳に刷り込んだ動画の通りに動き回る。ここまではええ調子や…。

依然としてこちらの攻撃が当たらない。いたずらに魔力を消費していく中、ペースを乱されたフィンスターは余計に焦り始める。
そんな中、彼の視界に再び有沢咲耶の姿が飛び込んだ。完璧を求める彼のプライドはこいつらのせいでズタズタにされた。
途端に、彼の中には逆恨みに等しい憎悪の感情が湧き上がってくる。

有沢咲耶ァァ!!!

天井が半壊し、外から流れ込む大雨に打たれながら、フィンスターが咲耶の名を叫ぶ。
フィンスターが攻撃の予備動作に入るのを見た咲耶も、得物であるグロック17のスライドを引く。
「さあ、ここからが正念場だ…咲耶ちゃん」神妙な面持ちで記憶の中のタカダさんが言う。
ウチのスマートフォンには、フィンスターの凄まじい連撃の様子が映し出されていた。その標的はすべてウチに向けられたものや。
予知の通り動けなければ…死ぬ。ウチも、その場の隊員もみんな言葉を失っていた。
だけど、やるしかあらへん。ウチが生き残るために… みんなで生きて帰るために!
――― そしていよいよ、ウチの反撃が…始まる!!


う…おおあああああああああッッ!!!!
細胞の一片まで粉微塵になるがいい!!

自らを鼓舞するように大きく吼えた咲耶は全速力で走り出した。
激昂するフィンスターの背後には新たな魔法陣が幾つも展開され、大量の黒い槍が召喚される。
―― まずは右!次は左!前方にスライディング!
機敏な動きで咲耶は降り注ぐ槍の大雨を避け、そのまま三角飛びで大きな機材の上に乗る。
なんややってみたら簡単やん。これはゲーム。ウチの得意なアクションゲームや!
機材や瓦礫の上をジグザグに飛び回る咲耶。フィンスターは彼女を追うように炎の球を何発も何発も繰りだした。
もうちょっと…あとちょっと…今や!ここで!大ッジャンプやぁぁぁっ!!!
3Dプリンターを蹴り、咲耶はフィンスターに向かって勢いよく跳躍した。直後に機械群が爆散し、その勢いを背に受けて飛距離が無理やり伸ばされる。
何かを叫んだフィンスターの頭部を飛び越え、真っ逆さまになりながら彼の背後へと落ちてゆく。
脳内物質が分泌され、世界がスローモーションのように感じる。自らと同じ方向に落ちる雨粒の一粒一粒が、鮮明に映った。
上下が入れ替わった世界の中、咲耶はフィンスターの頭部目掛けて一心不乱にグロックをぶっ放す。

喰らえぇぇぇっ!!!!

一発、
二発…、
三発!

一発は外れたが、残りは背中と頭部に命中した!フィンスターのソフト帽が弾け飛び、頭部からは黒い液体が飛び散る。

おのれぇぇ!!!

瞬時に右腕を黒い刃に変化させ、振り向きざまに逆さの咲耶を斬ろうとするフィンスター。
「咲耶ちゃんがここを抜けきったら、後ろからトクラとカナムラがフィンスターに射撃!」
しかしその刃は『Y.S.S.』隊員二名の銃撃によって弾き飛ばされた。彼の顔がさらに憎悪に歪む。

「クソッ、なぜだ!!なぜだ!!なぜだ!!」

背中から落ち、咲耶は水たまりの上を跳ね転がった。体中に走る激痛。しかし休んではいられない。
フィンスターが隊員に牽制を行う間に体勢を立て直し、歯を食いしばって咲耶は再び走る。
「次は咲耶ちゃん、俺、サカモトで連携だ!」
走りながら銃撃を行う咲耶をフィンスターの火の玉が追うが、雨水で滑る床を利用してタカダがスライディングで銃撃を行い、
さらに巨漢のサカモトが雄叫びとともに背面からガトリング銃を放ち、瓦礫や工場内の設備を文字通り粉砕しながらフィンスターに迫る。
あのガトリングガンは『M134ミニガン』と呼ばれ、生身の人間を一瞬でミンチに変える代物。この体力では被弾すれば一溜りもない。
悔し紛れに英語で紳士らしからぬ言葉を吐いたフィンスターは、体勢を立て直すためバリアを張りつつ後退する。
「ここでフィンスターが瓦礫のほうに逃げるから、オオザト、シモイ、ナカカドが待ち伏せしてバリアを削れ!」
しかし、後退した先には三名の隊員が待ち構えており、激烈な十字砲火を浴びせた。
「そろそろフィンスターの体力が限界のはず。こっから全員で畳み掛けるぞ!」

「(可笑しい。こんな馬鹿なことがあるはずない! 私がこんな雑魚どもに追いつめられるなどと…!!)」

フィンスターに休む暇を与えず、咲耶たちは動き回りながら、あらゆる方向から攻撃を行う。
彼は咲耶たちに牽制攻撃を行いながら、活路を見出すために必死に思考をめぐらす。

「(なぜ私の攻撃が当たらん!? まるで、私の攻撃のパターンが予め知られているかのように…!)」

フィンスターの思考が、ここで次のステップへと動いた。

――いや、待て。攻撃パターンがすべて知られている…?

沸点に達しかけていた頭が徐々に冷静さを取り戻してゆく。
もし、本当に何らかの能力によって事前にパターンが知られており、攻撃が避けられているのだとしたら…?
それを可能にするのは『サイコロード』以外にありえない。そう考えれば、おのずと『サイコロード』の能力の正体が見えてくる。

フフ、フハハハハハハ!!! そうか…そういうことだったのかサイコロード!!」

彼は今、漸く有沢咲耶たちの行動のカラクリに気付いたようだ。

未来予知か! 超能を総べるロードとしては相応しい能力だなァ!!」
「………!!」

「…ただ、ここであの魔方陣か出てくるんだけど…」タカダの表情が少し曇る。
狂ったようなフィンスターの笑い声。図星を言い当てられ、苦い表情を浮かべる咲耶。
フィンスターは工場の中央に立ち、最後の魔力を振り絞って床に巨大な魔方陣を展開する。
幸か不幸か、展開を妨げる機材類は自らの攻撃により一掃されており、彼女らを捕えるのは容易だった。

「あぁクソッ!!離せよ!!」「咲耶ちゃん!!」「手が俺の胸に食い込んで…」「ぐわああぁああああぁっ!!」「やめてくれえええ!!」

「みなさん、すみません、ウチの予知…ここで終わっとるんです」
黒い手が全員を包み込むところで映像が暗転。時刻が表示された。いっちばん重要なところやっちゅうのに…。

魔方陣から生み出された黒い手が、銃撃を加えようとした咲耶たちに纏わりついて身体の自由を奪う。
フィンスターと同様、咲耶たちも体力の限界を超えていたため、この魔方陣からは逃げることはできなかった。
これで形勢は逆転した。魔力はほとんど尽きてしまったが、勝利を確信したフィンスターは口角をもたげる。

「避けなかった…ということは、この攻撃までは予知できていなかったようだな…?
 或いは、私が貴様の能力に気づいたことで未来が書き換わったか…」
「…………」

「だが、十分なヒントは得られた。ここからは自分で考えろということか…?」ダイモンさんは腕を組んで考え込む。
刻一刻と戦いの時が迫る。悩んでいる時間はあまりないんや…。ウチらは必死になって考えをめぐらせて行く。

黒い手によって彼らの精気は根こそぎ搾り取られ、力なく垂れた腕からは得物の銃がするりと抜け落ちる。
なんか方法はあらへんやろか…? 今までここであった出来事でなにか手がかりは…。

「まあどちらでも良い。貴様らはここで終わるのだからな……」
「………いや、終わるのは…フィンスター……あんたや…」

力なく、咲耶がにやりと笑った。その間にも、彼女の顔はみるみるうちにやつれてゆく。
……あ!そうや!!」その時、ウチの中で線と線がつながったような感覚が起きた!

「この期に及んで何を言う…? さては気でも狂れたか」
「確かに…あんたの言うとおり、ウチの力は…未来予知や…。実際、あんたは…ウチの予知の通りに動いてくれた……」

瞳も光を失い、トロンと呆けたような表情の咲耶。反論する口調も弱々しい。
「え、何か思いついたの咲耶ちゃん?」「なんだなんだ?」全員の注目がウチに集まる。

「こうなることも予知できてた…。この黒い手に…命吸い取られて……、ウチらが負けることも……。
 せやけど……、ウチらは……"あえて"、この黒い手に捕えられた…。あんたを……その位置に…、おびき寄せるために…、な…!」

「何だと…?」

眉を顰めて訝しむフィンスター。大雨の音に紛れて何か巨大な機器の動作音が聞こえるのに気付いた頃には、もうすでに手遅れだった。

「あるやん…とんでもなくスゴイ兵器が!ここの隣に!あれを使えばええんや!」ウチの眼はきらきらと輝く。
「……気づいても…もう遅い…!これで…ウチの反撃は…完了や!!!
「―――――― ッッ!!!」

何かを発しようとしていたフィンスターの声は轟音にかき消される。




咄嗟に振り向いた彼の眼に映ったものは。


「ぐ―――――――」


爆炎をまき散らし、音の速さで迫るレールガンの弾頭だった。


ああああああ―――――――――ッッッ!!!!??


フィンスターの身体は弾頭と共に視界の外へ消えた。同時に魔方陣から解放された咲耶たちの体は衝撃波によって木の葉のように吹き飛ばされる。

「――隣の新兵器開発工場にあるレールガン!あれを使いましょう!」
「そうか…! 予め、あのレールガンをチャージしておいて……、
 ちょうどあの魔方陣を繰り出したときに発射されるようにしておけば…」ダイモンさんが手を叩く。
「ウチら…もしかしたらホンマにあのフィンスターを倒せるかも知れへんで…!」
――そんなわけで、フィンスターがウチの説得に入った間に、隊員の人が隣の作業場に移動し、レールガンを起動させておいたんや。
あとは予知の通りに動き回り、フィンスターにこの魔方陣の攻撃をさせるまでに追い込むだけやった。
そして、アイツが中央でこの技を繰り出してくれたおかげで、見事レールガンの弾を命中させることができたってわけや!


初速マッハ7.5で放たれた弾頭は、炎の尾を残しながら、隣の工場の…そのまた隣の工場の壁を次々と突き抜け――やがて大爆発を起こした。
未だに荒れ狂う夜中の嵐の空に断続的な爆発音が響き渡り、赤い炎の混じった黒いキノコ雲が天高く舞い上がる。

あいててて… ……みんな…無事か…?」

第一声を上げたのはタカダ。彼の声に呼応して、次々と隊員たちの無事を表す声が聞こえてくる。
衝撃波で吹っ飛ばされた彼らだったが、瓦礫がクッションになって奇跡的に軽傷で済んだ。それでも身体全体には激痛が走る。
全員が痛みに喘いでいるさなか、そんなことも構わず、一人よろよろと立ち上がる咲耶。
彼女はおもむろに燃え盛る工場に指をさし、往年のヒット映画の決め台詞を力強く放つ。

You Are Terminated !!(抹殺完了!!)」

こうして咲耶たちは仲間たちと喜びを分かち合い、一人も欠けることなく織笠へと帰還を果たしたのである。


…。


「はぁ……、はぁ…っ!」

ごうごうと燃え盛る工場を背にして、片足を引きずりながらふらふらと歩くトレンチコートの大男がいた。
その男の外見は異様だった。コートは焼け焦げてボロボロで、体中からは黒い液体がしたたり落ち、水たまりと混ざり合う。
そして特筆すべき部分は、彼の胴体から頭まで上半身の右半分がごっそりと抉り取られている点であり、異様さを極める要因となっている。

「がはぁっ! あ………、…ぁ……っ」

ごばっ、と口から黒い液体を吐き出すと、彼はどさりと水たまりに倒れこんだ。
もはや虫の息の彼の体を、これでもかと大粒の激しい雨が打ち付け、僅かにともる命の灯りを消し去ろうとする。

ゲェェーーッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャァァッ!!
 おーおーザマぁねェなァ!? フィ・ン・ス・タ・ァ・さ・ん・よォ!!」

倒れこむ彼の顔を覗き込む人型の黒い影。瀕死の彼を見て心の底から楽しそうに大笑いする彼は、暗男。
その傍らには、洋服と同じ赤色の傘を差した女性…南陽子が無表情で佇んでいる。

「私達も…『ダークロード』の命を受けて…、様子を見に……来たんだけど……。
 少し……到着が……遅かった…ようね…。ごめん…なさい……」

トレンチコートの大男改め、フィンスター・アーベントはつい先ほどまで有沢咲耶たちと戦闘状態にあった。
しかし、もう少しのところで奴らが機転を働かせ、超兵器レールガンの弾頭をまともに喰らってしまった。
咲耶たちから吸収した僅かな魔力で何とか空間転移を行ったものの、工場外への移動が精いっぱいであり、このままでは死を待つしかない。

「しっかしよォ、いつもはエラソーなアンタがこんなボロ雑巾みたいに転がってるとはなァ? ゲヒヒ!笑いが止まらねェぜオイ!!」
「くっ……きさ…ま… うぐっ!?
「おーきったねェー!吐きやがった!やっべーなもう死ぬなァ!!ゲハハハハ!!」

暗男の態度に怒りを見せ拳を震わせるフィンスターだったが、黒い液体を吐き出し再び苦しみ始めた。

「やめなさい…暗男……。この人は…私達の…仲間なのよ…。早く…助けて…あげて……」

南陽子は、やや声色を強めて暗男を諌めた。暗男はばつの悪そうな顔で舌打ちすると、再びいつもの調子に戻る。

「ケッ! 本当はアンタが死のうがどーでもいーんだがヨォ、陽子が言うんなら仕方ねェ。
 オレの陽子の優しさに死ぬほど感謝するんだなァ… ゲヒャヒャヒャヒャ!!」
「……じゃあ…早く…始めましょう……」

南陽子と暗男が同時に何かを早口で呟くと、彼らが住処にしている闇の領域への入り口が現れた。
傷ついた彼らはこの空間で養生し、傷を癒すのである。

「さあ…フィンスター…さん…………」
「……陽子…、暗男…、面目……ない…。感謝する……」
「なんだァ? もっとでけー声で言いやがれや!感謝が足りねーぞオイ!!」
「暗男……」
「ヘイヘイ、ほら、さっさと入れやオッサン」

南陽子と暗男が二人がかりでフィンスターを抱え、領域の中に入ってゆく。

「(有沢咲耶……次は必ず……、私がこの手で……!!)」

二度と同じ轍は踏まない。フィンスターは、いずれ雪辱を果たすことを胸に誓った。


…。


真っ白な廊下の中を、高級感のあるスーツを着た初老の男と、清潔感のある白衣を着た皺くちゃの老人が歩いている。
時はフィンスター襲撃の翌々日。四ツ和財団会長・四和誠一郎は、本部の敷地内のとある研究施設の中にいた。

「久住君、例の"アレ"の様子はどうかね?」
「えぇ。良好でございます…。いつでも、動かす準備はできておりますぞぉ…」

会長の隣を歩く白衣の男・久住――頭の大部分が禿げ上がった白髪に、顔じゅうに深い皺を持つ老人――が、気味の悪い笑みを浮かべて答える。

「にしても、この前は災難でしたなぁ〜、会長殿…」
「うむ……」

――あの日は散々だった。苦い顔をして四和会長は振り返る。
有沢咲耶捕縛のために投入した私設特殊部隊『Y.S.S.』が、影の組織の一員であるフィンスター一人の手で壊滅状態に陥り、
戦いの影響から、主要な生産拠点であった『四ツ電』安澄工場を焼失してしまった。
お蔭で、『Y.S.S.』の再編のために資財を消費することとなり、『老朽化による解体』を理由にした工場焼失の隠蔽にも、骨が折れたものだ。

「……まったく、あの役立たずどもめ… お蔭でこんなにも早く"アレ"に頼る羽目になるとは。使えん連中だよ」

身を粉にして仕えてきた自らの部下を『役立たず』と扱き下ろす四和会長。
この態度から、彼らのことを消耗品程度にしか思っていないことがよく理解できる。

「まぁまぁ、いいじゃないですか会長殿。所詮彼らは人間。魔族には勝てますまいて…。
 むしろ、"アレ"の実地試験の開始が早まったと考えれば安いもんですさぁ…。ヒッヒッヒッ…」

金歯をぎらつかせて、咳をしたような嗄れた笑い声をあげる久住。その狂気を含んだ笑みに、さすがの四和会長も辟易する。

「ヒヒ、こりは失礼…。――さて、そろそろですな。今最後の扉を開けますゆえ…」

彼らはいくつもの厳重なセキュリティを抜け、研究施設の最深部へと至る。
老人が慣れた手つきで操作パネルにカードを通し、パスワードを入力すると、目の前の扉が重々しく開かれる。
中の光景を見て、四和会長は目を細めた。町の体育館ほどの広さの白い空間に、半透明のカプセルが列ごとに配置されていたためである。
保育器を思わせるデザインのそれらは、ゆうに大人一人が入るほどの大きさをしており、周りを白衣の研究員たちがせわしなく動き回る。

「こちらが"アレ"の試作品でございます」

久住が案内した先にあったカプセルを見て、「ほぉ…」と感嘆の声を上げる四和会長。
カプセルの中では、煌めくようなプラチナブロンドの長髪を持った美しい女性が、生まれたままの姿を晒して眠っていた。
体の至る所にはチューブが繋がれ、傍らには心電数や脈拍数を表示する生体情報監視モニターが一定のリズムで高い電子音を刻む。
呼吸のたびに豊かな胸がゆっくりと上下を繰り返し、取り付けられた呼吸器が彼女の吐息で白く曇る。

「なるほど、なるほど…。『計画』の成果はよく表れているようだね」
「えぇ。…ただ、本来ならば…有沢咲耶の血液サンプルもほしかったところですがねぇ」

成果を喜ぶ会長とは対照的に、頭をボリボリと掻きながら残念そうなトーンで久住が言う。

「とはいえ、シミュレーション上ではそこいらの連中よりは役に立つはずですぞぉ? ああ、早く実地試験に入りたいぃ…!」

一人笑い狂う久住を白い目で見つめた四和会長は、カプセルにそっと手を触れ、中の女性に語りかける。

「君は私の『計画』の重要なファクターだ… しっかりと、私の期待に応えてくれたまえ…」

四和会長の野望の蕾は膨らみかけている。彼女が物語の舞台に上がってくる日は、そう遠くはないのかもしれない。


…。


そして最後に、視点はまたウチに戻るわけで…。
あの後、ウチは財団の監視がついていないことを確認して、織笠の自宅に戻った。なんか久々な感じがしたわ。
財団を抜けたダイモンさんらは、安澄市やその周辺の町でしばらく身を隠すみたいやったけど、
タカダさんは『咲耶ちゃんは俺が守る!(迫真)』…みたいなことを言い出して、表向きには『いとこ』としてウチの家に住むことになった。
――あの忌まわしい事件、『マンハント』が始まったのは、それから間もなくのことや…。

「鷹森さん……」

ウチはスマートフォンを両手で持ちながら、部屋の中に立ち尽くす。
橋本組の仇討ちと称し、北条院明彦によって開催された、『ヒューマンハンティング』。
七十億円もの懸賞金を掛けられた獲物は、ウチの親友……。いや、親友……"だった"、鷹森梓さんや…。
そのうち、ウチは画面を見るのが耐えられなくなって、思わず目をそむけてしまう…。

「ごめん……ごめんな… ウチには……どうすること…も…」
「……果たして、それは君の本心かい?」

ふいに、扉のほうから声が聞こえた。振り向くと、開きっぱなしのドアに凭れてタカダさんが腕を組んでいた。

「だって……鷹森さんからも…絶交だって……。ウチが行っても…きっと迷惑がられる……」
「そうやって自分の中で結論を急いじゃだめだよ。本当はトモダチを助けに行きたいんでしょ?」

できることなら、助けに行きたい。
一年前のあの日、獅子土さんや松沢くんとも一緒に入川の率いる暴走族を倒したときのように、一緒に戦ってあげたい。
でも、それは許されてへん。ウチは、今まで鷹森さんを騙してきた。
財団の『監視員』として、トモダチのふりをして情報を集めていただけ…。ウチには…なんもできへんのや…。

「……はぁ。君は割と頑固だよねー。じゃ、こう考えよう。――えっと、君は誰だい?」
「はぇ? あ、有沢…咲耶です……」

突拍子もないタカダさんの質問に、きょとんとした表情でウチは答える。

「そうだ。君は『有沢咲耶』だ。もう、『四ツ和財団の監視員・有沢咲耶』じゃないよね。
 友達に嘘をつき続けてきた今までの君とは違う。『ただの女子高生・有沢咲耶』として…あの子たちに会えばいい」
「今までのウチとは…違う……?」

タカダさんの言ってくれた言葉を、ウチは噛みしめる。
ウチはもう、四ツ和財団の人間やない。もうウソをつく必要もない。
そうや。今までのが偽りの関係なら、今から本当の関係を築いていけばいい…!
落ち込んどるだけやったら前に進めへん……、せやから今はとにかく前に進まなあかんのやな!

「すみません、タカダさん……、ちょっと訂正してくれへんか…?」
「ん?」

ウチは一度メガネを外して涙を拭い、乱れた髪の毛をばさりと正すと、きりっとした表情で言い放つ!

「ウチはただの女子高生とちゃう…。ウチは有沢咲耶。ちょっぴり内気なオタク系女子高生・有沢咲耶や!」

ピリリリリリ…!!

ウチが叫んだ瞬間、手に持っていたスマホにメールが届いた。
内容は未来予知のメール。記録されとった映像は、『マンハント』の一場面。
映像をひとしきり見終えたウチはアプリを閉じて、スマホをポケットの中にしまう。
……どうやら、何が何でも鷹森さんを助けにいかなあかん理由ができたみたいやわ。

「俺の知ってる咲耶ちゃんに戻ったね。いやーよかったよかった」
「これで心のつっかえも取れました。ウチ、鷹森さんを助けにいきます。協力してくれますか?」
「もちろんだよ。そう言ってくれるって思って、ダイモンの野郎たちにも既に連絡してあるからさ」

さすがタカダさん!手が早い!
ウチらは急いで戦闘服に着替え、念のために銃を用意し、タカダさんの駆るバイクに乗って家を出発する。
目的地は安澄市。『マンハント』参加のために各地から押し寄せ、大渋滞となっている高速道路。
完全にストップした車列を、タカダさんは超人的なハンドルさばきで器用に潜り抜ける。

「この渋滞のお蔭で遅くなっちゃったけど…そろそろ安澄市に入るよ!」
「はい!」

インターチェンジの近くの通りには、大勢の人間が押し寄せ、怒号が飛び交っていた。
……きっとあの中心で、鷹森さんが戦っとるはずや!
待っててや鷹森さん…! ウチもすぐ到着するからな!!



第二十八話へ続く…。


作:黒星 左翼